『白い果実』ジェフリー・フォード/山尾悠子・金原瑞人・谷垣暁美訳(国書刊行会)★★★★★

 『The Physiognomy』Jeffrey Ford,1997年。

 読みそびれているうち二作目も出てしまい、ようやく読んだ。

 冒頭から山尾氏の文章にしびれました。やっぱいいなあ。

 異世界のような(いや異世界なんだけど)設定を逆手に取ったような展開は見事。ナルホド観相学、か。一行目から読者を世界に引き込むことができたからこその展開ですね。原作の力はもちろん、山尾悠子氏の文章に預かるところが大きいのは言うまでもない。

 だいたい、夢ばかり見ている驕りと強迫観念の強いジャンキーの一人称なのだ。本来なら信用できるはずもない。

 思い込みと偏見とは恐ろしいものだやね。「旅人」を見る目の曇りは取ることができたけれど、はてさてほかにどれだけの真実が濁った目に隠されていたのか。再読のときにそれを発見できるような撒き餌を潜ませてくれてるといいのだけれど。フォードはそこまで凝る人だろうか。だったらいいな。

 本書自体が三部に分かれています。ピカレスクな第一部とヒーロー・アドベンチャーものの第三部のあいだに、地獄・天国篇ともいうべき第二部が挟まれていて、これが何とも面白い。自称兄弟の見張り番に、知性を持った猿、合間合間に挟まれる「楽園」の記憶。改めて考えると、ずいぶんと悪ノリしているキャラなのだが、『記憶の書』の凸凹トリオや「グレムリン」ほど浮ついて見えないのは山尾訳によるものなのか、フォードが作風を意図的に変えているのか。

 この兄弟の存在なんて、善と悪について考えるにしてはまたあまりにもわかりやすすぎる図式ではあるのだが、しかしそれにしてもこの第二部だけで改心するとは思えないのですよ。悪い人じゃなくって思想の方向性が間違っていたいい人だから、思想のバックグラウンドが崩れちゃうと憑物が落ちたように人が変わるということなんだろうけど……。

 さて、そんな改心後の第三部をお行儀のいいヒーローものにしていないのは、見えないビロウの真意、魔物の登場、カルーとの再会、町中の不穏な空気、白い果実。舞台が悪の理想都市ウェルビルトシティなのだから、もう何から何まで混沌としております。わかっているのはビロウだけ(のはずだった)。何がどうなるのか。アーラと旅人のことなんてすっかり忘れてたよ。

 いやしかし「禁断の実」をこんなふうに処理したのは初めて見たな。たいてい食べられないで終わるか、何か効果の現れない理由づけをしてお茶を濁すものだが。本書での処理の仕方も、まあもう一つのパターン(金斗雲パターンとでも申しましょうか)なのだが、その効果のぶっとび方がこっちの発想を超えている。ここで、この都市がどのように建てられたものなのかという設定が生きてくるんですねえ。

 装画・松崎滋。画集を出してほしいな。

 とある秋日の夕刻正四時、私は理想形態市《ウェルビルトシティ》を出立した。我が支配者《マスター》たるドラクトン・ビロウその人が直々に調査を命じたのだ。「属領《テリトリー》へ」頷いて私は馬車に乗り込んだ。この世の楽園に実るという〈白い果実〉を盗んだ者がいる。アナマソビアに着くと男が近寄ってきた。「町長のバタルドと申すものです」「一級観相官のクレイだ」通りの左側を奇態な青い老人が蹌踉と歩いてきた。驚嘆すべきことには、その皮膚の色はすべて青一色なのだった。「ずっとスパイアの塵のなかで生きてきた鉱夫は、歳をとると終いにスパイアになるのですわ」と町長。「野蛮きわまる」私は町長の家で演説を始めた。「諸君は容疑者だ。私はひとりひとりの観相学的デザインを計算し、必ず犯罪者を見つけ出す」私は人びとの間を歩き、活発に会話を交わした。「閣下、どうしてグレイ・サイラスが人狼であることを確信されたのですか」それがアーラ・ビートンとの最初の出会いだった。
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