『教場』長岡弘樹(小学館文庫)★★★★★

『教場』長岡弘樹小学館文庫)

 2013年親本初刊。

 どういう経緯で読もうと思ったのか忘れてしまいました。『ミステリマガジン』で紹介されていたのだったっけな?

 警察学校を舞台にした作品ですが、思っていたのとは違っていました。一つには長篇ではなく連作短篇集だということ。もう一つは探偵役(?)がいたことです。

 さまざまな理由から警官を志す者が集まって来るなかで、当然人間ドラマが生まれます。縦社会ならではのパワハラ・いじめまがいの出来事。同期とのつきあい。挫折と思惑。

 人が集まれば事件だって起こります。

 そこに現れたのが、入院した教官の代わりにやって来た風間でした。風間はまったく別々の事柄を結びつけることで、事件の背景を鮮やかに見抜きます。もちろん警察学校の教官なのでエキセントリックな名探偵ではありませんし、不安を治めて導くのが大なり小なり教師という立場の人間なのかもしれません。
 

「第一話 職質」(2009)★★★★☆
 ――教師だった宮坂が警官を志したのは、事故を起こし遭難しかけたときに交番勤務の平田の父親に助けられたのがきっかけだった。だが平田と宮田は教場の劣等生で、職質の授業でもへまばかりしていた。すでに四人が成績不良のため退職させられていた。

 警察学校とは篩だと答える宮坂の言葉のとおり、理不尽な規則と容赦のない指導が満ち溢れていました。職質に関する教官の指摘はもっともなものではありますが、やはりその方法は教育というより篩という方が相応しいでしょう。恩人に憧れて入った先で出会った恩人の息子は劣等生でした。そのとき、人はどうするか。どうされるか。憧れを抱く者と劣等感を抱く者の距離はあまりに遠く隔たっていました。
 

「第二話 牢間」(2009)★★★★★
 ――楠本しのぶは花粉症の薬を飲んだせいで取り調べの授業が眠くて仕方なかった。大柄な岸川沙織が被疑者の役をやっていて、生徒が間違うと指示棒で教官から殴られていた。しのぶが取り調べ役をしている最中、沙織が倒れてしまう。クラブ活動でスケッチしていると、最近脅迫状が届くと沙織が打ち明けた。

 しのぶが警官を目指す理由が取り調べの上手さに直結し、けれど専門知識が落とし穴になっていたという構図が見事です。物語は取り調べから始まり、取り調べに対する心構えそのものでもあるでしょう。冷静に考えればこんな偶然あるわけはないのです。第一話では恩人の息子が同期生という偶然があっただけに、読者にとっても落とし穴でした。花粉症の伏線や、第一話の補足など、よく出来ています。
 

「第三話 蟻穴」(2010)★★★★☆
 ――鳥羽は音を聞いて移動速度を割り出すことが出来た。白バイ隊員に憧れている鳥羽にとって何よりも大事な能力だった。部屋に入り込んで来た蟻を駆除するのがきっかけで、稲辺とは仲良くなった。だがその稲辺が無断外出の疑いをかけられたとき、鳥羽は寮で稲辺を見なかったと嘘をついた。

 白バイ隊員の特殊技能を知りました。「なぜ?」の魅力と復讐のおぞましさが印象的な一篇です。恨みに思う相手が間違っていると思うのですが、こういうところが狭いところに閉じ込められてしまう弊害です。まさしく学校のいじめ等と同じ構図なのでしょう。この話でも前話の補足が書かれていて、風間が単なる真実の追究人ではないことがわかります。文章に手がかりが仕掛けられているという、本書中でもミステリ度の高い仕掛けがほどこされた作品でした。
 

「第四話 調達」(2010)★★★☆☆
 ――ボクサーからの転職組で妻子もいる日下部には後がない。教官たちの覚えをよくするためには密告も辞さなかった。だが学科が苦手な日下部に、樫村は物々交換の小銭稼ぎを見逃してもらう代わりに「学科の点数」を調達しようと提案する。

