『ブラウン神父の無心』G・K・チェスタトン/南條竹則・坂本あおい訳(ちくま文庫)★★★★☆

 『The Innocence of Father Brown』G. K. Chesterton,1911年。

「青い十字架」(The Blue Cross)★★★★☆
 ――パリ警察のヴァランタンは、六フィートの背丈のある男を探していた。大犯罪者フランボーが、ロンドンへ向かったという情報を得たのだ。うんと背の低いローマ・カトリック教会の神父は論外だった。「青い宝石のついた貴重な十字架を持っているので、わたしは用心しなければならないんです」と自分から吹聴していた。

 一話目にして名台詞「犯罪者は創造的な芸術家だが……」が飛び出す作品ですが、同時に犯罪者でなくとも創造的な芸術家たりえることが明らかにされる作品でもあります。神父がおこなう奇妙な行動には二つの系列があったということを、再読するまで忘れていました。一つは、連れに後ろ暗いところがあるかどうか確かめるため。二つ目に、優れた探偵でもある神父は、ヴァランタンの思考も読んで、手がかりを残すため。もちろん普通の人間がやったなら連れに怪しまれること請け合いですが、やることなすことドジでダメな神父という姿が印象づけられているからこその方法だと思います。
 

「秘密の庭」(The Secret Garden)★★★☆☆
 ――パリ警視総監ヴァランタンは晩餐に遅れてきたため、お客が先に到着していた。外人部隊のオブライエン青年がマーガレット嬢といるのを見て、父親のギャロウェー卿は苛々していた。ブレインという百万長者は食堂で葉巻を吸っていた。最近知り合ったばかりのブラウン神父もいた。正面玄関以外には出入口がないこの屋敷の庭で、首を切断された見知らぬ男が見つかった。

 どちらかと言えば逆説とトリックが魅力のブラウン神父シリーズにあって、珍しく犯人の意外性で記憶に残る作品ですが、読み返してみると「庭からは出ていません」「庭から出ていないですと?」「完全に出たわけではありません」「人間は庭から出るか、出ないかのどちらかだ」といった、いかにもチェスタトンらしいやり取りも交わされていました。シリーズ中でも無理筋度では群を抜く、それでもなお鮮やかでもあるトリックです。
 

「奇妙な足音」(The Queer Feet)★★★★☆
 ――発作を起こした給仕の懺悔を聞くために、ヴァーノン・ホテルに呼ばれたブラウン神父は、足音に気を取られた。初めに、競歩をしているような足音が続いた。それがあるところへ来ると止まり、ゆっくりとした歩みに変わった。

 のちの「透明人間(見えない人)」にも一脈通ずる「変装」が鮮やかです。人間を形成する材料にはさまざまなものがあり、その同じ部分と異なる部分をうまく利用した犯罪でした。
 

「飛ぶ星」(The Flying Stars)★★★★★
 ――「僕は泥棒になるために生まれたんだ」皮肉屋の社会主義者・新聞記者のクルックはルビーに言った。ルビーの家にはクリスマスの客が集まっていた。父親の大佐のほか、名付け親フィッシャー爵士、叔父のブラント、ブラウン神父。神父の一言がきっかけとなり、パントマイム劇が始まるなか、ルビーへの贈り物であるダイヤモンド「飛ぶ星」がなくなった。

 著者自身が書いている通りフランボー一世一代の「天才的」「最高の出来」「一番素晴らしい犯罪」です。何よりも素晴らしいのは、これがフランボーのアドリブだということで、115ページのブラウン神父の言葉から、116ページで受け取った手紙までの間に、芸術的な計画を組み立ててしまったのだから恐れ入ります。決して苦しまぎれなどではなく、この時この場所でしか出来ない犯行だというところに凄さがあります。
 

