『煙草屋の密室』ピーター・ラヴゼイ/中村保男他訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★☆☆

 『Buchers and Other Stories of Crime』Peter Lovesey,1985年。
 

「肉屋」(Buchers)★★★★☆
 ――ビュー肉店の冷蔵庫の中で週末を過ごしたが、当人はいっこうに気にしなかった。凍死していたのだからそれが当たり前というものだった。その扉の反対側でジョーが開店の準備をしていた。見習いのフランクがエプロンを結んでいる。「肉がまだ出ていないようですね」「パーシーがまだ出勤していないんだ」

 叙述的な引っかけというのは地の文に仕掛けられることが多いと思うのですが、本作では作中人物と読者が一緒になって騙されることができるようになっています。この臨場感が得難い一篇でした。
 

ヴァンダル族(Vandals)★★★★☆
 ――男は棚から大きな花瓶を取り出した。「すごい。嘘みたいな上ぐすりだ」「かなりの逸品ですわ」とミス・パーメンターも相槌を打った。「日本旅行のあとの作品だな」「誰が作ったかご存じなの?」「お姉さんでしょう」

 読み返してみると、タイトルと冒頭の文章の意味にぞくりとします。「よっぽどお姉さんが憎かったんだろう」という一言で表された狂気の深さには、戦慄するという言葉でも追いつきません。その手間を考えると、ひたすら気持ち悪い。そこまで憎いのか……と。
 

「あなたの殺人犯」菊地よしみ訳(The Corder Figure)★★★☆☆
 ――ミセス・ダバナンは古書店の棚に飾られた彫像を見やった。「コーダーというのは誰かしら?」「名うての殺人犯です」店主のバタリーが答えた。「まあ、こわい! 骨董品なんでしょう。価値はどれくらいありますの?」……オークションで手に入れた千ポンドを元手に、バタリーはミセス・ダバナンをフランス旅行に誘ったが……。

 モテない男は勝手に熱くなってしまい。有閑マダムはもちろんはなから遊びのつもりで。「偶然」すらもゲームで演出してしまう夫人の洒落っ気が、野暮な相手にはまったく伝わらず。。。
 

「ゴーマン二等兵の運」高見浩訳(Private Gorman's Luck)★★☆☆☆
 ――よくよくツいてないのだ、というのがゴーマン二等兵の見解だった。憲兵隊につかまったのはこれで七回目。残念ながら、教練同様、脱走も下手だったのである。だが空襲のどさくさにまぎれて、今度こそは――。

 落ちに向かって辻褄を合わせるために、無理矢理ゴーマンを目的地に向かわせている感は否めません。お約束ならお約束で、ゴーマンが間抜けであることをあらかじめもっと強調してくれないと。
 

「秘密の恋人」(The Secret Lover)★★★★☆
 ――その男が保健所にやって来たのがきっかけだった。事態はパムがその男とベッドを共にするところまで発展していた。普通の意味では「愛人」ではなかった。いっしょに寝るのと愛の交わりをすることとは必ずしも同じではないのである。

 これは話の筋の転がり方が最後まで予想つきませんでした。改めてみると伏線と呼ぶにもあからさますぎるほどわざとらしい設定なのですが、大胆でブラックな、嫉妬のスイッチの入り方が絶妙です。
 

「パパに話したの?」宮脇孝雄訳(Did You Tell Daddy?)★★★★☆
 ――ジョナサンは村じゅうにせっせと手紙を配っていた。若いころの父が母親のサリーに送った恋文だった。ワードローブの底でそれを見つけたジョナサンは、郵便屋になりたいという願望を実現させた。やがて隣人が次から次へとやって来た。「この手紙、お宅のじゃないかしら。きっと坊やのいたずらよ」

 さすがに母親が「そんな行動」に出るまで思い詰めるところは無理がありますが、その点を除けば、さり気ない伏線が本書中でも見事に決まっている一篇でした。無理な行動に思える点も、実は「手紙」探しの伏線隠しやミスリードに一役買っているのも事実です。
 

「浴槽」谷田貝常夫訳(The Bathroom)★★☆☆☆
 ――メラニーは浴室の引き戸をしめた。自分が女王にでもなったような気がした。モザイク模様のタイル、間接照明、くもらない鏡、床には白のカーペット、浴槽の脇には白い毛皮、椅子まで置いてあった。浴槽の長さは二メートルもある。

 犯罪計画ではなく、メラニーが考えたようにサイコもののようです。犯罪ノンフィクションの本を読んで気づくというのが強引。
 

「アラベラの回答」深町眞理子(Arabella's Answear)★★★☆☆
 ――1878年3月、まだ十五歳の女性が、未婚の紳士の晩餐会に顔を出すことは許されません。1880年2月、アラベラ、あなたの懸念は、若い女性にありがちな恥じらいからきているように思います。……

