『モンソローの奥方』アレクサンドル・デュマ/小川節子訳(近代文芸社)★★★★☆

 『La Dame de Monsoreau』Alexandre DUMAS,1845年。

 メロドラマと歴史を掛け合わせるのがほんとうにうまいデュマの歴史小説。日本人にはビュッシーもモンソロー夫人も馴染みがないためタイトルだけではピンと来ないものの、実はデュマの代表作の一つだそうです。

 物語が始まって間もなく襲撃場面があります。細かい話はまだよくわからないなりに、これでもうがっちり読む者の心をつかんでしまいました。新聞小説らしく、ほかにも山場たっぷりです。モンソローの奥方はなぜ姿を隠しているのか……修道院に潜入したシコは見つかってしまうのか……何より最後の決闘シーンは圧巻です。

 一応のヒーローは王弟アンジュー公(アランソン公)の寵臣ビュッシー伯爵なのですが、王の道化シコが裏でおこなう活躍も見どころです。いやむしろ主に恋愛パートだけで活躍するビュッシー伯爵よりも、恋愛パートにも政治パートにも重要な役割を振られたアンジュー公や、表の政治では道化を演じ裏の冒険ではヒーローぶりを見せるシコの方が、印象は深いと言えます。道化がそばにいるせいか王はずいぶんと暢気に見えてしまうのですが、王弟の方は策士な弟――というパターンにはならず、小者と言っては言い過ぎだけど、『王妃マルゴ』のころと変わらず謀に忙しかったり堂々としようとしたりはするものの、どうもやることなすことうまくいかずに操られている感じで、ちょっとかわいそうにもなっちゃいます。シコはシコで、よからぬ企みの現場に潜入したり、決闘をしたり、変装をしたり、いわゆる冒険らしい冒険パートはビュッシーよりもむしろシコが受け持っているといっていいでしょう。

 ビュッシーがあまり目立たないのは、悪役の不在も大きい。モンソロー伯爵がもっとコテコテに極悪人なら引き立ったのでしょうが、ほとんどごく普通のコキュですからね。史実は知らないのですが、おそらく夫人を誘拐したことやアンジュー公が夫人に惚れていることはデュマの創作なんじゃないのかなあと思います。誘拐という出来事が、モンソロー伯爵を悪役にする名目にはなっていますし、囚われの美女を救い出すというはっきりした目的が、人格的な魅力があまり描かれていない夫人にビュッシーが固執する理由づけにもなっていて、そこはさすがだと思います。

 ビュッシー・ダンボワーズは実在の勇者として名高いようなのですが、その活躍ぶりはようやく最後の決闘シーンで見ることができました。ここだけなら三銃士よりもモンテ・クリスト伯よりも面白いんじゃないかというくらい興奮しました。

 冒険や活劇場面のほかにも、道化の機知も光りますし、冒頭のサン=リュック夫妻の熱々ぶりも笑えちゃいますし、怪我を負ったビュッシーを治療した医師レミ・ル・オデュアンが見せるクレバーぶりとお茶目っぷりの落差も見逃せません。

 自分でも下手の横好きで翻訳をしていることもあるので、ひとの翻訳のことをあれこれ言いたくはないのですが、かなり読みづらい翻訳ではあります……。

 アンリ三世の寵臣サン=リュック夫妻の結婚祝いから戻る途上、ビュッシー伯爵は王の寵臣たちから命を狙われる。傷を負いながらそばの家に逃げ込み、失いつつある意識のなかで、ビュッシーの目には絵のように美しい婦人が映っていた……。やがて傷の癒えたビュッシーは、その婦人を忘れられずに行方を捜し続ける。やがてたどり着いた事実――その婦人ディアーヌは、強引に愛を募る王弟アンジュー公から逃れるために、狩猟長モンソロー伯爵と結婚させられ軟禁されていたのだ。

 一方サン=リュックは新婦と過ごしたいがために王を騙したせいで、都からメリドールへと逃れていた。奇しくもそこは、娘は死んだものと思い失意の底に沈んでいたディアーヌの父の領地だった。

 ところでアンリ三世の道化シコはもとは貴族であり、自分を落ちぶれさせた者たちへの復讐の念を抱いていた。その一人を追いかけたことで耳にした恐ろしい計画――それはカトリック狂信者たちによるユグノー弾圧計画と、王の廃位と新王アンジュー公を担ぎ上げる計画だった……。

 ディアーヌ救出、王位簒奪……駆け巡る駆引きと陰謀……。
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