「透明人間」(The Invisible Man)★★★☆☆
 ――小男のスマイズと藪睨みのウェルキンに求婚されたローラは、二人の醜さに怖気をふるい、親からもらった遺産ではなく自力で道を切り開いた人と結婚したい、と嘘をついた。やがてスマイズから成功したという手紙が届き、直後ウェルキンの声が脅迫するのが聞こえた。それからも脅迫は続くが本人の姿は見えず、とうとう血痕を残してスマイズも消えてしまった。

 「人はこちらの言うことには、けっしてこたえない」という神父の言葉が印象的な一篇です。注意しておくべきは、「殺人が起こったことをフランボーたちが目撃者に説明している描写がない」ということでしょう。その時点では目撃者たちは異常事態を認識していない可能性があるのです。さすがに殺人が起こって犯人らしき人間を見なかったか?と聞かれたならば、「見えない」人も見えないままではいられないでしょうから。その意味で「秘密の庭」同様、本格的な捜査が始まってしまえば謎でも何でもない事件が、瞬間で切り取られたがゆえに魅力的な事件に見えている作品だと思います。ブラウン神父の世界でしか起こりえない事件を、ブラウン神父だからこそ解決できた事件でしょう。従来「見えない人」「見えない男」の訳題で知られていましたが、原題はウェルズの名作と同じ「The Invisible Man」、新訳版の邦題も「透明人間」となっています。探偵となったフランボーが初めて登場しています。
 

「イズレイル・ガウの信義」(The Honour of Israel Gow)★★★★☆
 ――庭師と馬丁を兼ねたガウという男が、姿を消していたグレンガイル城の当主を棺に納めて埋葬したと聞いて、かねてから当主について調べていたフランボーが城に赴いた。そこにあったのは、裸のダイヤモンド、煙草入れのない嗅ぎ煙草、機械のない発条、燭台のない蝋燭。後光の切り取られた宗教画を見るに及んで、ブラウン神父は黒魔術のことを口にするのだった……。

 フランボーと警部による「(ばらばらの)手がかりを結びつけることなぞできません」という言葉を受けて、ブラウン神父が繰り出す口から出任せの数々が見逃せません。これまで超人的な頭脳の冴えを見せてきたブラウン神父ですが、この話ではなかなか真相を見抜けず、あろうことか黒魔術さえ疑うような言葉を口にします。ワトソン役の一言で、欠けていた最後のピースがぴたっと嵌ってオチとなる、軽妙な作品です。P.178「いつぞやの紙だって、ちゃんとした形ではなかった」というのは、次の「間違った形」のことで、発表順だと本篇の方が後だったため、このようなことになっています。
 

「間違った形」(The Wrong Shape)★★☆☆☆
 ――クイントン氏はインド帰りの詩人だ。T字型の奇妙な家を建て、怪しげなインド人を招いていた。クイントンのためにハリス医師が温室で睡眠薬を処方していたところ、アトキンソンという男が金をせびりにきた。やがてクイントンが死体で見つかる。胸にはいびつな形の短剣、テーブルの上にはいびつな形の紙に書かれた遺書が……。

 読み返してみてもかなり地味な作品です。間違った形の紙の正体や殺害方法については今となっては古典的なものです。間違った形のナイフだから○○(医者)にしか正確に刺せないというのは納得しがたい言い分です。動機もなんとも即物的です。厳密に言えば、愛情という自然な気持にしがたうのは「正しいこと」だと思っていたのに、犯行後に「間違ったこと」だと良心の呵責を感じる話なので、サイコ→宗教という非日常のはずなのですが、世間に照らせばやっぱり即物的です。
 

サラディン公の罪」(The Sins of Prince Saradine)★★★★☆
 ――盗賊王だったフランボーは賞讃や非難の手紙を何通ももらっていた。引退したフランボーはブラウン神父とともに手紙の送り主であるリード島のサラディン公を訪れた。だが神父は「間違った場所に来てしまった」と嘆くのだった。やがてアントネッリ青年が島を訪れ、父の仇サラディン公に決闘を申し込んだ。警察を呼びに行った執事のポールは戻ってこない……。

