前半四篇がイギリス篇、後半四篇がアメリカ篇。
「老いた子守り女の話」エリザベス・ギャスケル(The Old Nurse's Story,Elizabeth Gaskell,1852)★★★☆☆
――ミス・ファーニヴァルがお住まいの領主館で過ごされるのが、ロザモンドお嬢さまにとって適しているだろうと思われたのですが……冬が近づくと、オルガンのような音を耳にするようになりました。人に聞いても、風の音だと答えます。
お屋敷、子どもの幽霊……と、かなりクラシックなゴースト・ストーリーです。
「冷たい抱擁」メアリー・エリザベス・ブラッドン(The Cold Embrace,Mary Elizabeth Braddon,1860)★★★☆☆
――「もし君がぼくより先に死んだとしても、ぼくを愛しているなら君は戻ってきて、この美しい両腕を今のようにぼくの首に巻きつけるだろうよ」……二人が結婚を誓い合ってから一年が過ぎ、女は一人ぽっちになっていた。
創元の『淑やかな悪夢』にも収録。読み比べると、やはり本書の訳は堅かったです。とはいえ――創元版で読むとホラー以外の何物でもないのですが、直訳調のニュートラルな文章の分、著者の意図は?女の真意は?等々、余計な疑問をかき立てられて、こんな茫洋とした話だったのかと新鮮に感じられました。
「ヴォクスホール通りの古家」シャーロット・リデル(The Old House in Vauxhall Walk,Charlotte Riddell,1882)★★★☆☆
――家もなく、家庭もなく、希望もない! なし得る最善のことは死ぬことだった。「グレアム坊っちゃま! どうなすったんです? 旦那さまと喧嘩なすったんですって。よければ家にいらっしゃいますか」
思わせぶりなわりには、ウィリアムと会ったのは本当に偶然だったんでしょうか。家を貸すあたりのやり取りも幽霊が出る云々を差し引いても不自然だし、(おそらく)企んだのではないぎこちなさの目立つ作品でした。
「祈り」ヴァイオレット・ハント(The Prayer,Violet Hunt,1895)★★★★☆
――「エドワード! 口をきいて! もう一度キスして! あなたを取り戻したいの、あなたのすべてを……ああ、神が天にましますものなら、祈りをかなえてください――」医者は彼女の手を死人から離そうとした。「ご主人は一時間前に死んで、冷たくなっています」死人の頬に触れたが――それは冷たくなかった!
医者が興味を持つ珍しい症例の病人……というので、冒頭から怪奇臭ぷんぷんかと思いきや、仮死状態から蘇生してから何かが決定的に変わってしまった人間関係(特に夫婦関係)が描かれています。それを初めは外部から噂好きのおばさんを通して、次に親身な医者を通して、最後に夫と妻が直接対話して……と、怪しげな雰囲気から徐々に内面に迫ってゆくのですが、だんだん怪談から普通小説に近くなるにしたがってむしろ緊張感が高まってゆくのが見事としか言いようがありません。
「藤の大樹」シャーロット・パーキンズ・ギルマン(The Giant Wistaria,Charlotte Perkins Gilman,1891)★★★★☆
――「私の子どもをください、母上、そうすればおとなしくしています」「お黙り。愚か者――人に聞こえるではありませんか――父上がお出でですよ」彼女は目を上げ、低い叫びをあげたが、父親に口を押さえられ、断ち切られた。「恥知らずめ! 部屋に行きなさい。さもないと縛りつけることになる」
言わずと知れた「黄色い壁紙」の作者です。我が子を邪なるもののように描く冒頭の狂気っぷりからして、思わず著者の精神状態を疑ってしまうような迫力がありました。とはいえ「子どもをください」「恥」といった言葉から、内実は見当がついてしまうわけですが、どうか思わせぶりなまま終わってくれ、「黄色い壁紙」のように狂気のまま(むしろ狂気を加速させて)終わってくれ、と思いながら読んでました。怪談としてはきれいにまとまっているのでしょうが、どうしても「黄色い壁紙」を忘れられず、著者には過剰なものを求めてしまいます。
「手紙」ケイト・ショパン(Her Letters,Kate Chopin,1895)★★★★☆
――処分することはできなかった。これらの手紙を糧として生きてきたのだ。しかし手紙を発見した人々の苦しみを考えると怯んでしまった。ついに、解決方法を思いついた。「この包みを夫に託します。誠実さと愛を全面的に信頼し、これを開かずに処分するようお願いします」
解説によると「超自然の世界を扱った作品」なのですが……? 真相を悟り、嫉妬か絶望か神経衰弱で身を投げた夫の話、だと思うのは間違いなのかな。とんでもない爆弾です。たかが手紙の束とメモ一つなのに、神経がすり減るほどの心理戦を余儀なくされるなんて。
「ルエラ・ミラー」メアリ・ウィルキンズ・フリーマン(Luella Miller,Mary Wilkins Freeman,1902)★★★★☆
――村の傍に、悪名高いルエラ・ミラーの住んでいた家があった。死んでから相当の年月が経っているというのに、若者たちでさえその家の前を通るときは身震いしたし、子どもたちも決してこの家の近くでは遊ばなかった。ルエラは素晴らしく優雅な女性だった。教育は受けていないのに、学校で教えるようになった。ロティという優秀な生徒が代わりに教えていたんだ。だけど一年ほどして死んでしまった。原因はわからない。それでルエラはエラスタスと結婚したんだ。教師には向いていなかったからね。ところが一年後、エラスタスが肺病になった。家系に肺病病みはいないというのに。
どこまでがほんとうのことなのか、ぜんぶ老婆の嘘や思い込みなのか、語り手にも読者にもわからない、むかしばなしのよう。美人で男好きな娘を、保守的でやっかみ深い田舎の共同体がよってたかって排除しようとした――実はそんな話なのかもしれません(まあそんなこと言ったら無数の「かもしれない」があるわけですが。。。)。少なくとも語り手が目撃する幽霊の場面からは、「殺した―殺された」という関係を思い描きづらいところがあります。
「呼び鈴」イーディス・ウォートン(The Lady's Maid's Bell,Edith Wharton,1902)★★★★☆
――退院後、わたくしはプリンプトン夫人の家で働けることになりました。女中について二階に上がり、もう一階上が使用人の居住区でした。ふと前を見ますと、廊下の中ほどに、女の人が立っていました。女中は気づかないようでした。わたくしの部屋は、突き当たりのホールに面していましたが、その部屋と向き合ったところにもドアがあり、開いておりました。女中はそれを見て叫びました。「ドアを開けておいてはいけないのに。奥様が鍵をかけておくようにとおっしゃったのよ」奥様は寝室で横になってらっしゃいました。「後で、寝支度を手伝ってちょうだい」「かしこまりました。ベルを鳴らしてくださるのですね?」「いいえ、アグネスが呼びにいきます」
「小間使いを呼ぶベル」の邦題でウォートン短篇集『幽霊』にも収録。確かなことはエマ・サクソンが死んだことと、旦那様が奥様とランフォード様の関係を疑っていたこと、くらいで、エマの死因は何なのか、奥様が頼んだ処方にはどういう意味があるのか、奥様はなぜ呼び鈴を鳴らさないのか、幽霊が現れるときなぜ呼び鈴が鳴るのか、エマは語り手のハートレイに何を伝えようとしていたのか……、謎は謎のまま、でも何かは起こってしまいます。こういう作品のいいところは、すべてが終わっても(終わっていないから?)なお雰囲気が持続しているところですね。読み終えてからもずうっと幽霊屋敷のなかにいるような気分にひたれます。