『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇 異色作家短篇集19』若島正編(早川書房)★★★★☆

 派手さのない、じっくり読める作品が多い。カーシュとかエイクマンとか、個性的な作家がいてもかすんでしまうほど、落ち着いた雰囲気の作品集でした。

「時間の縫い目」ジョン・ウィンダム浅倉久志(Stitch in Time,John Windham,1961)★★★★☆
 ――ハロルドは実験のことで興奮していた。よく理解できない次元の話だ。ちょうど五十年前のこんな午後だった。あのときも、このフランス窓のそばにいて……アーサーがやって来るのを待っていた……胸が痛くなるほどの思いを込めて待っていたのに……。

 雰囲気はファンタジー系のタイムトラベルものながら、仕組みはSF系の理屈というのが面白い。これはわざとこうしたというよりも、例えばブラッドベリが何を書いてもブラッドベリなのと一緒で、この著者の質なのでしょう。絶対変えられない時間、というものを瞬間的に悟って確としているヒロインの強さに心を打たれます。
 

「水よりも濃し」ジェラルド・カーシュ吉野美恵子(Thicker than Water,Gerald Kersh,1954)★★★☆☆
 ――「昔からおまえは意気地なしだった」と伯父は言った。「だって叔父さん……」「結婚したという既成事実をつきつけるほどの度胸がおまえにあったなら、わしだって賛成してやったんだぞ」私は叔父を愛していた。殺すつもりは毛頭なかったのだ。

 ごく普通の犯罪小説かと思いきや、わけのわからない方向にねじ曲がり、そのままえんえんと曲がり続ける。さすがカーシュ(^_^)。無駄に長いんだけどね。インチキ臭い無駄なサービス精神がこの作家のいいところ。もはや最初の犯罪計画とか罪悪感などどうでもいい。
 

「煙をあげる脚」ジョン・メトカーフ/横山茂雄(The Smoking Leg,John Metcalfe,1925)★★★☆☆
 ――奥地に住むいかさま医師ゲイガンは、アブダラ・ジャンという水夫を手当てしてやった。「やめてくれ!」と叫ぶ水夫を殴りつけ、水夫が意識を取り戻したときには脚の内側が円形に盛り上がって激しく痛んだ。舞台は変わり、ある豪華客船で怪事件が起こった……。

 見覚えのある名前だと思ったら、『恐怖の愉しみ』収録作家だ。カーシュに引き続きインチキ臭さ全開の話である。M・R・ジェイムズなんかもそうだけど、どっから持ってきたんだと言いたくなるようなこういう怪しげな因縁とか呪いとかがイギリス怪談は得意な気がします。本篇の場合は怪談というより喜劇なんですけどね。
 

「ペトロネラ・パン――幻想物語」ジョン・キア・クロス/吉野美恵子(Petronella Pan:A Fantasy,John Keir Cross,1944)★★★★☆
 ――コルンゴルトは子供好きだった。新聞に赤ちゃんコンクールの広告を出し、至福の一日を過ごすのだ。私は赤ん坊嫌いだが、コルンゴルトを訪れた際に見た一人の赤ん坊の顔は、最も玲瓏として美しかった。

 あ、すごいな。見方を変えると途端に当たり前の風景が不気味に歪み始める。赤ちゃんってよく見れば可愛くないよねえ、不気味だよねえ、と思うんですが、そういう潜在意識をうまく突いてくれる作品(?)です。
 

「白猫」ヒュー・ウォルポール/佐々木徹訳(The White Cat,Hugh Walpole,1948)★★★☆☆
 ――ソーントン・バスク氏は魅力的な人物だった。ファーガソン夫人は巨額の資産を持っていた。情熱を燃やす対象にはならないが、決して飽きることのない相手だった。ここでキスしたらどういう反応を示すだろう? その時、彼はペットの白猫に気づいた。

 さり気なく意地悪な作家。という印象があります。意地悪というか残酷。描かれていることはそれほどひどくはないのだけれど、著者の筆に血も涙もないというか、無感動で冷たい顔が透けて見えるというか。悲劇をクールに書く。この作品も、著者はしら〜ん顔して極悪です。彼がどうなろうと世界は今まで通り動くのだ。
 

「顔」L・P・ハートリー/古屋美登里訳(The Face,L. P. Hartley,1961)★★★★★
 ――エドワードはある造作の顔に惹きつけられる男だった。メアリーと結婚するはるか前から、彼はその顔を描いた。ところが結婚後年目に、メアリーは事故死した。鏡が割れたような感じだった。それからのエドワードは人として機能していなかた。そんなある日、カフェのウェイトレスがエドワードの絵にそっくりだ、と言いだす友人が現れた。

 ディレッタント怪奇小説家でもある普通小説家ハートリーの、これはなんと――怪奇小説ではなく――普通小説です。エドワードと女の顔にまつわる奇譚でありながら、その実完全に語り手の物語でもあります。中産の独身男と落ちぶれた若い女の寂しい二人が、エドワードと女の顔をきっかけに、ほんの少し近づきかけて、でもやはりすれ違う、ちょっと苦くて感傷的な作品。※ハートリイは河出ミステリーから選集が刊行予定だそうなので愉しみ。
 

