今月号は執事とメイド特集。もちろんジーヴスものも掲載。それも森村たまき訳で。
「執事よ、さらば」P・G・ウッドハウス/森村たまき訳
――批評家たちが、私が執事について書きすぎだと批判する。実のところ、執事たちは常に私を魅了してやまなかった。
1957年『Over Seventy』に収録のエッセイ。ウッドハウスが見聞きした執事裏話集である。
「執事は何を見たか」新井潤美
――イギリスでは第一次世界大戦までは、どんな小さな家でも“ミドル・クラス”という呼称を保つためには、少なくとも一人は使用人をおかなければならなかった。
現代の日本人にはわかりづらい、当時のイギリスの使用人事情をわかりやすく解説。すっごくためになる。
「メイド・イン・ジャパン」辻真先
――なぜ日本史のDNAにない、“メイド”なんて代物が看板娘になるのか?
イギリスの執事やメイドとは一切関係のない、現代日本のメイドブームに関する考察エッセイ。
「突撃! 執事喫茶」山野辺若・日暮雅通
大笑い執事喫茶の現実。ステキだ。
「執事&メイド・ミステリはこれを読め!」杉江松恋
ピーター卿とバンターの関係について、ウッドハウスの影響を指摘する文章はこれまでも読んだことがあったけれど、具体的に踏み込んでいるのを読んだのはこれが初めて。なるほどそういうことなのか。
「ジーヴスとギトギト男」P・G・ウッドハウス/森村たまき訳/森ヒカリ絵(Jeeves and the Greasy Bird',P. G. Wodehouse,1965)★★★★★
――申し上げておかねばなるまいが、パパグロソップはレディ・チャフネルと婚約した。ところがグロソップ氏は心配事があるようだ。「二人はけんかしたんだと思うか、ジーヴス?」「奥方様は、グロソップお嬢様とご同居するお気持ちはないのでございます」
現実のギトギト男みたいな奴は、こんな程度じゃ引っ込むまい、とは思うものの、バーティーのお間抜けぶりとジーヴスの鮮やかさはいままで通り。『ウースター家の掟』[bk1・amazon]でも感動的に描かれていた、ダリア叔母さんのバーティーに対する愛情を、本篇でも見ることができます。サー・ロデリックとバーティーが意気投合したあとのお話です。ロデリック本人は出てこない。ここに至る経過がとても気になる。しかし文春のウッドハウス選集の装丁家と国書のウッドハウス・コレクションの訳者の組み合わせなんて、第三社だからこそできることだけれど、その取り計らいがにくい。
「雨の公園で出会った少女」竹本健治★★★☆☆
――その大きな森深い公園で、私はメイド服姿の可愛らしい少女に出会った。「君はおかしな子だね」すると少女はちょっと躇って、自分はロボットなんですと真顔で嘯いた。
これはメイド・ブームの方のメイドもの。
「もうひとつの彫像」エドワード・ゴーリー/濱中利信訳(The Other Statue,Edward Gorey,1968)
ストーリーが理屈で割り切れそうでいながら割り切れないまま放り出される。はなからストーリーを放棄しているわけでもなく、そこらへんの呼吸がゴーリーはすばらしくうまい。しかし気づいてしまったが、丸顔で口髭で目がちっこい登場人物は、『団地ともお』のカトリーヌ選手やスポーツ大佐に似ている。こうなると不気味でありながら可愛い。
「黒後家蜘蛛の会 最後の物語」チャールズ・アーダイ/田中一江訳/北見隆絵(The Last Story,Charles Ardai,2002)★★★☆☆
――ビアードは『遠い辺境』という新作短篇のアンソロジーを出版した。当代の一流SF作家がもれなく収録されていて、それが傑作ぞろいときている。間もなく二冊目が『さらなる遠い辺境』というタイトルで出版されました。そして三冊目の編集を依頼された。ところが本は出ない。ビアードの死後、遺品をしらべたところ、アシモフの原稿だけが見つからなかったんです。
