『アドリア海の復讐』(上・下)ジュール・ヴェルヌ/金子博訳(集英社文庫)★★★☆☆

 『Mathias Sandorf』Jules Verne,1885年。

 冒頭でデュマ・フィスに(というよりもその父親に?)捧げられており、デュマ・フィス自身も父親の『モンテ・クリスト伯』の名前を出してそれに答えています。デュマの『モンテ・クリスト伯』はめっぽう面白い作品ですが、たとえばダンテスの復讐が徹底しすぎていて引いてしまうといった瑕瑾もあります。同じ復讐奇譚としてどの点でデュマを凌駕しているかどうか、注目しながら読み進めました。

 同じヴェルヌの『地底旅行』と同様、導入は暗号からです。とはいえミステリ小説ではないので、奇想ではなく現実的な暗号ですが。

 エドモン・ダンテスがまったくの無実の罪だったのに対して、本書の主人公マーチャーシュ・サンドルフ伯爵はハンガリーオーストリアからの独立を計画している政治犯です。主義もない金目当ての人間に密告されたとはいえ、無実だったダンテスと比べてしまうと、同情と共感の余地が狭いことは確かです。

 一方でサンドルフ伯爵は数日後には銃殺される死刑囚ですから、タイムリミットまで時間がなく、しかも潔く死を覚悟してから一転、復讐を決意してから脱獄まではほんのわずかという時間サスペンスの要素を持っていました。

 牢獄が都合よく老朽化していたのはご愛敬として、脱獄してからの地下水路を流されてゆく冒険や、警官からの逃亡劇など、脱獄中のサスペンスをみっちり描いているところは、ヴェルヌに軍配が上がるといってよいでしょう。

 しかしながらそこから先は単純な復讐譚とはなりません。先に触れたとおり、そもそも『モンテ・クリスト伯』のように完全な無実でもなければ、恋人を奪われたわけでもないので、復讐の大義を読者にアピールしにくいのだから、ある意味こうした復讐からの路線変更は正しいと言えるでしょう。

 アンテキルト博士(サンドルフ伯爵)が、いざ復讐、と行動を起こそうとした途端、同胞の息子と仇敵の娘が愛し合っていることを知って計画の変更を余儀なくされ……という出来事を皮切りに、偶然と運命がわざとらしいほど重なり合い、しばらくのあいだは復讐どころではなく、ばたばたと対応に追われることになります。その「偶然」の数々はあまりにもベタですが、復讐を期待していた身としては意表を突かれた形で楽しめました。

 ようやく本腰を入れて復讐に取りかかれるのは、本書の四分の三に差し掛かった辺りから。ここからはわりと単調な復讐劇となり、特筆すべきはサヌーシー教団を絡めたところくらいで、「逃亡劇>運命の悪戯>復讐劇」というような順番で序盤のほうがより面白い作品でした。

 1867年、オーストリア帝国支配下、祖国ハンガリーの独立をめざしひそかに活動していたサンドルフ伯爵は、裏切り者の密告により、財産を奪われ、同志ザトマール伯爵、バートリ教授とともに牢獄につながれた。雷鳴とどろく夜、脱獄を決行するも失敗、同志ふたりは殺され、自らも追い詰められて海の藻屑と消えた――。15年後、地中海をまたにかけた復讐劇は幕を開く……。“巌窟王”を凌ぐ傑作、登場!(上巻カバーあらすじ)

 豪華ヨットに乗り、どこの国にも縛られず病人を看る、地中海諸国では知らぬ者とてない名医アンテキルト博士。これこそ復讐の鬼となったサンドルフ伯爵の仮の姿であった。シチリアジブラルタルアルジェリア――。仇敵を追い求めての旅もついに大団円を迎える。彼の本拠地である理想郷アンテキルタ島に迫る海賊の軍団。めざす裏切り者はその中にいる……。波瀾万丈の一大ロマン、ここに完結!(下巻カバーあらすじ)

   


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