 いろいろな特技があるもので、持ち込みが制限されている学内で何でも調達する調達屋が登場します。そこに薹の立ったボクサー崩れとボヤ騒ぎが加わるのですが、これまでの話と比べるとそのつながりにやや無理があるようです。
 

「第五話 異物」(2013)★★★★☆
 ――由良は幼いころから車が好きだった。それなのにパトカーの運転技術講習でへまをしてしまった。車内にスズメバチがいることに動揺してアクセルとブレーキを踏み間違い、教官をはねてしまったのだ。

 これまで人間関係や能力の問題が描かれて来たなか、アナフィラキシー・ショックに怯えるというやや異色な苦悩が描かれていました。異物というタイトルもアナフィラキシーに由来するのでしょう。協調性のない由良をも暗示しているのかもしれません。由良の魅力と欠点を的確に指摘して苦手を克服させようとする風間はまごうことなき教師ですね。
 

「第六話 背水」(2013)★★★★☆
 ――自分は総代に選ばれる可能性はあるだろうか。拳銃検定と職質コンテストで上位を取ればどうだろう。だがそんな都築の職質に、宮坂はそれでは駄目だと告げるのだった。何がよくないのかわからないまま、都築は風間に呼び出されると、体調不良を見抜かれ、退職を勧められた。

 最終話。卒業を前に、一人泰然としていた都築の意外な弱さが明らかにされます。ぎりぎりの戦いを経験できなかった人間は使い物にならないという、真理ではありますが月並みな風間の指摘に対し、都築が取ったのは自らぎりぎりに追い込むという解決法でした。
 

 シリーズの初出タイトルは『初任』で、第二話は前後編、第四話「収斂」、第五話「懐妊」、第六話「脱柵」、最終話「卒配」でした。第五話「懐妊」は同じく由良が出て来るもののまったく別の物語、第六話「脱柵」は風間の過去、最終話「卒配」も都築が主役ながら「背水」とはまったく別の物語でした。

「第四話 収斂」(2010)★★★★☆
 ――ボクサーからの転職組で妻子もいる日下部には後がない。教官たちの覚えをよくするためには密告も辞さなかった。だが学科が苦手な日下部に、樫村は物々交換の小銭稼ぎを見逃してもらう代わりに「学科の点数」を調達しようと提案する。誘惑に乗ってあらぬ疑いをかけられた日下部だったが、一週間後、再び模擬家屋で講義に挑む。

 初出は『STORY BOX』vol.11(2010年6月号)。大筋は単行本版「調達」とほぼ変わりませんが、結末が違っていて、初出版の方がもう一段階複雑になっています。変更後には収斂するものが出て来なくなったため、タイトルも「調達」に変更されたのでしょう。結末が変えられた理由はいくつか考えられます。1)駄洒落めいた日下部の役割に説得力が感じられないため。続く「懐妊」の結末ともども、言葉遊びや迷信に類するロジックが〈犯人〉の行動までを支配してしまうのは不自然でした。2)「蟻穴」の鳥羽のその後に救いがなさ過ぎるため。「懐妊」の由良や最終話の風間を単行本版の由良や風間と見比べても、シリーズとして前向きな作品にしようとする意図が窺えます。3)〈犯人〉を追い詰める風間の手段が第一話「職質」と似通っているため。海苔の差し入れが本話結末と「懐妊」の一エピソードの伏線になっていたのですが、結末が変わり「懐妊」の内容もまったく変えられてしまったため、単行本版では海苔のエピソードが浮いてしまうという結果になってしまいました。結末をばっさり削ったため単行本版はあまりにもあっさりしすぎていて、駄洒落を除けば初出版の方が格段に切れ味がありました。
 

「第五話 懐妊」(2010)★★★★☆
 ――射撃において最も大事なのは集中力だ。動揺すると的を外すという実験を実演するため、教官の荒川は由良の秘密を耳元に囁くように命じた。学生の一人から囁かれたのは、由良と穂乃香が六月にホテルで過ごし穂乃香が妊娠したという出来事だった。それが明るみに出れば二人とも退校は免れない。由良が穂乃香にそのことを伝えに行くと、穂乃香は図書室で風間教官の過去を調べていた。