むろん本篇には執事もメイドも出てこないが、“見えない人”としての使用人が探偵役となるという点でジーヴスものにも通じる云々。詳しくは杉江松恋氏の読書ガイド参照。明らかにハーラン・エリスンの『危険なビジョン』をモデルにした書き下ろしアンソロジーが登場したりと、なにゆえSFづいているのだろうと初めは疑問に思ったのだが、よく考えればアシモフはSF作家なのだ。アシモフの未発見原稿という魅力的な謎である。しかし洒落にならんな(^^;。『最後の危険なビジョン』出してくれよ。単純な盲点がいかにもヘンリーものらしい。
「ボビーの災難」真瀬もと★★★☆☆
――愛すべきテディ・ベアのミスター・ボビー! 最近、彼に宿敵が現れた。やんちゃ娘で名前はアビー。牛柄のコッカースパニエルだ。ボビーはくわえるにはほど良いし、小鴨色のチョッキも魅力的なのだろう。アビーの世話は小間使いであるわたしの役目だ。リジーが指差す。ミスター・ボビーはいなかった。
新井潤美氏のエッセイを読んだあとで読むと、細かいところがよくわかる。ミステリとしてはまあ伏線がわかりやすいので裏の真相はすぐわかってしまうが、こういう伏線は嫌いではない。表の真相はちょっとややこしくてわかりづらいが、こちらの伏線はけっこううまい。探偵役のピントのずれた一言はミステリではお約束。とはいえ、執事とメイドもの(というかこの時代のこの世界もの)ならではの隠れ蓑だと思う。使用人のことも含め、レモンティーが「気味悪い飲み物」だとか、当時のことがいろいろわかって面白い。やる気のない探偵とちょっとひねこびた語り手の組み合わせもいい。
執事とメイド特集はここまで。
「『ロング・グッドバイ』クロスレビュー」池上冬樹・羽田詩津子・小山正
池上冬樹氏が訳語の問題を指摘。池上氏は「隔離戦線」でも「待っている」の翻訳について触れています。
「ミステリアス・ジャム・セッション第72回」冲方丁
今回はSF作家さんの登場である。今月号は、どちらかといえばミステリ主体の「異色作家短篇集」完結を受けて、『S-Fマガジン』「異色作家特集」[bk1・amazon]だったり、本誌掲載のは「黒後家蜘蛛の会」贋作といいつつミステリだけじゃなく“SF作家”アシモフへのオマージュにもなっていたりと、はからずもミステリとSFがごっちゃになってる。SFファンもミステリファンも二冊とも買わなきゃならんね(^^)。商売上手。
「新・ペイパーバックの旅 第14回=不死身のタフガイの死」小鷹信光
シェル・スコット・シリーズの作者リチャード・S・プラザー。
「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか? 第109回 「モノローグ的」と「ポリフォニー的」」笠井潔
額縁ではない(=客観性がない)ところが『アクロイド』の欠点だと思われがちだけれど、笠井氏はそうじゃなくて、額縁ではない(=「手記を一人称小説に見せかける」)ところこそが『アクロイド』の中心トリックだと書く。小説をまったく読んだことのない人とか、古典小説しか読んだことのない人とか、近代小説の約束事をまったく知らない人/あるいはミステリをまったく読んだことのない人にいきなり『アクロイド』を読ませて、どう思うか聞いてみたいなあ。
「注目の映画『13/ザメッティ』の監督に訊く」
集団ロシアン・ルーレット、なんて、それだけ聞いたんじゃあ単なるアイデア映画だと思ったろうな。やってることは『国民クイズ』とかそういうののようなものだと思う。より単純で衝撃的なだけに、心理面の掘り下げが半端じゃなさそう。
「マーガレット・アトウッド朗読会レポート」
「今月の書評」など
◆最近フランス・ミステリが面白い印象があるので、「フランス国鉄ミステリ大賞」なるものにも目を惹かれたのだけれど、「趣味で犯罪学やプロファイリングの本を読み漁」る「シングル・マザー」が、誘拐児を「人形に見立てた」異常な誘拐殺人犯を追うという、いかにもな展開で興味を失う。『La chambre des morts』フランク・ティリエ。
