『ミステリマガジン』2006年11月号No.609号【特集=フランス・ミステリ】★★★☆☆

 フランス・ミステリ特集ということで、てっきり現代フランス・ミステリかと思っていたら、意外なことに大家の古典3篇に中堅〜新鋭3篇でした。前号の予告にシムノンの名があったのを見て喜んでたことを自分でもすっかり忘れてた。こうしてまとめて読んでみると意外なほど“フランス臭”がない。国籍を伏せられて読んだらきっとわからない。
 

「暴かれた墓、あるいはル・マンの二十四時間」ボアローナルスジャック/池正明訳(A tombeau ouvert ou 24 Heures du mans,Boileau-Narcejac,1956)★★★☆☆
 ――ジュヌヴィエーヴは意を決して夫に言った。「別れましょう」……それを拒否してベルトンはレース場に向かった。パトリックが現れた。「拒否されただろう。兄さんはそういう人間だ」ベルトンのレーススーツに向かうと、ポケットから金属製の箱を取り出した。

 夫婦の、男女の、ありふれた愛憎サスペンスだと思いきや、最後に一ひねり持ってくるのがさすがボアローナルスジャック。サプライズとしてはたいしたことないのだけれど、普通小説を書いてもミステリ的な要素を取り入れる泡坂妻夫氏みたいな三つ子の魂を感じてしまった。
 

「赤い本」ジャン=バティスト・バロニアン/鈴木敦子訳(Le libre rouge,Jean-Baptiste Baronian,1999)★★★★☆
 ――ふと顔をあげると、骨董屋があることに気づいた。目に飛び込んできた商品があった。赤い革表紙の本だ。かび臭い店内から、若い女が現れた。見せてもらった本を開くと、タイトルには『赤い本』とある。“フランス死刑史”と副題がある。「おいくらですか?」

 あまりフランス臭のない作品が多い今号特集。本篇も決してフランス臭さはないのですが、しかしなるほどこれはフランスでなくてはなりません。『赤い本』をモチーフにした幻想掌編。
 

「売人ボブの一日」アラン・ドムーゾン/伊藤直子訳(La balade de Bob Dealer,Alain Demouzon,1985)★★☆☆☆
 ――目覚ましの音で目が覚めた。時計を探していた手がコップにぶつかり割れた。筋力の萎えた腕がガラスの欠片の上に落ちた。気がついたら階段を踏み外していた。

 ジャンキーの一日。くーだらない(^^;。日常を綴ったエッセイ漫画のジャンキー版って感じのダメっぷり。おもしろいけど好みではありませんでした。
 

「妻の義務」カトリーヌ・アルレー/野澤真理子訳(Le sens du devoir,Catherine Arley,1954)★★★☆☆
 ――蝶番がきしんで戸が開き、男が飛び込んできた。腕を曲げてマリアに体を寄せてきて、鼻にキスを浴びせる。するとどうしたことか、男はばったりと倒れて伸びてしまった。死んでいる……。動かそうとしたが死体はびくともしない。

 死体を使ったコメディといえば『ハリーの災難』だけれども、アルレーによるブラック・ユーモアあふれる本篇の方がよほど面白い。ドメスティックに死体の始末に精を出すマリアを実に生き生きと描いているところに、アルレーの意地の悪さを感じます。
 

「名高きヴィエロ氏の復活」ルイ・C・トーマ/臼井美子訳(La resurrection de l'honorable M. Villerot,Louis C. Thomas,1986)★★☆☆☆
 ――意識を取り戻すとヴィエロ氏はすべてを思い出した。飛行機事故にあったのだ。ブザーを押すと看護婦がやってきた。「訊きたいのだが……」と言いかけて驚いたのは、声がかつての自分の声とは違っているからだった。

 ミステリでこの展開だったら結末はわかりきってる。結末がわかっていても楽しめる作品かどうかといえば、否である。著者が交通事故で失明したという経歴と合わせて読めば思うところはあるかもしれないけれど、作品としては評価できない。
 

「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」ジョルジュ・シムノン長島良三(L.53,Georges Simenon,1929)★★★★☆
 ――わたしは“ムッシュー五十三番”刑事の捜査に同行させてもらった。殺害予告を受け取ったロシア貴族の見張りである。一時半! 何事もない。二時……わたしは胸に顎をうずめた。夜明け。ベルを鳴らしても、家の中ではなにも動かなかった。

