『蠅(はえ) 異色作家短篇集5』ジョルジュ・ランジュラン(早川書房)★★★★☆

「蠅」(La mouche)
――弟の妻から電話がかかってきた。夫を殺したから警察に連絡してほしい――。弟は工場の機械で頭をぺしゃんこに潰されていた。妻は白い頭の蠅を探したりと要領を得ない。いったい何が起こったのか。

 キワモノホラー&人間ドラマ映画『ザ・フライ』[amazon]を遠い昔に見た記憶があるていどだったけれど、原作はしっかりしたエンターテインメントです。いわゆる〈怪しい下宿人〉(夫ですけど)パターンの常道を踏まえた盛り上げ方が心憎い。わかっているのに戦々兢々してしまう。

「奇跡」(Le miracle)
――列車に乗るときはいつも気をつけていた。脱線したときでも助かるように。脱線事故から助け出されたジャダン氏は車椅子に乗り、鉄道会社から補償金を手に入れた。

 いずれにせよ奇跡は起こったのでした。誰もが予想したであろう皮肉な結末。因果応報というか金は天下の回りものというか(違うか)。世の中には先払いと後払いがあるのである。失ったから補償金を受け取る。であれば補償金を受け取ったのだから「もう要らなくなった」と思われるのも当然?

「忘却への墜落」(Chute dans l'oubli)
――ぼくは妻を殺した。だが間違いなく無罪なのだ。その理由も知っている。だが思い出せない。思い出しさえすれば、ぼくは無罪になるはずだ。

 記憶喪失ミステリと予知夢を描いた走馬燈。繰り返し同じ夢を見て、そのたびに恐怖のあまり何もかもを忘れ、目が覚める直前には一瞬だけ意識も失ってしまう男。これは目が覚める直前の、記憶をなくした一瞬のあいだの物語。会話のみによる、猫のような奥さんと夫の心理劇がサスペンスを盛り上げます。夫が繰り返す「妻を殺したが無罪だ」という謎の言葉も最期まで興味を惹きつけて止みません。しかしこれは不能犯ということになるのかな? 有罪のような気もするけれど。

「彼方のどこにもいない女」(La dame d'outre-nulle part)
――テレビにおかしな映像が映りだした。アンテナの感度がいいせいで外国の放送でも受信しているらしい。ところがテレビに写っているやつが俺の動作を真似し始めた。

 『鉄腕アトム』9巻(7巻・4巻)[新書版amazon][漫画全集bk1amazon][文庫版bk1amazon]の一篇「透明巨人」は、手塚氏自身が作中で「フランス製SF(中略)「蠅」からヒントをもらって作った」と述べています。物質転送器のアイデアは「蠅」からでしょうが、テレビの受像器に透明巨人が現れるという設定のヒントは、もしかしたら本編だったのかもしれません。

 この結末は恋愛譚としてどうなんでしょう。「愛の手紙」のような究極の遠距離恋愛が脱臼したようなラスト。でも恐怖譚としては一級品。テレビつけるのが怖くなる。

「御しがたい虎」(Le tiger recalcitrant)
――ダルボン氏はガサード夫人にいいところを見せたかった。心中で思った通りに駱駝が女房の帽子を食っちまった。たまたま買った本で読んで以来、催眠術について考え続けてはいたのだが……。

 「大女を愛する世の小男すべてに。」という献辞がありますが、いやはやランジュランははたして背が低かったのかどうか気になってきます。「でも、催眠術なんて、いったいなんの役に立ちますの?」――ガサード夫人のそんな問いが、はからずも的を射ております。いいかっこしいの役にしか……いえ、その役にも立たないのでした。

「他人の手」(L'autre main)
――医師のもとにやってきた男は、自分の手を切り落としてほしいと頼んだ。気が触れていると思い、医師は相手にしなかったが、再び現れた男は、手首から血を流していた。

 手が自分の意思とは関わりなく勝手に動くという怪異譚。憑き物めいた奇譚と思えばそれなりに面白いのだが、意思の力・犯罪を匂わせたせいで嘘っぽい物語になってしまっている。ゲゲゲの鬼太郎の一篇だと思えば違和感はないのだけれど。

 文中(P.172)に「統合失調症」という単語があった。正式に名称変更したのが最近であって、この言葉自体は昔から使われていたのだろうか? 差別的だからと文章を改変したのであれば、その旨ひとこと書いておいてほしいのだけど。

安楽椅子探偵(De fauteuil en deduction)
――幼いトゥイーニーが誘拐されたらしい。わしはリウマチに痛む老体にむち打って立ちあがった。

 フランスはこのタイプの騙りがお家芸。ネタを割ったあとが少し長くて間延びしている。サプライズというよりはハートウォーミングな物語を堪能すべきか。

「悪魔巡り」(La tourn? du diable)
――狐の檻の前にいた老婆は、悪魔だと名乗った。喘息の妻のため老いた愛犬を安楽死させたことで良心の呵責に苦しむ男に、機会をやろうと老婆は告げた。

 悪魔と契約をしてはいけません……。犬のことでわだかまりがあったなら、そりゃ犬が一番になってしまいます。やり直す機会を与えられても、過去に戻るのではないというのが新鮮。でも卑怯。冒頭のやりとりが何度読んでもはっきりしない。

「最終飛行」(La Derni?re travers?)
――ラッキー。それが彼ら兄弟の綽名だった。だが弟の幸運は長く続きはしなかった。

 会話とカットバックが臨場感と緊迫感を高める。いかにも飛行機乗りのあいだで実際にありそうな、小さな奇跡の物語。解説の三橋暁氏は『トワイライト・ゾーン』に喩えていた。むべなるかな。

「考えるロボット」(Robots pensants)
――ルイスは墓を暴いていた。墓碑銘はロベール・トールノン。棺を開けると、中は空だった。ロベールの婚約者ペニーが、ロベールを見たと言ってきたのがすべての始まりだった。そのチェス・ロボットは確かにロベールの癖を真似ていたし、チェス・ロボットが理論的に実現不可能なのは明らかだった。

 これにて本書はグロテスクに始まりグロテスクに終わるのでした。「蠅」では最後まで保っていた節度が、本編では途中までしか続かず、途中からB級アクションホラーに変わります。やりたい放題という点では、本書中いちばん楽しめます。こんなにサービス精神旺盛な作者だったとは。ルイスと友人のやりとりも秀逸。ルイス「これはあり得ないことだ!」/友人「おまえは、おじいさんが海水パンツをはいているのを見たときの、おれの甥のようなしゃべり方をするな」

 三橋氏の指摘している作品にかぎらず、どの短篇も『トワイライト・ゾーン』もしくは『世にも奇妙な物語』にぴったり。手を加えなくてもそのままドラマ化できそうな作品ばかりです。

 悪く言えば古くさいということになるのでしょうが、作法に則った方正なエンターテインメントだと思います。良くも悪くも読者を楽しませることに(意外なほど)誠実な作家だと感じました。

 すべての作品にエピグラフがついているのがちょっとうっとうしかったけど……。
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蠅
ジョルジュ・ランジュラン著 / 稲葉 明雄訳
早川書房 (2006.1)
ISBN : 4152086963
価格 : ¥2,100
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