「何と冷たい小さな君の手よ」ロバート・エイクマン/今本渉訳(Your Tiny Hand Is Frozen,Robert Aickman,1953)★★★★★
 ――電話をめぐるいざこざが始まったのは三日目の夜だ。深い眠りの最中に、ベルが鳴り続ける。「もしもし」数秒間の沈黙のあと、電話の切れる音がした。そんなことが何度も続いた。クリスマスが近づいてくるとエドマンドも、ディナーを過ごしてくれそうな友人に電話をかけ始めた。「どなた?」電話に出たのは見知らぬ女だった。

 エイクマンの作品には、ここが怖いだとかあそこが不気味だとかと理屈では割り切れない危うさがあります。読む者を体内・脳内から浸食していくような気味悪さ。けれどそれがグロテスクだとかニューロティックだとかにはならずに幻想・怪奇の雰囲気をまとっているのが持ち味だと思う。本篇も、怪談としてのネタはありきたりながら、執拗に繰り返される電話がどこか歪んでいる。
 

「虎」A・E・コッパード/吉野美恵子(The Tiger,A. E. Coppard,1923)★★★☆☆
 ――いよいよ虎の登場だ。ヤク・ペダセンがそいつをつれにゆき、バーナビー・ウルフの見世物動物園は、虎の加入により完成しようとしている。ヤク・ペダセンは調教師で親方だった。コサックのマリーは彼のことが大嫌いだが、その彼女にヤクは猛烈な恋情をかたむけているのだ。

 怪奇・ファンタジーではなく、コッパード作品のなかでは、どちらかと言えば市井の人々を描いた作品に属すると思います。屈折したプライドに支えられたサーカス芸人たちの伝法な日常が、やがて……。最後の場面なんて、絵的にも上手いなあ。虎の檻。そこに現れた口のきけない黒人。気絶する女。……。
 

「壁」ウィリアム・サンソム/佐々木徹訳(The Wall,William Sansom,1944)★★★★☆
 ――その晩三つめの仕事にかかっていた時だった。最初の何時間かを過ぎれば、何も考えなくなるものだ。噴射された水の柱が火の中に消えるのを眺めるだけで、頭には何もない。しかしその瞬間、倉庫の上半分が私たちの方に傾いてきた。

 消防士が消火活動中に壁が倒れてくる、というその一瞬を、死の間際でお馴染みの走馬燈形式(?)で描いた作品。ただそれだけといえばそれだけなのですが、ストップ・モーションで見る世界の新鮮さというのがあります。この人だけは旧版『壜づめの女房』にも別の短篇が収録されていたとのこと。
 

「棄ててきた女」ミュリエル・スパーク/若島正(The Girl I Left Behind Me,1957)★★★★☆
 ――会社を出たのはちょうど六時半。「ラララララン」またあのメロディが頭の中でぐるぐるまわっている。レター氏はいつも口笛で《棄ててきた女》を吹いている。わたしはバス待ちの列に並び、疲れはてて、マーク・レター株式会社に我慢して勤務するのも後どれくらいだろうと思った。

 こういうアンソロジーだと、ストレートに意外な作品は、逆にびっくりする。どうということのないOLの慌ただしい日常だと思ったら。やり残した仕事が気がかりで合間合間にそのことがふと頭をよぎる感覚が絶妙にリアル。読んでいるこっちももぞもぞします。
 

「テーブル」ウィリアム・トレヴァー若島正(The Table,William Trevor,1967)★★★★☆
 ――ジェフズ氏は売りに出ていたテーブルをハモンド夫人から安い価格で手に入れることができた。アンドルー卿に売りつけることができたら、利益100%以上はかたい。ところが三日後に、ハモンド夫人の亭主が電話してきて、「買い戻したいんだがね」と言った。

 「世間で信じられていること」の多くはこうして出来上がるのではないかとふと思いたくなってきます。うわべだけなら「このあいだおかしなことがあってね」で済まされるような出来事を、空想でつないだに過ぎない。どれだけ経験と洞察に裏打ちされていようと推察は推察。……のはずなのだけれど。(たぶん)悪意があるのではなく、嵐が通り過ぎたあとの天災のような物語。
 

「詩神」アントニイ・バージェス/佐々木徹・廣田篤彦訳(The Muse,Anthony Burgess,1968)★★★★☆
 ――時間と空間が交換可能であるという教育を受けていたが、それでも連続性が並列性へと変換される奇跡には脅威せざるをえない。シェイクスピアが本当にあれだけの戯曲を書いたのか知りたい。そのために今、このもう一つの地球へ接近しているのだ。

 突然SFで始まるからびっくりした。詩神の正体は?というとまあ脱力するようなお決まりの話なのですが、SF理論と怪奇趣味で楽しませてくれます。オチから逆算すればこの設定には必然性がないんじゃないかとも思うのだけれど。〈現実〉の十六世紀イギリスではないはずなのに、すごく生々しくて当時がリアルに感じられるから不思議です。
 

「パラダイス・ビーチ」リチャード・カウパー若島正(Paradise Beach,Richard Cowper,1976)★★★★☆
 ――照明が暗くなり、緞帳が開いた。驚くべきものだった。まるでその部分が壁からそっくり切り取られ、代わりに曇りのない窓ガラスがはめこまれたみたいで、そこからカリブの浜辺が見晴らせたのである。だけど、実際に足を踏み入れることなんてできるはずがない……。

 すごく高度な3D装置のようなものを小道具に、現実と仮想現実の境が……というSFかと思いきや! うまいですねえ。SF的な道具立てを使いながら、最後には現実レベルに着地すると、ころっと騙される。いや、もちろんSF的な可能性も(一応のところは)捨て切れないわけですが……。
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  『棄ててきた女 異色作家短篇集19』

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