「探偵、夢を解く」ジーン・ウルフ

 フロイトとホームズのパロディ。ドイツ系の肩書きを持つ人々が登場するのは明らかにフロイトを意識したものだろうけれど、探偵がフランス人であるのはなぜなのだろう。「マドレーヌ街」というお菓子の名前を冠せられた通りは、「ベイカー《パン屋》街」をイメージさせるとともに、プルースト失われた時を求めて』を思い起こさせる。精神分析と対峙する自意識

 ジーン・ウルフの作品は、そもそも作品全体が難解なのだけれど、特にラストがむずかしい。探偵がむさぼり食った「白い、小麦粉でできた肉」とは何か? ここにも「パン」すなわち「ベイカー街」が響く。探偵よ、さらば。そして「白」くはないが、マドレーヌもまた「小麦粉でできた肉」には違いない。ではこの物語が終わったところから、『失われた時』が始まるのだろうか。

 だけど。「白い、小麦粉でできた」ものが「パン」であるならば、それが「」と表現されたときに連想するのは「キリストの肉」にほかならない(ここは原文を見ないと断言できないけど)。父であり子であり精霊であるキリスト。――そう、ここにもフロイトが顔を出す。

 けれどこれはあまりにも探偵小説的な見方。犯人が誰かではなく、探偵とは誰なのかを探らなくては、この物語は解けない。なぜフランス人なのか?

 秘書のアンドレーという名はアンドレの女性形、そしてアンドレとは十二使徒の一人。ということは、アンドレーという助手を持つ探偵こそは、アンドレという弟子を持つ存在そのものである、というのは牽強付会にもほどがあるか。あるいは「I am」にあたるフランス語は「Je suis」であるが、これは「Jesus」を想起させる……などと取り留めのない妄想が続く。

 ジーン・ウルフのファンサイトはたくさんあっても、断定的な結論を書いているサイトは見つからなかった。とあるサイトでは「この巧みで衝撃的なラストには、笑うか、哲学的に頷くか」だそうで、いろいろ考えるのは思う壺か。あるいは作家メリッサ・マイア・ホールによれば「夢とキリストに関する奇妙な話」だそうで、こうなると wilder の解釈もあながち間違いじゃないか。

 手には血、薔薇の冠、鬚、木に縛りつけられて銃殺……薔薇→荊、銃殺→磔刑と捉えなおせば、確かにキリストではある。

 
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