『ジェイクをさがして』チャイナ・ミエヴィル/日暮雅通他訳(ハヤカワ文庫SF)★★★★★

 『Looking for Jake』China Miéville、2005年。

「ジェイクをさがして」(Looking for Jake,1998)★★★★★
 ――ぼくは今、この危険な街を見渡している。風に乗って、わけのわからないささやき声のようなものが聞こえてくる。すぐそばで、やつらがねぐらにいるんだ。今のぼくの目に映る者がいないのは、そこに誰も存在しないからだ。

 SFマガジンで既読でしたが再読。自分のいないあいだに変わってしまった(と信じたい)町、オルフェウスを振り向かせた不安。崩壊するのではなく人が消えてしまっただけの世界の終わり。町は何も変わらず、でも確かに何かが変わってしまった。そこで変わる前と同じように、友人関係の難しさに悩んでいる語り手。そもそも語り手自身が実在しているのかどうかも怪しい。自分が死んだことに気づかない魂のよう。
 

「基礎」柳下毅一郎訳(Foundation,2003)★★★☆☆
 ――その男は建物に話しかけている。建物は囁きかえす、と男は言う。建物のどこが悪いのか、決して間違うことはない。夢の中で、男は基礎から話しかけられた。

 基礎の声を聞く(と信じている)男の妄執。神の声を聞いたと信じるサイコもののような作品はよくありますが、ミエヴィルの場合は実際に声が聞こえている(かもわからないような)作風に特徴があります。現実の事件の大胆な用いられ方にはびっくりしました。
 

「ボールルーム」エマ・バーチャム、マックス・シェイファーと共作/田中一江訳(The Ball Room,2005)★★★☆☆
 ――店には託児所もあるし、子どもたちに人気なのがボールルームだ。プラスチックのボールが部屋を埋めつくしている。保育士が二人つづけてやめた。理由は話してくれなかった。店全体の雰囲気も悪くなった。

 ミエヴィルはほとんど関わってないのではないかと思うくらい、ふつうの怪談で、ミエヴィルっぽいところがまるでありません。
 

「ロンドンにおける“ある出来事”の報告」(Reports of Certain Events in London,2004)★★★★☆
 ――届いた郵便物はわたし宛てではなかった。その中身をここに再現してみようと思う。「空間的制約のためか、今回のヴァーマン通りは確認されている最後の出現時よりもいくぶん短く、ゆがんだ形態である。土曜日、ヴァーマン通りの初期調査が開始された。VFの特徴が確認されている」

 SFマガジンで既読でしたが再読。道が動き回れるという報告書の断片の誤配(をよそおった陰謀(をよそおった悪戯(かもしれない)))。見慣れた町に出没するありふれているはずの道という怪異のアイデアもさることながら、入れ子構造もよくできています。
 

「使い魔」(Familiar,2002)★★★★★
 ――魔法使いは、長いあいだ、使い魔を欲しいと思っていた。リンゴみたいにみっちりしたそいつは、魔法使いの唾液と精液と魔法で凝固した、彼の脂肪と肉の混合物だった。耐えられない。ヘドが出る。そいつは殺そうとしても死なない。殺せるのだとしても殺し方がわからない。重しをくくりつけて水に落とした。

 SFマガジンで既読だったのを再読。スタージョン「それ」を髣髴とさせる川のなかの成長から、出会う相手を取り込みながら経験値と記憶を上げてゆく漫画のような設定までが、微細に書き込まれています。成長はするものの意思や感情を持たないのが使い魔の使い魔たるゆえんでしょう。
 

「ある医学百科事典の一項目」市田泉訳(Entry Taken from a Medical Encyclopaedia,2003)★★★★☆
 ――病名:バスカード病、あるいは蠕虫語。症状:この病気は最長三年間潜伏し、その間感染者は激しい頭痛に悩まされる。患者の意味不明な「演説」中に居合わせた者は次のように報告している。患者は特定の一語――蠕虫語――をしきりに反復したのち、沈黙して反応を待つ。

 SFマガジン再読。改めて読んでみると、註釈や見出しはともかく、本文はあんまり百科事典ぽくない。むしろ報告書でしょうか。いずれにしても医学関係の記述という設定のためか、ある言葉によって脳内にシナプスが云々という描写は、ミエヴィル作品のなかではかなりSF(科学)っぽい部類に入ります。
 

「細部に宿るもの」(Details,2002)★★★★☆
 ――母親に頼まれて、あの黄色い家に通っていたころがあった。ぼくはミセス・ミラーの部屋のドアをノックする。毎週水曜日に彼女のところへ食事を持っていく。母はいつも火曜日の夜、一時間かけてその準備をした。ゼラチンかコーンスターチをミルクで溶いて、とろみがつくまでかき混ぜる。

