「Very, Very, Red」「She Began」「Sweet」Diane Williams ★★★★☆

 『ユリイカ』対談で岸本佐知子が触れていた作家。amazon.comリディア・デイヴィスを買った人におすすめだったんだそうです。曰く「どこを開いて読んでも意味がよくわからない(笑)」。ネット上で読める作品を読んでみたけど、やっぱりわかりません。「Very, Very, Red」はまだストーリーのようなものがあるのですが、「She Began」「Sweet」の方はまるでとりとめのないうわごとのよう。

「Very, Very, Red」Diane Williams,1998(Boston Review)★★★☆☆
 ――ぼくは自意識が強すぎるんだ。ロバートやバスターが心配してくれた。でもぼくは臆病者じゃない、メアリ。あの娘が裸でベッドにいても気まずくはない。メアリ、でも退屈なときはとてもとてもとてもとても長いあいだダイアンとおしゃべりした。「自分が誰なのか思い出して。自分が何をするのか思い出して」あの娘はぼくを憐れんだ。可哀相な人、それがあの娘の言葉だ。メアリ、手でしてくれるようダイアンに頼めって? 土曜の予定はないのかい?

 女の子(セックス・ドール? コンパニオン?)を作っている科学者が、その試行錯誤の様子をメアリに語って聞かせる、という話だ(と思う)。今力を入れているのは「ダイアン」という名の女の子であるらしい。ほとんど人間のように何でもできる(あるいはできるよう作ろうとしている)らしい。ほかにもたくさんいるみたいだ。「ボブの妻」というのは人間なんじゃないだろうか?(最初に出てくるロバートの妻?) メアリというのが何者なのかはわからない。ダイアンには「君の自信も勇気もない」そうだ。結びの一文は「ぼくらの言っていることを信じるには長い時間がかかる」。タイトルがそもそもわからないものなあ。
 

「She Began」Diane Williams,2003(Boston Review)★★★★☆
 ――彼女は足が遅くて下半身がきれい。庭を横切って鉢植えに落ちたゴミを見る。庭には三、五フィートの盛り土がある。その盛り土を乗り越える。多肉植物を踏む。花を踏む。ロゼットを押しつぶす。房状の花と小振りな草をいくつか見逃すのは特に理由がある訳じゃない。あるアメリカ人カップルが彼女に気づくだって有名人だからどうか静けさをここに加えないで泣きそうになるから――そこで彼らは一緒にフィラデルフィアに滞在するよう心から誘う。彼女は感謝する飲み物におしゃべりに楽しく広がる揺れるちんけな肉体に、かすかに口を開けて踏み出す紛れもない大股に。

 上に書いたのはあらすじというよりほとんど抄訳みたいになってしまった。そのくらい短くて何だかよくわからない。タイトルは過去形だけど本文は現在形。いったい彼女は何を始めたのだろう。そして本文とタイトルの時間軸の関係はどうなっているのだろう。でもなぜかしら寂しくて辛くて精神が擦り切れてどうしようもないときに当たり前の人間と接して救われたような、ぎりぎりで助かったような気持が伝わってくる。
 

「Sweet」Diane Williams,2003(Boston Review)★★★★☆
 ――来てくれてうれしかった。あなたがここにいてくれなかったらとても寂しかったはずだ。彼らはわたしをここに連れてくるため歩道でさらってリムジンに乗せなきゃならなかったしわたしはそれを止めようとした。この初期段階に終わりがあると仮定してみる。あなたに話した男を覚えてる?――わたしを呼んで――やって来たがったので性的な関係を持つには時期が悪いと言った。だけど彼はやって来てわたしたちがやったことは独特で、あんまりよくなくて、すごくおかしくて、正しくない。

 「She Began」と同じく、精神的に追いつめられている人がどうにか自分を取り戻しかける物語のように思えるのだけれど、あえて説明しない(仮にこれが「あなた」に宛てた手紙だと考えれば、二人のあいだでわかっていることなんて現実にはわざわざ説明しないし、そうであれば第三者である読者が読んで理解できるわけもない。それを思えば、これもあぶなっかしいようで案外まっとうな語りなのかもしれない)一人語りのせいで不思議な世界をかもしだしています。


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