 初出は『STORY BOX』vol.14(2010年9月号)。由良の行く先も読後感も単行本バージョン「異物」とは真逆でした。とある登場人物の警官への情熱とそのための悪意の強さには唖然とさせられました。自分のミスを繕うために人の弱みを利用するような倫理観の持ち主では、そりゃ警察官には向かないでしょう。最後の最後に「DL2号機事件」のような理屈が登場して、警察(学校)小説としては妙ちきりんな結びになっているところに違和感を感じます。
 

「第六話 脱柵」(2011)★★★☆☆
 ――雪の降るなかグラウンドに机を並べ、空気椅子の状態で授業はおこなわれた。警備員に怪しまれることなくゲートを突破して商品を盗み出すにはどうしたらいいか。誰も正解を答えられないまま授業は続いた。風間は担当者を決め、校則違反者を密告するよう義務づけている。密告された者は罰を受ける。担当者が誰も密告しなければ、警察犬が選んだ者が罰を受ける。

 初出は『STORY BOX』vol.17(2011年1月号)。「懐妊」で記述のあった風間の元同僚・浅生渚の生徒時代のエピソードで、単行本ではまるまるカットされています。かつての風間が理不尽なまでの鬼教官だったという衝撃的な事実が明らかにされました。宮坂や楠本がスパイだという設定の源流もこんなところにあったのですね。万引き犯を捕まえるためには手口を知らなくてはならないという言葉が、浅生渚が取り調べが上手かったという「懐妊」の設定にもつながってゆくのでしょうか。鬼教官だった風間が変わった理由は浅生渚の殉職にありそうですが、もはやその理由が語られることはないのでしょう。万引きの手口と脱柵の偽装工作が重ねられていますが、その理屈はシリーズのほかの作品と比べても鋭いとは言えず、むしろ浅生渚の人間性を浮き彫りにするエピソードとして機能しているようです。
 

「最終話 卒配」(2011)★★★★☆
 ――都築が磁石を盗んだのは、風間が育てていた花を踏み倒した犯人の遺留品を探すためだった。昔の風間は恐怖政治を敷いていたというが、都築は風間に憧れていて、卒業アルバムの写真にも風間と写っているものを選んだほどだ。都築は鑑識を目指していた。卒業試験で赤点を取れば追試が待っていて、追試でも赤点なら退校処分だ。その都築の点数に警視が疑問を持ったようだった。

 初出は『STORY BOX』vol.18(2011年2月号)。単行本では風間が鬼教官だったというエピソードがまるまるカットされたため、この最終話も成り立たなくなってしまいました。その結果、単行本と初出とでは都築がメインという以外まったく別の物語となっています。風間が育てていた花壇を踏み荒らした犯人という謎と、カンニング問題や、かつての鬼教官という事実が、すべて一つにまとまって明らかになる真相は、シリーズ中でも屈指の完成度です。単行本版「背水」は学校生活の締めくくりの話としてはともかく、ミステリとしてはミステリ度が低いだけに、この初出版が没になったのはもったいないと感じます。そしてまた、教師として風間の熱いところが見られる貴重な作品でもありました。

 希望に燃え、警察学校初任科第九十八期短期過程に入校した生徒たち。彼らを待ち受けていたのは、冷厳な白髪教官・風間公親だった。半年にわたり続く過酷な訓練と授業、厳格な規律、外出不可という環境のなかで、わずかなミスもすべて見抜いてしまう風間に睨まれれば最後、即日退校という結果が待っている。必要な人材を育てる前に、不要な人材をはじきだすための篩。それが、警察学校だ。週刊文春「二〇一三年ミステリーベスト10」国内部門第一位に輝き、本屋大賞にもノミネートされた“既視感ゼロ”の警察小説、待望の文庫化! すべてが伏線。一行も読み逃すな。(カバーあらすじ)

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