『Ghost Hunt and Other Ghost Stories』H Russell Wakefield
国書刊行会『赤い館』の増補改訂版。
「赤い館」(The Red Lodge)★★★★★
――ぼくは妻子を連れてその館で三か月の休暇をとることになった。緑色の泥の塊が落ちているのを見つけた。息子のティムが落としたのだろう。昼過ぎにまどろんだときに、窓に押しつけて見つめている顔を見たような気がした……。
小さな違和感、見え隠れする影、迫り来る悪夢、そして姿を現した緑色の怪物と、現実を襲う恐怖……掌篇ながらとてつもない恐怖を演出する、幽霊屋敷ものの傑作です。「川まで走って身を投げる」という点が「ゴースト・ハント」と共通していますが、自分が連れ去られるのと自分の大切なものが連れ去られるのとでは、随分と恐怖の質が違うものだと実感しました。
「ポーナル教授の見損じ」(Professor Pownall's Oversight)★★★☆☆
――ポーナル教授の方が頭はいいのに、学生時代からいつもモリスンに叶わなかった。ただ一つチェスだけは別だった。だが名人戦への挑戦権をかけたモリスンとの試合で、教授は見損じをしてしまった。負けぬためにはモリスンを殺すしかない……。
つねに二番目だった男の、何をしても二番目から逃れられない運命の悲哀。それは果たして俊才の屈折が生んだ狂気だったのでしょうか。チェスの必勝法と、それに取り憑いた必勝法破りがセットになっているのが何ともいやらしい。
「ケルン」(The Cairn)★★★★★
――冬のあいだはその山の森から上には登るな――地元民にそう囁かれている山に登ってゆくシーブライトを望遠鏡で眺めていたウェランドは、突然望遠鏡を放り出して走り始めた……。
一応のところは雪男のようにも思えますが、正体がまったく描かれていないのが非常に恐ろしい。結局のところ彼らは何を見たのか、何と戦ったのか――。そうしてまた、「冬山には登るな」という不文律だけが伝えられてゆくのでしょう。
「ゴースト・ハント」(Ghost Hunt)★★★★★
――ラジオをお聴きのみなさん、ゴースト・ハントの時間がやってまいりました。わたしたちがいる屋敷では、なんと三十人もの人間が自殺しているのです。かれらは夜、庭を走って、川に身を投げました……。
ラジオのリポーターの一人称で綴られているため、狂気に陥ってゆく過程がリアルタイムで伝わってくる、名作中の名作です。宮部みゆき編『贈る物語 Terror』にも別訳「幽霊ハント」が収録されていたため、ウェイクフィールド作品のなかでは恐らく「防人」とともに人口に膾炙した作品ではないでしょうか。
「湿ったシーツ」(Damp Sheets)★★★☆☆
――アガサは財産目当てで結婚したというのに、夫のロバートは金にだらしなく財産を食い潰していた。頼みの綱はサミュエル叔父の遺産だけ。家に招いて取り入ろうかいっそひと思いに……。
心臓の悪い老人の身体を冷やすためにシーツを湿らせる、というセコい手口と、「そんなことが本当に起こり得るのかどうか」と検死官をして思わせる凄まじい死因が、怖いというよりどことなくユーモラスでさえある作品でした。
「“彼の者現れて後去るべし”」("He Cometh and He Passeth By!")★★★★☆
――旧友フィリップが魔術師クリントンに食い物にされた挙句に殺されたのを目の当たりにしたベーラミー弁護士。ベーラミーは復讐のために魔術の研究を始め、クリントンに近づく……。
本書のなかでは比較的長めの作品です。書棚の影、というのは「ゴースト・ハント」にもありましたが、何でもないはずのものが今までとは違って見えるというのは怖いものです。疑心が暗鬼を生じ始めたが最後もう何も信じられなくなってしまいます。
「“彼の者、詩人なれば……”」("And He Shall Sing...")★★★☆☆
――カトウという東洋人が出版業者のチェルトナム氏のもとに持ち込んできた詩の原稿は素晴らしいものだった。だがチェルトナム氏は何かの影を見たように感じた。
復讐と夢を同時に叶えようとする欲深な幽霊。詩自体には呪いなどがかかっているわけではないようです。仮に詩人が天才でなかったとしたらかなり間抜けな話だなあと想像してしまいました。
「目隠し遊び」(Blind Man's Buff)★★★★★
――道に迷いながらもコート氏はローン屋敷にたどり着いた。扉が背後でギイッと閉まる。マッチを取ってこないと。自動車のシートに置いてきたんだ。手さぐりで戸口に戻ろうとした途端、何かがスッとわきを掠めていったような気がした。
短い話であるだけに、パッと真っ暗になり何かが触れてゆく怒濤の展開に、何かを考えたり精神状態を立て直したりしている暇がありません。お化け屋敷でショック死するようなあっけらかんとした恐怖。
「見上げてごらん」(Look Up There!)★★★★☆
――あの男は何だって上を見つめているんだろう? パッカード氏は食事のあいだも上を見つめ続けている小男に興味を持った。すべては大晦日に夜を過ごしてはならないという屋敷で一夜を過ごしたせいだった……。
どことなくティンダロスの猟犬を思い出しました。大晦日を過ごしたメンバーが「頭は肩のうしろにのけぞって、口を大きく開き、唇に泡を吹いて」いたという描写を思い描くと、エクソシストにも似た怖さがありました。
「中心人物」(The Central Figure)★★★☆☆
