巻頭言が頼もしい。単なるお祭りではなく、一冊の優れたミステリを作りあげようという真摯な思いが伝わってきます。そのためのルールの一つとして、文体の不統一による不自然さを避けるために、名探偵キャラクターを持っている作家を起用し、すでに確立されているそのキャラの視点で語ってもらったそうです。これが読者にとっては嬉しい拾いものでした。矢吹駆や〈私〉シリーズの新作が読めるのですから。
「第一章 消えた山荘」笠井潔
――カケルの手がかりを追って清沢郷の別荘地を訪れたナディア・モガールは、フランス語教室の生徒である若竹七海とその友人〈ブッキー〉と邂逅します。ところがナディアの目的地付近にあるC-332山荘には、幽霊が出るという噂があった。好奇心を引き起こされた七海たちが有栖川青年と幽霊山荘を訪れると、あったはずの山荘は跡形もなく消えていた……。
ナディアの書いたフランス語の小説を、法月綸太郎が原書で読んでいるという設定でした。というわけで山荘消失の謎を、ナディアが現象学的推理というサービス付きで解き明かします。もちろん法月探偵へのサービスとはつまり読者へのサービスですね。そしてサービスといえば、シリーズ第一作を髣髴とさせる、首なし死体です。しかも女服を着た男のもの。原作では明らかにされていない〈私〉の名前は、ニックネームで処理されていました。
「第二章 幽霊はここにいた」岩崎正吾
――誰もが死体を前に驚いていると、さらに驚くことが起こった。窓の外に幽霊が出たのだ。これまでに幽霊を目撃したのは三組。会社員。カップル。ジャン・ヴァルジャンのような男。最後の男は帰り際に「面白いものを見せてもらった。しかし完成度はもう一つだな」と言い残したという。
ここで山荘の管理人を務めている刈谷正雄は『風よ、故郷よ、緑よ』の主人公のようです。並み居る探偵諸氏――といってもナディアと〈私〉はワトソン役であり、若竹七海はOL、アリスはミステリが趣味の学生なので、実質的な探偵は法月綸太郎のみになりますが、そんなメンバーをさしおいて、刈谷正雄が現場を仕切ります。船頭多くして……にならないためにも、この段階で管理人という立場の人間が事件を整理することになったようです。管理人が宿泊客をあだ名で呼ぶわけにもいかないので、〈ブッキー〉には別の呼び名が与えられています。そのときのやりとりに、いかにも〈私〉が言いそうな洒落っ気がありました。
「第三章 ウィンター・アポカリプス」北村薫
――七海さんから電話があったとき、聞いていたのは円紫さんの『お化け屋敷』だった。長屋の連中が新入りを追い出すために仕掛けをほどこす話だ。これは、天の采配だ。先程の幽霊、あの形は何だっただろう。犯人は〈観客〉を意識しているのでしょう……。やがて瑞恵さんが連れられてきた。死体の身許が旦那さんかどうかを確認してもらうためだ。瑞恵さんは死体を見ると、「……違います」と言って気を失った。
殺人事件には場違いにも思える〈私〉ですが、落語をもとにして幽霊騒ぎの謎を解き明かします。おあつらえ向きの噺が存在している落語の懐の深さにも驚きますが、きっちり作風を守りつつまず一つ謎を解決させた著者の手腕にも頭が下がります。テロリズムの香りを漂わせた謎めいた推理作家・広瀬敏孝の存在が明らかになり、二十年前にこの地で見つかった白骨死体が〈ラ・モール・ルージュ〉と関わりがあるものだったことも判明し、いよいよ核心に迫ってゆくのでしょうか。
「第四章 容疑者が消えた」若竹七海
――わたしは友人の中国人から、モガール先生の過去を聞かされていた。先生は自分で血を招き寄せる運命を持っている、と。自然と事件の話になる。ブッキーが法月探偵にたずねた。二十年前の被害者の死因はわからなかったのではないですか――。犯人はどうして首を斬ったのだろう。そうたずねるわたしに、モガール先生は昔あった絞殺事件の謎を宿題に出した。日本の童謡「黄金虫」に見立てられた密室殺人だった。ところが頭をひねっている間に、気絶していた瑞恵さんが消えてしまった……。
