ふつう個性派というと「個性ありき」でその他がお粗末、ということにもなりかねないのですが、著者にはまんべんなく才能に満ちていて驚きました。文章には中毒性があるのに癖がなくて読みやすく、内容にかかわらず文章を読んでいるだけでも面白い。しかもこれだけ複雑な内容なのに読みやすいのは、文章のためだけではなく、設計図が著者の頭のなかにしっかりと出来上がっているからなのでしょう。トリックや推理だけではなく明らかに構成まで考えられています。これだけ複雑だと並の作家なら解決編に推理をだらだらと費やしかねないところを、あっさり済んでいるのはその証拠です。
「赤痣の女」(1948)★★★★☆
――青酸カリを注射して自殺した男がいると聞き、緒方技師は現場に赴いた。現場が密室だったことからも自殺に間違いないように思えたが、二十万円が消えており、自殺の三十分前に愛人と目されるB子が挙動不審な行動を取り連行されていた。
警視庁鑑識課技師・緒方三郎もの第一話。異なる角度から見ることでものの見え方ががらりと変わる構成を、すでに自家薬籠中のものにしているのが見事です。トリックよりもロジックや物語の転がし方に興味の中心がある点や、エログロではないすっきりした文体など、当時の探偵小説としてはかなり新しかったのではないでしょうか。当時の風俗をからめた事件や、飄々とした緒方のキャラクターもいい。
【※ネタバレあらすじ*1】
「三月十三日午前二時」(1948)★★★★★
――拝啓、僕は室田邸にて絵を描いている。この家には不思議な因縁があって、主人の母と祖母が三月十三日に白無垢姿で井戸に身を投げ頭を割って死んでいるのだ。祖父の庸助は因業な男で、祖母が死んだときには祟だと囁かれた。/拝復、ヰドヲミハレ 緒方三郎。
安楽椅子もの。とはいえ関係者が死んだ今となっては真相は藪の中。トリックがわかったあとも動機――それも犯人の動機よりも「被害者がなぜそのような行動を取ったのか」という謎が残り、そこにこそ本篇の核がありました。そこに速水の小説的推理と、緒方による指摘(犯人さえ予想しえなかった人間心理の綾)が加えられます。緒方の指摘には説得力があります。
「大師誕生」(1949)★★★★★
――池から龍が昇るのが目撃された高野山龍光院。蓮妙尼の息子・圭男が遺骨となって戻ってきたというので、友だちだった速水と青柳は龍光院を訪れた。被爆した圭男はその直後ベールの女に連れ去られたまま行方不明だったのだ。蓮妙尼によればその遺骨が話をするという。
何という伏線! この伏線ゆえに「三月十三日午前二時」のトリック以上のインパクトを有しています。それにしても途中で挟まれる速水と青柳の推理(もどき)が馬鹿馬鹿しくて面白すぎる。詐欺師が奇跡を企んでいるので奇術のオンパレードで、これまでの二作とはトリックのタイプが違うのも各話ごとによく練られています。
「美しき証拠」(1950)★★★★☆
――製靴会社社長・平川民男と元華族令嬢・由紀子の結婚当日、初夜直前に民男が毒死した。服用十五分で効果があることから、他殺だとすれば由紀子夫人よりほかない。さりとて民男は自殺するようなタマではない。さらに民男は結婚の数日前にバーの女主人と車に乗ってしけ込んでいた。
トリッキーな前三作とは一転、かなりシンプルな作品です。恋ゆえに殺人を犯した犯人を、その思いに訴えて罪を認めさせる、心理を突いた解決編はこの作品にはぴったりです。しかしこの証拠が例えば恋文のようなものであったら、単なる安いお涙頂戴でしかなかったでしょう。黙して語らず、されど思いは……犯人と緒方の、最小限のやり取りゆえに、作品が引き締まっています。
【※ネタバレあらすじ*2】
「黒子」(1949)★★★★☆
――元日。押合いの車内で、女は自然と触れていた手もその儘に男の胸元に倚り添えば、男の手も同時に絡み合って指が軋んだ――熱海のあの夜以来家に籠って、頭の中では充分に捏ね上げたつもりのこの(黒子)と題する探偵小説だが、いざ始めてみるとぎこちない。
三号連続短篇掲載の第一弾。自分の体験をもとに小説を書き始めた語り手が、小説の筋を模索しながら、重ねて自分の行動を振り返る――安っぽいスリラー(作中作)であると同時に、ビターで切ない恋愛譚。