――私は八つあまりのころ、叔母にねだって劇場の模型を買ってもらった。ある日ふと我に返ると、舞台の前方手前に三つの人形が置いてあった。女が倒れ、男二人が遠ざかったかのように見えた。
人形の怪が現実と重ねられて再現される怪異――と思いきや、あるいは幼いころに経験した人形の怪自体が記憶の捏造だったのでしょうか。嫉妬に狂って殺人を犯した男が、罪の意識をごまかすために、遡って怪異を創作したとも取れます。何にしても手記という形式が活きている作品でした。
「通路《アレイ》」(The Alley)★★★★☆
――ジョーが格安で手に入れた田舎の屋敷には、昔の持ち主が家族を拷問した「通路」と呼ばれる部屋があった。気にする者はいなかったが、生来神経質なパリサーだけは、自分には何か感じると言って……。
最後まで怪異とも狂気ともつかない、血みどろの惨劇が、読み終えたあとまで尾を引きます。ウェイクフィールドは「最後の怪奇小説作家」というのが謳い文句ですが、本書のなかの何篇かでは、このようなホラー映画の画面めいた恐怖が描かれていました。
「最初の一束」(The First Sheaf)★★★★★
――ぼくが片腕をなくした理由は……ぼくが子供だったころ、牧師だった父親が田舎の教会赴任したが、地元の人間は今も土着の宗教を信じていた。あるとき新参者の娘が行方不明になったが、どうにかしようとした父親が逆に避けられる始末だった。
生贄を求める異教の神、というオーソドックスな怪異譚ながら、先に映画云々と書いたように、絵的に強い印象を与えられるのがウェイクフィールド作品の強みでしょう。まとめて読んでみて初めて気づいた意外な個性でした。映画映画と馬鹿の一つ覚えで申し訳ありませんが、本篇の山場などそのまま映画のポスターになりそうだと思いました。
「暗黒の場所」(A Black Solitude)★★★★☆
――フォーランド卿が屋敷を留守にしているあいだ、卿の昔馴染みであるアプレイウス老人が滞在することになった。老人は部屋に飾られた男女の絵を一目見るや、その部屋で夜を過ごすのは危険だと警告した。
ゴースト・ハンターのような老人がふってわいたように登場するため、これまでの作品とは趣が変わり、その意味で本書中でもひときわ目立つ作品となっています。
「死の勝利」(The Trumph of Death)★★★★★
――ペンドラム夫人の家では五人の女中のうち三人が死に二人が逃げた。新しい女中アメリアの命を心配する牧師夫妻は暇をもらうように説得するが……。
著者は幽霊屋敷もののおぞましさを書かせると天下一品ですね。憑依なのか狂気なのか、異常なるものが交わったときに起こる惨劇に、不快ながらも美しい余韻が残りました。何者かの悪意があったのかもしれないし、なかったのかもしれません。悪意がないにもかかわらず悲劇が起こったのだとすると、凄惨すぎるというほかありません。
「悲哀の湖《うみ》」(Woe Water)★★★★☆
――妻のアンジェラが湖で死んだ。まったくの事故なのに、ぼくが殺したのだと中傷するやつがいる。召使いのバラットまでもが思わせぶりなことを言ってきた。
一人称の語り手が狂気に陥ってゆくという点では「ゴースト・ハント」と同様ですが、こちらはどうやら殺したらしいのが自明で、故意か思い込みかは不明ながら明らかに嘘をついているため、初めから信頼のおけない危うい感じが漂っていました。
「チャレルの谷」(The Gorge of the Churels)★★★☆☆
――出産で死んだ女の魂が、子供から魂を抜いてどこかに持ってゆくのだ。インドではそんな幽霊をチャレルと呼んでいて、チャレルの谷には幽霊たちが好んで集まっているという。
幽霊を信じない時代の怪異を描くに当たり、「馬鹿げた迷信を信じている」インド人という存在を用いている点が秀逸です。もちろんそう言っている本人は自分のことを「無知」や「野蛮」だと本気で思っているわけではないのですが、登場人物に対してはそういうエクスキューズを効かせておきながら、同時に読者にはそれが口先のものだとわかるようになっている、二重の視点が興味深い一篇でした。
「不死鳥」('Inmortal Bird')★★★★☆
――キャノピー老教授が餌をやると、いつも鳥たちが集まってきた。いつまでも大学に居座っていた教授が階段から足を滑らせたのは事故だったし、周囲も後継者となる私に同情を示してくれた。
アンソロジー『漆黒の霊魂』で「動物たち」を初めて読んだときの恐怖ともの悲しさは忘れることができません。本篇で描かれる鳥たちのシーンも、あれを髣髴とさせる戦慄すべきものでした。
「蜂の死」(Death of A Bumble-bee)★★★★★
――巨大な穴の底に爆弾があって、それがカチカチと鳴っている……ディリスがそんな夢を見るようになったのは、ウィーンから戻ってからだった。予知能力のあったディリスの両親は爆撃で亡くなっていた。
怪談から心霊に、心霊からSFに……果たしてウェイクフィールドはそんな形で怪奇小説という道をたどろうとしていたのでしょうか。ウェイクフィールド最後期の作品。これまでの作品とはまたタイプが違うだけに、もしウェイクフィールドが怪奇小説を書き続けていたならばこの後どんな作品を書いてくれたのかが気になります。印象に残った一言:「愚かにも手をあげる志願者がいなくなれば戦争なんてすぐ終わるのです。」
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