事件の謎、ではなく、五十円玉二十枚の謎、が解かれるところに、若竹さんの遊び心が現れています。口が悪いのは若竹作品の女性キャラらしくてよいのですが、『ぼくのミステリな日常』に出てきた七海さんはここまで口が悪くなかったような気もします。。。
「第五章 吹雪物語(――夢と知性)」法月綸太郎
――紅茶を飲みながら広間で推理を重ねていると、有栖川君がジャン・ヴァルジャンの「完成度はもうひとつだな」という一言に新説を出した。「すると瑞恵さんの『違います』という言葉も――」ブッキーも重ねて言った。刈谷正雄の絶叫が聞こえてきたのはそんな時だった。どうやら浴室が犯行現場だったようだ。
過剰なまでのアリスづくしが楽しい一篇ですが、法月氏のあとがきによれば、執筆予定だった有栖川有栖氏がメンバーから降りてしまったため、学生アリスへのはなむけとしてこの章の推理場面を書いたということなので、アリスづくしもその一環なのでしょう。法月氏としてはそんなオマージュ程度の意味だったのでしょうが、最終章でそんなアリスにすら意味を持たせてしまった巽氏、恐るべし、です。
「第六章 《時は来た……》」法月綸太郎
――若竹七海と立花瑞恵を見つけて山荘に戻ると、広瀬敏孝の山荘を調べに行っていた管理人が一人で戻ってきた。「有栖川君はどうしたんです?」「消えてしまったんだ」現場にはコントラクト・ブリッジの得点表と『中国の呪法』という本、それにアリス物語の最後のようにトランプがばらまかれていた。さらにはまた一つ死体が見つかり……。
いよいよ佳境に入り、幽霊事件もクイーンを引き合いに再説明され、ついに首切りの見立ても推理されます。女服を着た男の謎もラ・モール・ルージュにも説明をつけた見事なもの。まあ必然性はありませんが、第三章で北村氏が披露した〈観客〉を意識しているという推理を踏襲したオマージュだと捉えるべきでしょう。言葉遊びのような考え方は、前章で繰り出された『アリス』づくしが活かされていました。先にも書いたような事情により、この章で学生アリスは退場します(というか、法月氏は退場させるつもりだったようですが、巽氏がこの退場劇までちゃんと活かしているのには脱帽です)。
「第七章 雪の中の奇妙な果実」巽昌章
――ぱち、ぱちぱち。扉の隙間から廊下にいる広瀬敏孝の目が覗いていた。「日本には〈赤い死〉などいなかった。操られて命令に機械的に従おうとする連中ばかりだった」広瀬さんの眼だけは別の動きをしていた。私たちの反応を観察しているのではないだろうか。「何を探っているのですか」「これは復讐にかかわる事件だとだけ言っておこう」……
思想的犯罪に見えた事件は、みみっちく日本的に矮小化された復讐の一部が表に現れたものでした。この章では〈私〉が大活躍します。落語の知識を援用したり、『アリス』がらみの文学的知識と考察があるだけでなく、大声を出したり真犯人を指摘したりと縦横無尽です。〈私〉が活躍する裏には、たとえば法月綸太郎のような伏線を拾ってゆく消去法推理は、リレー小説では難しいためというのもあるのでしょう。名探偵たちを起用するというルールには、当初の意図とは別に、馴染みのキャラクターを楽しめるという効用もありました。〈私〉シリーズのファンには嬉しいところです。風呂敷を無理矢理たたんで辻褄を合わせるのですから、ある程度こぢんまりしてしまっていはいますが、特に法月氏の担当回でかなり明確に書かれてしまったことをひっくり返してなおかつ筋を通しているのは素晴らしいと思いました。
[amazon で見る]