 すっかり内容を忘れていましたが、現役時代のフランボーの手口が、「どなたか御滞在ですか」「木の葉は森に」的な「型」として援用されているというところが、非常に面白い作品でした。そっくりの兄弟というのは探偵小説的にフェアなだけでなく、サラディン公をじかに知っている者がその場にいないという点で現実的にもぎりぎりフェアであり得るように描かれています。フランボーが「妖精」と評しているように、川を漕ぎ進んで川のなかの孤島へと向かう場面は、おとぎの国に迷い込んだような非現実感をもたらしています。
 

「神の鉄槌」(The Hammer of God)★★★☆☆
 ――信心深いウィルフレッド・ブーン師とは違い、兄のノーマン・ブーン大佐は快楽を貪っていた。「兄さんは神を恐れなくても人間を恐れる理由があるはずだ。鍛冶屋のバーンズにかかったら、投げ飛ばされるよ」「鍛冶屋なら出かけてる」大佐はそう言って、美人の女房に会いに行ったが、やがて小さな金槌で頭蓋骨を潰された姿で発見された。こんなことができるのは力持ちの鍛冶屋だけ……。

 見下ろすことに慣れてしまった人間、という神父の指摘が象徴的です。トリックとも言えないような犯行方法が、「神の鉄槌」というキーワードによって活かされています。神に代わって裁きをおこなうことが許されていると錯覚してしまった人間の魂をブラウン神父が救います。
 

アポロンの目」(The Eye of Apollo)★★★☆☆
 ――フランボーの新事務所の上には太陽神を崇める新興宗教の事務所があり、下の階にはタイピスト姉妹がいた。姉のポーリーンは莫大な富を相続しており、眼鏡や絆創膏のような人工的な器具を憎んでいた。正午の鐘がなるころ、教祖カロンがいつものように祈祷の演説を始めた。そのとき凄まじい音が聞こえ、エレベーターの竪穴から落ちたポーリーンが見つかった。

 自分の手を汚さないという意味で汚らわしいのはプロバビリティの犯罪でしょう。ましてや、殺意を持っておこなうプロバビリティの犯罪よりも、そうした殺意を見越したうえで標的が殺されたときの用意しておくプロバビリティの犯罪のほうが、いっそう卑劣で不快なものです。「大きい罪」のトリックとそれを見抜くブラウン神父の慧眼が印象的な反面、悪意という点では「小さい罪」のほうが印象が強い作品でした。
 

「折れた剣の招牌」(The Sign of the Broken Sword)★★★★★
 ――「賢い人間は小石をどこに隠す?」「浜辺ですね」「木の葉は?」「森です」ブラウン神父とフランボーはセントクレア将軍の墓碑を訪れていた。最後の戦闘では、勇敢で慎重な将軍が無謀な作戦をおこない、善良な敵将が将軍の死体を木に吊るして折れた剣を頸にかけるという野蛮な真似をした。

 あまりにも有名な名台詞とそこから導き出される悪魔的所業が記憶に残る傑作です。折れた剣の碑があふれるなか、「折れていない剣」の記録がないことから、剣の折れた時期と原因を推測してゆくという、まさに逆説の光る一篇でした。
 

「三つの凶器」(The Three Tools of Death)★★☆☆☆
 ――エアロン・アームストロング爵士は滑稽なほど愉快だったから、爵士が殺されたと聞いてもおかしな感じしかしなかった。大きすぎる凶器――大地に頭を砕かれて死んでいた。誰が爵士を突き落としたのか。首ではなく足に巻かれた縄、血塗れのナイフ、床に向かって発砲した拳銃、多すぎる凶器の果てに、死因は墜落死なのだ。

 三つの凶器に、三つの矛盾(足に巻かれた縄、床に発砲した拳銃、酔っぱらいが手をつけなかった酒壜)という三づくしまではよいものの。楽天家の死の真相について、「どれほど恐ろしい失敗でも、罪のように人生を毒することはありません」という神父の楽観的なコメント。あまりに安易すぎる「自殺狂」という設定。すっきりしない一篇でした。

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