ここで言う「王朝」とは日本限定、平安朝〜承久の乱までの時期を指すとのこと。当たり前といえば当たり前ですが、国内作品ばかりでした。既読も多かった。
「鶯」安西均 ★★★★☆
――蹴鞠をやめて神々は/軍《いくさ》の仕度に出かけてしまった/取残された地球のような鞠を拾って腋に抱き/ひとりの花聟の神は静かな足どりで……
詩。蹴鞠や白木造りや梅といった単語はどこからどう見ても日本なのに、「軍《いくさ》」の一言で、まるでキリスト教かギリシア神話の天使か神々のような雄大な景色が目に浮かんでしまいました。
「応天炎上」小松左京 ★★☆☆☆
――応天門消失の謎に若き日の菅原道真が挑む。
歴史小説の文体なんですよね。。。作者が読者に講義調で解説。それとこれだけ有名人が登場しながらことごとく魅力がないのもしんどかったです。一応、応天門炎上の真相をさぐるミステリ仕立て、です。
「みのもの月」三島由紀夫
「絵巻のために」與謝野晶子
「手枕」本居宣長/須永朝彦訳 ★★★☆☆
――前坊(前皇太子)は行末めでたく何の不足も無き御身にて坐したのに、如何なる御心にか、東宮の御位をも辞し給うて、六条京極の辺りに居を定められた。その頃の大臣の御女を、一筋に御契りの深く坐すほどに、御息所はたいそう可愛らしい女宮を生み奉り給うた。
六条御息所と光る君の前日譚を描いたパスティーシュ。正典では強い個性が印象的な六条御息所ですが、本篇では控えめで淑やかな女性として描かれています。気位が高く凜としたところが後の御息所を思わせます。
「鶯姫」谷崎潤一郎 ★☆☆☆☆
――青鬼「爺さん、それ程王朝時代に憧れて居るなら、俺の神通力で都の景色を此処へ出現させてやろうか」。老人「ああ、彼処へやって来る車の中に姫君が乗っていらっしゃるのだな。一と眼でもいいから拝む訳には行かないかな」
老教師が鬼に願いを叶えてもらうものの――というジュヴナイル戯曲。
「夢魔の森」小沢章友 ★★★☆☆
――わが土御門家に伝わる糸息術のおかげで、わたしは対手の夢に自在に出入りできるまでになっていた。目を凝らすと、孔雀院が眠っていた。わたしは一瞬息をのんだ。院の胸に奇怪な猿がすわっていたのだ。猿め。御所さまの魂魄をとるつもりか。
ぐっと雰囲気が変わって、角川ホラーチックなライトな伝奇もの。陰陽師の一人称というのが何だか間抜けな感じですが、一人称でなくてはいけない構成なので仕方がない。そして猿(人型)でなくてはならない。
「和泉式部など」円地文子 ★★★★☆
――ほんとうに和泉式部という人は、口にすることがそのまま、歌になってしまう質の天成の詩人ではなかったのだろうか。
「久しかりけり――和泉式部歌抄」
「新猿楽記 序」藤原明衡/須永朝彦訳
「蘆刈」山本周五郎 ★★★★☆
――この数年世間をさわがせていた大盗小舟がついに捕えられた。あきらめているとみえてほかのことはすらすらと白状するのに、身許と生い立ちについては口を割ろうとしない。これは追求しない方がいいのかもしれないと思ったが、資康は取調べてみることにした。とろこが小舟の微笑を見た時、この顔をどこかで見たことがあるような気がした。
説話にある人生の奇縁話を取り込んで、それを活かしてそこから「悪」の存在にまでふくらませた利用の仕方が光ります。飽くまで「なぜ――?」と常識的に問いかける資康とともに読者をも嘲るような哄笑が響き渡ります。二段組みだと余白が広くなるので、図らずも最後の一文の後の空白が恐ろしい。
「鬼」福永武彦 ★★☆☆☆
――正親の司に仕えている若者が、旅人の宿に向かった。若者の妻は容貌が醜いばかりでなく、心ざまも賤しかった。或る日、女車の簾から覗いた女房に恋心を抱き、宿の女を仲立ちにして、忍び会っていた。
再話部分は面白いのに、余計なつけたりで台無しに。説話には人物描写も心理描写もほぼないので、そこをどう描き足すかというのも作者の腕の見せ所だと思うのですが、平凡極まりなかったです。
「曠野」堀辰雄 ★★☆☆☆
――父母に死なれて一人きりに取り残されて、女は途方に暮れずにはいられなかった。勿論、男は夜毎に来て、いたわり尽くしてくれはくれた。だが、世の中を知らない二人だけでは、すべてのことが思うにまかせなくなって来ることは為方がなかった。
堀辰雄というと元祖・登場人物を死なせる悲恋というイメージですが、本篇もしっかりイメージ通り。主体性のない男女がだらだらと運命に流されます。
「龍」芥川龍之介
「蜂飼の大臣」『十訓抄』須永朝彦訳
「無月物語」久生十蘭
「夢の通い路」須永朝彦