「立春大吉」(1949)★★★★★
――「仏様の画の前でこんなこと、気がひけますわ」「外して藪にやっても困るだろう。医者の玄関に来迎の図ではね」藪の名を出したとは油断大敵。捜しあぐねていた隠し場所も、梅子に見抜かれてしまったろう。
医者と妻が共謀して毒を盛ろうとしたことに気づいた語り手が、病床で首飾の新たな隠し場所を模索していると――ということ自体がミスディレクション。毒で一時的に身体を壊していただけで、病や老いで寝たきりというわけではないのです。ということに気づいたときには時既に遅し。これまた見事な伏線とともに、畳みかけるような解決編が待ち受けていました。
「涅槃雪」(1949)★★★★★
――濁った頭で満州から引揚げて来た信次は、といかく故郷へ帰ってみた。兄上戦死の公報が入って十ヶ月、嫂に対する信次の気持に就いては、私はただ率直であれとすすめたのだった。そこへ一片の予告もなく南方の孤島から兄が帰った。こうして今私は信次の故郷の寺へ向かっている。
横溝正史好みのシチュエーションに、正史好みの真相が――とはなりませんでした。この三人に三角関係は成立しようがなかったのです。どろどろの人間性などかけらもない兄と、ゆえに起こった弟の人間的な悲劇。映像的なトリックとびょうびょう吹く虚無の風に、しばらくのあいだ打ちのめされてしまいました。
「暁に祈る」(1949)★★★★★
――床に腹這って、今を最後の文字を綴る。死刑囚の独房。Xのつてで診療所に勤めたが、S子に手を出したのがいけなかった。逃げるように日暮の街へ出ると、淀んだ空気にひっそりとした場所で、顔を覗き込んでいたのがI子だった。
物的証拠にはならないただの言葉を、物的証拠とすべく、死刑囚が取った執念。狂気にも似たこういう観念的な行為を読むと、現実ではまずあり得ないだけに、胸を突かれるようなカタルシスが湧いてきます。
「雪に消えた女」(1950)★★★★☆
――三上巡査に探偵小説趣味がなかったら、この事件も闇に葬られてしまったであろう。その夜は近頃にない大雪になった。その雪の上に点々と女の足跡が続いている。防火用水槽の前で足跡が途切れているのを見て覗き込むと、虎皮の外套だけが浮かんでいた。
冒頭の文章にすっかり騙されてしまいました。そういう意味でしたか。それにしても、ただ単に消失するだけでなく、外套だけを残して――というのがこんなにも魅力的だとは思いませんでした。
「検事調書」(1950)★★★☆☆
――「君は竹中とも子との心中の事実を素直に認めながら、三田光子殺害の方は証人を前にしても否認し続けているそうだ」「とも子は勝手に自殺したんです」「自分の言葉に矛盾があるとは思わないか?」
やけっぱちになっている容疑者の言葉を丁寧に引き出してゆくことで、やけっぱちな理由も事件の本当の経過も少しずつ明らかになる過程は、容疑者の心のなかを直接たどっているようでした。
「浴槽」(1950)★★★★☆
――S高原行きの列車の同乗者の青年が聞かせてくれた――C殿下がいらっしゃるというので叔父から手伝を頼まれました。湯加減でも見ておこうかと浴場に行くと、浴槽から人の顔がすっと浮かび上がった。
スマートな「現実」に対してあまりにもひねくれた探偵作家の「反抗」は、手の込んだ殺人事件を作りあげねばならない探偵作家である著者の精一杯の叫びでしょうか。
「幽霊はお人好し」(1952)★★★☆☆
――「ああ春子!」自称ユーモア作家の夏川君が断崖から投身自殺を企てたのには事情がある。探偵小説家を自称する秋山君の薦めで雑誌に小説を持ち込み、叔父の金融業者から融資を取りつけ、編集者と恋仲になり、順風満帆のはずだったが――。
自殺未遂で幽体離脱してしまった青年が巻き起こす騒動を描いたユーモア小説。
「師父《ファーザー》ブラウンの独り言」(1953)★★★☆☆
――カトリック系J大学の瀬下教授は、その容貌と推理力から師父ブラウンと呼ばれていた。椎名早苗の懺悔と自殺は思いもかけないことであった。信頼している学生AとBと出かけた際に颱風に遭い、山荘に泊った夜、何者かが早苗を犯してしまったのだ!