 さすがシムノンという安定感。多作なだけにちょんぼも多いがこれはよい。シムノンには珍しくなんと不可能犯罪もの。でもそれ自体は作中でも「昔ながらの」と書いてあるとおりどうってことなくて、むしろメグレものに通じる優しさのあふれた作品として記憶に残ります。

 【フランス・ミステリ特集】はここまで
 

「ミステリの話題」『ブラック・ダリアの真実』の真実
 この手の“真相もの”って、邪馬台国にしても切り裂きジャックにしても先に“真相”ありきの牽強付会なものが多いせいもあって、あまり興味がないのだが、元刑事である著者が父親の遺品を整理していると〈ブラック・ダリア〉事件をファイルしていたアルバムが見つかった……なんていう発端が、ワトスンの未発表原稿が見つかったみたいでミステリ心をくすぐる。

 真相については本号の映画評で竜弓人氏がバラしちゃってるのだが(おいおいっ!)、「絶対確実な事実のみを当時の記録から探り出し、事件そのものを再構成する」という著者の姿勢が、ノンフィクションというよりミステリ小説を読むような面白さを与えてくれるんじゃないかと期待がふくらむ。
 

「ミステリの話題」これはミステリ、かもしれない 川副智子
 早川書房の新刊『わたしのなかのあなた』の紹介。姉のドナーとなるべく遺伝子操作で生まれてきた妹が、両親に対し訴訟を起こし……という「ソープオペラ」。あらすじを読むかぎりじゃ確かに昼ドラになりそうな物語です。
 

「ミステリアス・ジャム・セッション第66回」蒼井上鷹
 『九杯目には早すぎる』。いろいろなところで紹介されていて目にはついていたのですが、そのあまりにもなタイトルのせいで敢えて無視していました。ところが紹介文を読んでみると、これが最近では珍しいアイデア・ミステリの宝庫のようで、俄然興味がわきました。
 

「ミステリの話題」カーター・ブラウンの光と影 トニ・ジョンスン=ウッズ
 偉大なる大衆作家、カーター・ブラウンの研究者インタビュー。
 

「誌上討論/第9回 現代本格の行方」我孫子武丸佳多山大地
 今回は独特の視点が楽しいお二方の寄稿。本格ミステリに特有の評価として、小説としてはイマイチだがトリックが素晴らしい、とか、展開はお粗末だがロジックに光るものがある、だとかいう評価方法があります。他のジャンルの場合だと、部分だけを取り出して評価するというのはあまりないし意味もないと思うのですが、本格ミステリだとごく普通のことだったりします。この「誌上討論」でもそういった“部分”に話が行きがちなところを、今回の我孫子氏の評論は、本格ミステリとして云々ではなく、作品としてもどうだろ、という正論でした。

 個人的には、つまらない本格ミステリの傑作ってのはあると思います。(叙述トリックも本格に含めるとして)カサック『殺人交叉点』てのは話としてはどーしょもないですが、あの仕掛けのインパクトは間違いなく傑作です。また、たとえ真相が途中でわかるような作品でも本格ミステリとして傑作であり得ると思います。歌野晶午ヴードゥー・チャイルド』がそうでした。我孫子氏にしたがえば『殺人交叉点』はどうなの?ってことになるだろうし、二階堂氏にしたがえば『ヴードゥー・チャイルド』はレベルの低い本格なのでしょうが。ただね、たとえば『殺人交叉点』を“サスペンスの傑作”とか評価したら、その評価はどうなの?ってことにはなりますよ。そういう意味で、(私的には)『X』が本格の傑作であることはあり得ますが、純愛サスペンスの傑作であることはあり得ない。我孫子氏が「ナカちゃん」ブームに言及しているように、この問題の根っこというのは、一人本格ミステリの問題というよりは、日本中の泣きたがりブームの問題なのでしょう。佳多山氏は「異様な情熱に、僕は〈九・一一〉以後の現代性を求めます」とおっしゃっています。この分析を推し進めて、『X』が盲愛サスペンスの傑作であることはあり得ますし、それが現代の純愛だという指摘も可能ではあると思います。でもそれにしてもやっぱり、それを“感動”などと評価する人たちはどこか違っているとは思いますが。
 