◆体内に監視用のマイコンを埋め込まれたブロンド美女科学者が、バーで出会った男に毒を飲ませ、解毒剤が欲しければ自分に協力しろと迫る『The Blonde』デュアン・スウィアークジンスキ。いかにもハリウッド映画にありそうな、無理矢理にでもサスペンスを作り出そうとする力業に微笑ましいやら呆れるやら。
◆映画はここでも『13/ザメッティ』。よほどプッシュしたいらしい。ノベライズがハヤカワから出ているというわけでもないので、これはかなり期待してよさそう。
◆ジェフリイ・フォード『ガラスのなかの少女』[bk1・amazon]が出ました。どうやら幻想からアクションへという手触りは、『シャルビューク夫人』とも一脈通じるようで期待です。
◆ジャン=クロード・イゾ『失われた夜の夜』[bk1・amazon]について、「この作品の魅力は言葉の使い方にある」なんて書かれたら読まずにはいられません。同じフランスのクリステル・モーラン『ヴェルサイユの影』はけっこう期待していたんだけれど、せいぜいヴェルサイユ宮殿のご当地本というほどの出来らしい。残念。
◆ウールリッチ・ファンにお薦めしたい、それも『暁の死線』のブリッキーを引き合いに出されて紹介されたんじゃあ放ってはおけないサラ・グラン『堕天使の街』[bk1・amazon]。小学館文庫でこのタイトルだから、ウールリッチに喩えられなきゃ興味を持つことはなかっただろう。喩えられてなお一抹の不安は残るが。
◆発売前から変な作家と話題になっていたロバート・トゥーイ『物しか書けなかった物書き』[bk1・amazon]は、やっぱりおかしな作品集のようだ。面白いのかくだらないのか、ナンセンスさのタイプがわからないだけに気になる。
◆小玉節郎「ノンフィクションの向う側」◆
マルク・デュガン『FBIフーバー長官の呪い』ということなのだが、今月はフィクションのようだね。
◆風間賢二「文学とミステリのはざまで」◆
春樹・チルドレンのデイヴィッド・ミッチェル『ナンバー9ドリーム』[bk1・amazon]。かつては春樹チルドレンというとつまらないの代名詞だったような印象もあるのだが、さすがに上っ面だけ真似たような作品ではないのだろうと思う。もはや春樹も古典なのだ。
「隔離戦線」池上冬樹・関口苑生・豊崎由美
池上関口両氏ともチャンドラーについて。来月号はまたチャンドラーの新訳二篇らしいし、しばらくは猫も杓子もチャンドラーだろうな。そんななか豊崎氏はまさに「隔離」戦線。一人たわごと(ですらない垂れ流し)をほざいております。
『藤村巴里日記』第02回 池井戸潤
――手渡された雑誌を開くなり、耀子は全身の血が沸き立つような感覚に包まれた。トップに掲載された論文だ。タイトルは「汚れた天才画家――戸川洋二贋作疑惑に関する一考察」。
謎の日記に書かれた値段の謎、単純だけどいいですねえ、こういうの。うまい真相が待っていればいうことなし。魅力的な謎に魅力的な真相、となるかどうか、お手並み拝見。
「日本映画のミステリライターズ」第9回(菊島隆三(2)と「闇を裂く一発」)石上三登志
「英国ミステリ通信 第101回 クリスティーの庭」松下祥子
「ヴィンテージ作家の軌跡 第49回 1930年代のアンブラー(4)」直井明
「冒険小説の地下茎 第85回 覚醒剤をめぐる闇の構造」井家上隆幸
「夜の放浪者たち――モダン都市小説における探偵小説未満 第29回 横光利一『上海』(中篇)」野崎六助
広告ページに載っていたハヤカワepi〈ブック・プラネット〉って気になる。要はepi文庫のハードカバー版なんだろうけど、アルジェリアとかタイとか珍しい国のだ。
「翻訳者の横顔 第89回 健康法としての翻訳」若島正
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