『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』矢作俊彦(角川文庫)★★★★★

 ハードボイルドという言葉を間違った意味で日本に広めた人として名高い著者ではあるけれど、それだけじゃないんだよね。あらゆる意味での情報小説というか。いい年して自分探しとか、家族やら組織やらの身近な苦悩や軋轢とか、そういうのとはちょと違う。

 矢作俊彦というとマッチョ・ハードボイルドというイメージがあったんだけれど、全然違うぞ。本書に限って言えばむしろ主人公はカラーがない方だと思う。

 文章はかっこいいのに主人公自体はかっこつけようともしてないし。息切れするんだもんなあ。(記号としての)野球っていうのがまたおっさんくさい。といってももちろん、冴えない中年男というわけでもないし、心に傷を負った駄目人間というわけでもないのだけれど。

 目の前にピースは出揃っているのに、二村が鈍すぎるなーと感じてしまうところはある。読者はとっくに暗に感じていることに、百ページくらいあとになってからびっくりされても……とか思ってしまったりね。でもそれも読者が小説を外から見ることができるからであって、例えば二村がウンコしたとかいうようなどうでもいいことは書かれていないんだという約束事を、読者であるわたしが知っているから感じること。小説世界の人間には、その世界のどの出来事が重要でどの出来事が取るに足らないことなのかわかるわけがないものね。

 謎解きが目的の小説でもないわけだし。

 政治や戦争や現代社会といった大げさなテーマを扱うと、たいていの場合、情報という名のペダントリーにあふれただけの巨悪と戦うわざとらしい国際謀略小説になってしまいがちなんだけれど、本書は飽くまで私立探偵小説である。個人⇔社会・国・政治etc.なんていうわかりやすい図式に逃げない。人が生きている以上、個人⊃社会etc.なんだっていう当たり前のことがちゃんとわかっていなきゃこうはなるまい。

 タイトルにふさわしく、全篇「もし〜していれば」という「間違い」にも彩られています。

 『長いお別れ』に対するオマージュがそこかしこに出てきてクスリというかニヤリというか。五文字の言葉には笑ったなあ。無駄にインテリなのもマーロウっぽい。

 マーロウの場合はへらず口が達者すぎてキャラが立ちすぎちゃったんだけれど、二村の場合はあんまりヒーローすぎずにカメラアイとしてもしっかり機能してる。本来の意味でのハードボイルドなんだろうな。

 本質的にドン・キホーテなんだけれど、俺が俺がヒーローでもルサンチマンぷんぷんでもイデオロジカルな反体制でもない、もっと広角的な批評眼を持ち得ているのです。

 ベトナム戦争と米軍基地と出稼ぎ労働者問題とその他いろいろ山ほど詰め込んで、それを日本を舞台に描いて、しかも愛の物語や家族の物語も交えながらも荒唐無稽にならないってのがそもそもすごい。

 神奈川県警の刑事・二村永爾は、殺人事件の重要参考人ビリー・ルウの失踪と関わった嫌疑で捜査一課から外されてしまう。事件直後、ビリーが操縦していたジェット機が台湾の玉山の上空で姿を消したことを知らされる。一方、横須賀署の先輩刑事から国際的な女流ヴァイオリニストの養母である平岡玲子の捜索を私的に頼まれる。玲子のマンションで二村は壁に拳銃弾を発見、彼女が事件に巻き込まれたことを知るが……。(裏表紙あらすじより)

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