「二十一世紀の夢 10パーセンター」宮田昇
出版エージェントによる小説風出版エージェントエッセイ。
「サイエンス・スクリーン」(I)
当たり前ですが『モスラ』が新作として紹介されていて時代を感じます。ヴェルヌの『悪魔の発明』って映画化タイトルだったんですね。そうわかれば納得のセンスです。
「赤い死」ロバート・ムーア・ウィリアムズ/稲葉由起訳(The Red Death of Mars,Robert Moore Williams,1940)★★★★☆
――フローム艦長は背嚢から紅玉のような物体をとりだした。「これを報告書にまとめてくれないか」それは火星のいたるところに転がっていた。「わたしは探検隊の運命を報告書にまとめようと思う」「どうなったんです?」「死亡していることを確認した。艦から逃げようとして、顔には苦悶のいろがあらわれていた。乗組員の足跡以外、なんの痕跡もみつからなかった」ひとまず食事をして、戻ってみると、赤い石は消えていた。
火星を舞台にしたパニック・ホラーSF。怪物の退治方法自体は古典的なパターンですが、襲ってくるのが火星人ではないこと、町を捨てて凍眠している火星人とその理由、コンタクトSFとして着地するところ、などなどユニークな点もいくつかあります。決して止まるはずのないエンジンが停止し、乗組員が顔を恐怖に引きつらせて死んでいた理由=「赤い死」の正体も、SF的な理由づけがなされていて、襲われるシーンは意外と怖かったです。
「りっぱな生類」C・M・コーンブルース/宇野輝雄訳(The Goodly Creatures,C. M. Kornbluth,1952)★★☆☆☆
――その風変わりな青年は得意先係には向きそうもない。だが有能なコピー・ライターになるだけの才能はありそうだった……(袖あらすじより)
タイトルは『テンペスト』より。「人間というものは……」。若者の夢と中年のかつての夢と現在。著者は河出文庫の『20世紀SF』にも掲載されていて、その解説によると普通小説的なものを書きたかった人みたいです。おっさんくさい。
「順応性」キャロル・エムシュウィラー/神谷芙佐訳(Adapted,Carol Emshwiller,1961)★★★★★
――窓に置いたわたしの目印を、あなたは見たかしら? とうもろこしを植えなかったほんとうの理由は、きっと風変わりに思われるだろうと考えたからでした。そう、わたしはあのころ変っていました。でもいつまでも風変わりでいるのは並たいていではないのですよ。昔、あなたと同じ年ごろに、人と違っているのが嬉しかった時期がありました。
はてして本当に別「種族」なのか、単なる妄想なのかのあわいが判然としないのがエムシュウィラーの魅力です。「それが正しい目印なのかどうか、わたしにはもうわからない」といってとうもろこしを持ってくるあたりのセンスがたまらなく好きです。「正しい目印なわけがない」と言い切れなくなっている自分が怖い。
「科学と科学小説」レイ・ブラッドベリ/矢野徹訳(Ray Bradbury)
科学が嫌いなんじゃなくて、科学の間違った使い方をする人たちが嫌いなんだい、というエッセイ。
「天文学というもの〈スペース・ファンサイクロペディア1〉」草下英明
天文学と気象学の違い、なんてマクラは今でも充分に通用するのでは?
「1950年代のSF映画(その3) SF映画展望(20)」岡俊雄
「蠱惑の珠」ジョン・アンソニイ/川村哲郎訳(Hypnoglyph,John Anthony,1953)★★★☆☆
――デネブ・カイトスからもたらされたその奇妙な木片様のものには、得もいわれぬ手触りのたてみぞがあった(惹句より)
「glyph」を「たてみぞ」と訳したために得体の知れない解説がついていますが(ここでは「浮き彫り」のことでしょう)、どのみち艶笑SFには違いありません。でもたしかに「たてみぞ」とでも解釈しないことには、触覚が極度に発達した生命体という設定と作品のオチが無関係だしなあ。。。向こうが地球人に食いつく理由はわかるけど地球人が向こうにはまる理由がわからないもの。
「影が行く」ジョン・W・キャンベル・ジュニア/矢野徹訳(Who Goes There?,John W. Campbell Jr.,1983)
――南極大陸の真只中、果てしなくつづく大氷坂の下に探検隊が発見したもの、それは恐ろしい悪臭を放つ、見たこともないほど異様な物体だった!(惹句より)
これは創元のアンソロジーで既読なので今回はパス。
「地球物語(20)」日下実男
「さいえんす・とぴっく」
1961年というと、まだアポロが月に行ってないんですね。「月旅行を阻む問題(ソ)」「月着陸装置いよいよ建造(米)」なんて記事があります。でもそれよりも「電子道路の実験成功(米)」が気になります。運転を道路が自動的に制御するような話なのですが、こういういかにも「未来」的な技術が実用化されると何となく嬉しいのにな。
「『エド・マクベインズ・ミステリ・ブック』創刊近し!」という広告が載っているのだけれど、これは結局ぽしゃったのでしょうか?
「すべてを疑え」アイザック・アシモフ/草下英明訳(My Built-in Doubter,Isac Asimov,1961)
科学エッセイ。保守的なことと懐疑的であることは違うのです。
「砂漠の再会」I・ロソホバッツキー/村上達弥訳(1961)★★★☆☆
――考古学調査隊が砂丘の陰に発見したその二個の男女像は、まるで生きているように見えた。そして五年後、再びその像たちを見た彼は意外な事実を……(惹句より)
アイデア自体は非常に単純なもので、それがまたストレートな形で描かれています。それだけに主人公の思いも直截に伝わって来て、ちょっとじんと来ます。
「遠征」フレドリック・ブラウン/遠川宇訳(Expedition,Fredric Brown,1957)★★★★☆
――火星への第一次遠征で困った問題の一つに、遠征隊を男女それぞれ何人にすべきか、という件があったのです……。
それは間違いなく絶倫です(^^)。しかも授業という形を取っているのがまたいっそうばかばかしい。
「無頼の月(2)」アルジス・バドリス/高橋泰邦訳(Rogue Moon,Algis Budrys,1960)
連載ものの第二回。読みたいけど……中途半端だしなあ。
「地球エゴイズム」山田好夫(空想科学小説コンテスト佳作第一席)
――それはみどり色の中に赤い斑点を浮かせて、海のように、ゆっくり、ひたひたと押し寄せてくるのだった。いつの日か、地球を訪れる運命のように……(惹句より)
強引だったり説明臭かったりオチをつけたりと素人くささはあるものの、さしずめ「緑の死」とでもいうべきパニックSFです。
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『S-Fマガジン』1961年9月号No.21