 雑誌の人生相談コーナーの記事だけからなる作品。待っていたのは、何という逆説――ですが、こういうタイプの女が現実にいそうなところが怖いです。
 

「わが名はスミス」高見浩訳(How Mr Smith Traced His Ancestors)★★☆☆☆
 ――飛行機で知り合ったアメリカ人の中年男は、エヴァにこう話しかけた。「この辺で年来の宿願を果たそうという気になったんだ――つまり、イギリスに行って、自分の家系の人間え誰か生き残っている者を捜してみよう、と」

 奥さんが蒸発したというのが伏線になっているといえばいえますが、この真相は反則だなあ。。。反則というより、もっとひねった真相を期待したのに当たり前すぎてがっかりした、というのが正確なところです。
 

「厄介な隣人」大村美根子訳(Fall-Out)★★★★☆
 ――「斧をください」男は客のなかで異彩を放っていた。色あせたジーンズ、長い髪、イヤリング、ネックレス。「いったい何に使うんですかね、近所の連中を叩き切るつもりじゃないんなら」店主の言葉を聞いて、得意客の一人が呆然としていた。クローシャーは斧を買った男の隣人なのである。

 これでもかというくらいにねちねちと偏執狂ぶりが描かれているので、そういうイヤ〜な話なのかと思ったら、最後のひとひねりが効いていました。むしろイヤ〜な人でなければ成立しないんですよね。
 

「ベリー・ダンス」(Belly Dance)★★★☆☆
 ――健康増進講習会でやったベリー・ダンスがきっかけで、わたしは夏祭りでベリー・ダンスを披露することになった。「某サルタンのハーレムを脱出したベリー・ダンサーのヤスミン」と銘打って、独演権をチャリティのオークションにかけることに決まった。

 落札者を明かさない仲介者に不安に感じているのは、なるほど語り手だけではないわけで、当然不安を感じているべきもう一人の人物を隠すためにも、語り手の一人称というのは効果的です。
 

「香味をちょっぴり」(Trace of Spice)★★★☆☆
 ――「このあいだの書評であんたが使った表現は、〈香味なき十年一日の如き調理法〉でしたわ」「あの作品にはとんでもない無理がある……」

 事実は小説より……? 批評家パロディ。
 

「処女と猛牛」深町眞理子訳(The Virgin and the Bull)★★★★☆
 ――アリスンは司祭の一人娘、トムはパブの親父の伜だった。トムが初めてアリスンを自宅のパブに招待した日、「乙女座と牡牛座の組み合わせはおすすめできないわ」と占い師が言ったのを聞いて、長年アリスンを追いかけ回してきたルーファスが笑い出した。「処女と猛牛だって? お笑い草だ」

 わたしは星座に興味がないので最後まで楽しめましたが、ふつうはどうなんでしょうね。日本人は血液型&星座占いが異常に好きなイメージがあるので、「はて?」と思う方も多いのかな。二人の性格を表す軽いおしゃべりが、同時にさり気ない伏線になっているのは見事です。
 

「見つめている男」(The Staring Man)★★★☆☆
 ――新婚旅行の写真を見ていたジェイミーが言った。「おんなじ奴がきみを見ている。こっそりと慕ってるんだな」「あなた、実は秘密にしていたことがあるの……」ドナは生まれや財産のことで嘘をついていたことをジェイミーに告白した。

 ウールリッチみたいな展開のサスペンス。
 

「女と家」(Woman and House)★★☆☆☆
 ――トムがペンザンス支店の支店長に抜擢され、アニタとトムは引っ越すことになった。グラス氏という人物は家を売る際、趣味や週末の予定などをしつこくたすねた。「信頼できる人にしか売りたくないんですよ」

 これはさすがにいくらなんでも最初から最後までご都合主義すぎ。
 

「煙草屋の密室」(The Locked Room)★★★☆☆
 ――警部がやって来たのは或る水曜日のことだった。「この店の経営者のブレードさんですね。二階の部屋には借家人がいるはずですね」「メスターさんです。事務所として使っていて、火曜と木曜に郵便物をとりにやって来ます」「妙ですな。自宅でもできるのに、わざわざ家賃を払ったりするなんて」

 思わせぶりな邦題がむしろ秀逸(原題はミステリ的な意味での「密室」ではなく、「鍵の掛かった部屋」という意味なのです)。かなり現実味のある原理を利用したコンゲーム小説なのですが、「部屋の中が見られない」だからこそ「謎の下宿人」的な好奇心に加え、同じくだからこそ騙されてしまう心理に付け込まれるという、「密室」を軸にした筋がきれいに通ってます。

 


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