本書収録のエッセイからもわかる通り、これはブラウン神父が先にあったわけではなく、核となる「あることがら」にカトリック世界が要請された結果として、だったらブラウン神父を――ということのようです。ですからチェスタトン流のロジックを期待してはなりません。
「胡蝶の行方――贋作・師父ブラウン物語――」(1953)★★★★☆
――白い袋から真黒けな怪物が踊り出た。「やったな!」フランボウが捕虫網をよけて凄めば、蝶の蒐集家マクロード博士も負けてはいない。「逃がしてしまったじゃないか!」フランボウは花から宝石を連想し、博物学者は蝶の夢を見る。だが師父ブラウンには花野は花野にしか見えなかった。博士の家に招待された二人を待っていたのは、標本の消失だった。
再読。こちらは「師父ブラウンの独り言」とは違い、正真正銘の贋作で、チェスタトン流のロジックが冴えています。風景描写からフランボウの頭へとつながる映像的な冒頭から、「脛は長すぎる」とフランボウを諫めるブラウンのレトリックなど、トリックやロジック以外にも隅々にまで気の遣われた模倣ぶりにはただただ感服するのみです。
「贋作楽屋噺」(1954)★★★★☆
――先日、奇妙な体験談を聞いた。呑み屋にくる女性が白い粉を混入しながら酒を飲んでいるのであった。「ふン、これはね、戦争で死んだ亭主の遺骨なんだからね……」
上記「師父ブラウン」もの二篇が誕生するきっかけを綴ったエッセイ。著者の創作の仕方を知る貴重な文章でもあります。
「雪ざらし」和田周、「大坪砂男のこと」谷崎終平、「解説」澁澤龍彦、「書評 量産不向きな文体の確立――『大坪砂男全集』(全二巻)」窪田般彌(1972)
薔薇十字社版全集の月報・解説・書評。澁澤の解説はこの文庫版全集ではほかの巻に収録されている作品についても触れられているので、ほかの巻も読んでから読むことをお勧めします。
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*1 男Xはモルヒネを密売しており、本人もモルヒネ中毒だった。愛人B子と付き合っていた隣人Aがモルヒネを隠していた座蒲団を古物商に売ってしまい、Xはモルヒネがなくなり絶望して自殺したと思われたが。緒方はXからモルヒネを買っていた区議Mが犯人だと指摘する。その後、新聞にはMの自殺が報じられたが……。緒方は友人の作家・速水時夫に、「B子は意地の強い女だった」と告げるのだった――。
*2 犯人は秘書の北条。北条の幼なじみのバーのママとヤらせてくれと、あろうことか北条に取次を頼む民男。それが原因かと思われたが――。実は北条は由紀子と以前にばったり会って一目惚れしていた。由紀子がフリージアの花束を抱えて花屋から出て来るところだった。もともと女遊びが過ぎたせいで不能になった民男は、それでも変態性欲者となって女遊びを続けていた。そこに持ち上がった由紀子との結婚話。北条は回春薬と称して毒薬を飲ませることにした。だが民男は、薬の効能を試すために北条の幼なじみで試させてくれと言い出す始末。だが証拠はなかった。そこで緒方は一冊の本を取り出す。北条の本だ。そのページにはフリージアの押し花が。そしてそのページは、アーネスト・ダウスン「シナラ」。自分流に愛する人――。