「夜の放浪者たち――モダン都市小説における探偵小説未満 第23回 鏡の国のダイアン(中篇)」野崎六助
 

「瞬間小説 37」松岡弘一
 「勝利者」「続・瞬間人生相談」「ポスター迷走」「待ち人」
 

「新・ペイパーバックの旅 第8回=ジム・トンプスンが三十三センチ」小鷹信光
 なんだか前回はお宝で、今回は古書価格で、連載の内容がだんだん違うことになってきている……。
 

「日本映画のミステリライターズ」第3回(比佐芳武(3)と「にっぽんGメン」)石上三登志
 

「英国ミステリ通信 第95回 イアン・ランキン・インタビュー」松下祥子
 昔のミステリは「小さな村の犯罪を独身のお婆さんが解決するとかいうもので」「このごろの作家はミステリを道具に使って現代社会を掘り下げる」というコメントに、複雑な思いを感じました。クリスティも現代社会を掘り下げてないわけじゃなくて、ただ対象になるのが家族の問題だったり町内の問題だったりと、小さなコミュニティ内に限られていただけなんだけれど。

 それはともかく、問題は現代作家が現代社会を掘り下げているという指摘の方。これが日本の作家になると、なぜか多かれ少なかれセカイ系になってしまっているということに気づいたから。「キミとボク」というセカイ系の別称(蔑称?)の提唱者二階堂黎人氏の作品にしてからが、名探偵という閉じた世界の個人的な事件の捜査者がなぜかキリスト教と相まみえるというのは充分セカイ系だと思う。
 

ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか? 第103回 叙述トリックとテキストのメタレヴェル」笠井潔
 最近なぜかいろいろなところで目にすることの多い「信頼できない語り手」の問題とも重なります。こうして読むと近代小説史としても面白い。
 

「追悼 菊池光」
「才能に寄せた信頼」ディック・フランシス/高山真由美訳
「多くの楽しみを与えてくれた翻訳家」北上次郎

「今月の書評」など
◆映画は『ブラック・ダリア』。『ブラック・ダリアの真実』の映画化権も売れたらしい。

◆三橋氏の紹介はストラウブ『ヘルファイア・クラブ』、ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』、アルテ『赤髯王の呪い』など。『赤髯王』は読了。一ネタで一本の、短篇のようなすっきりした構成の作品。ということは、内容のわりには長すぎるしそのくせ物足りないとも言える。いまは『ヘルファイア・クラブ』に取りかかったところ。本誌でも文学的か云々って話になっていますが、冒頭からしてなんというかまあ“カッコイイ”凝った書き出しでした。伝説の作品『夜の旅』に憑かれた男が登場したところ。

◆杉江氏の紹介はドン・ウィンズロウ『砂漠で溺れるわけにはいかない』、ウッドハウス『でかした、ジーヴス!』ほか。ニール・シリーズはしばら〜く出てなかったのについに出たと思ったら一気に完結してしまった。『でかした』は短篇集。続刊も決定。『サンキュー、ジーヴス』と『ジーヴスと朝のよろこび』の二作です。

◆古山氏が紹介しているファウラー『数学的にありえない』は、千街氏が『SFマガジン』でも紹介していた超能力ミステリ。ほかにマシスン『不思議の森のアリス』など。

小玉節郎「ノンフィクションの向う側」◆
 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー。ま、本人がしあわせならそれでいいんですけどね。いかにもアメリカ的だとは思う。

◆風間賢二「文学とミステリのはざまで」◆
 浅倉久志編『グラックの卵』。説明不要。〈未来の文学〉シリーズの一冊にして『世界ユーモアSF傑作選』の浅倉氏選によるユーモアSFアンソロジー
 

「隔離戦線」池上冬樹関口苑生豊崎由美
 ↑で書いたストラウブと文学コンプレックスの話です。
 

「冒険小説の地下茎 第79回 袁世凱を引っかけろ!」井家上隆幸
 『T.R.Y 北京詐劇』井上尚登
 

「ヴィンテージ作家の軌跡 第43回 レナードの飛び道具(後篇)」直井明
 アメリカは銃社会というイメージが強いので、みんな銃に詳しいのだとなんとなく思い込んでいたのだが、ミステリ作家でもけっこう銃に無頓着というのがおかしい(^^)。
 

「絞首人の手伝い」(第五回)ヘイク・タルボット/森英俊訳(The Hangman's Handyman,Hake Talbot)

「夢幻紳士 迷宮篇 第9回=波の中の恋人たち」高橋葉介

「翻訳者の横顔 第83回 僕の『予期せぬ出来事』」大久保寛
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