 SFマガジン再読。クトゥルーに疎いわたしでも、「角度」という一言でピンと来ます。少年視点の〈怪しい隣人〉ネタで描かれたクトゥルーなので、クトゥルー苦手でも読みやすかったです。
 

「仲介者」(Go Between,2005)★★☆☆☆
 ――パンの中に何かが入っている。庖丁がカチンと当たった。出てきたのは、片手にちょうどおさまるくらいの灰色の筒だ。反対側に、打ち出したような浮き出し文字で、指示が書かれてあった。セント・ジェームズ・パークのゴミ箱に隠せ。至急。YWBC。

 不幸の手紙のようなものを受け取り、自分へのメッセージだと勘違いしてしまった妄想者のお話。「ロンドンにおける“ある出来事”の報告」とは違って、語りに工夫が凝らされていないため、ただの頭のおかしい人に見える。
 

「もうひとつの空」(Different Sky,1999)★★★☆☆
 ――七十一になったら、鬱ぎの虫にやられてしまった。今、これを書きながら机の前に座っているのだが、その窓ガラスは頭のあたりに位置している。夕暮れの光が、古い窓の中央にある赤いガラスを通して差し込んでくる。目がさめたのは、雨音のせいだろう。私は首をめぐらせて、動きを止めた。古い窓ガラスは乾いている。

 異世界に通じる窓。自分の見ているもの書いているものが惚け老人の妄想だと思われるかもしれないと自覚している老人の手記という形を取ります。もちろん最後になっても事実なのか妄想なのかはわからないし、窓の外に老人の死体が……というパターンさえも。
 

「飢餓の終わり」田中一江訳(An End To Hunger,2000)★★☆☆☆
 ――〈飢餓の終わり〉というサイトのリンクをクリックすると、チャリティ活動に募金できるシステムだった。「ヘドが出るだろ」エイカンは声を荒らげた。「徹底的にぶっつぶしたいんだ。クリックしてみろよ。一クリック十ドル支払わなくちゃならないようにしてやったぜ」

 内容自体は「ジェイク」や「ある出来事」と大差ないのに、書きようによってはこんな頭のオカシなオタクの話になってしまうのかと。そういう点では興味深いけれど、慈善に対して偽善どころか陰謀を嗅ぎ取り、セコイ嫌がらせをしつづける――というおバカな筋には苦笑するしかありません。
 

「あの季節がやってきた」('Tis the Season,2004)★★★☆☆
 ――子どもっぽいと思われようと、ぼくはクリスマスTMが大好きだ。でもトナカイTMもヒイラギTMも使えない。安っぽい光りものの二つ三つには、検閲官も目をつぶってくれる。ところが、とんでもないことが起きた。懸賞に当たったんだ!

 SFマガジン再読。クリスマスが商標登録されて自由に祝えなくなってしまった未来でおこなわれる抗議運動。
 

「ジャック」(Jack,2005)★★★★☆
 ――逃亡したあとのお祈りジャックが何をやらかしたのか、初めて聞いたときのことは、よく覚えている。何百ノーブルもの金を奪って逃げ、それを通りにばらまいた。おれが気に入ったのは、金をばらまいたことじゃなくて、どこから盗んだかってことだった。お役所からだったんだ。

 SFマガジン再読。『ペルディード・ストリート・ステーション』の番外篇。民衆の側からではなく体制の側から見て義賊をガス抜きとして捉えた点、ジャックに対する気持がヒーローへの憧れではなく親バカの愛情である点、など、ちょっと皮肉なヒーローもの。
 

「鏡」(The Tain,2002)★★★★★
 ――数週間は、五分五分のいい勝負だったのだ。だがどこからともなく、イマーゴが町の中心に出現した。敵の部隊は町じゅうに侵攻していた。残っていたロンドン市民は恐怖のあまり漁り屋と化した。すぐに軍隊はちりじりになってしまったものの、なかには生き延びて抵抗しつづけている部隊もあった。

 SFマガジン再読。鏡に封印された別種族《イマーゴ》たちが人類に対して叛乱を起こし、人類は必死(?)に防戦を試みている……。ショールは救世主となれるのか。謎めいたイマーゴの襲撃もさることながら、ゾンビとの一騎打ち(?)も見どころです。
 

「前線へ向かう道」チャイナ・ミエヴィル作/ライアム・シャープ画(On the Way to the Front,2005)★★★★☆
 ――兵士のひとりを目にしたのは、それが最初だった。気になったのは確かだが、よく覚えていない。彼のことは何日も忘れていた。帰還兵なのだろうか。

 描かれているのは徴兵(スカウト?)ですが、「仲介者」や「飢餓の終わり」のように、現実とも妄想ともつきません。
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