『笑いの錬金術 フランス・ユーモア文学傑作選』榊原晃三・竹内廸也編(白水Uブックス)★★★★☆

「他人の体に」アルフォンス・アレ/竹内廸也訳(Dans la peau d'un autre,Alphonse Allais,1892)★★★☆☆
 ――明け方になったもんだから、おれは降霊会を抜け出して、屍体公示所の前を通りかかった。そこで見た最初の屍体が、おれの恋人だったんだ。「あの娘の恋人なんです」「いえ、隣の台の男がそうです」おれは恋敵のところに行き、そいつの顔を見た。誰だったか分かるかね。分かりっこない。

 身も蓋もない(^^)。一度しか使えないようなネタのはずなのですが、アレは似たようなアイデアをほかでも使っていたような気がします。
 

「彼らの言っていることは」トリスタン・ベルナール/竹内廸也訳(Qu'est-ce qu'ils peuvent bien nous dire?,Tristan Bernard,1897)★★★☆☆
 ――地球と火星の間の通信手段を探求するための会議が開かれた。火星の表面に観測される発光信号は、たしかに地球に向けて送られているものであると考えられるからだ。

 火星からも見えるくらいの大きな文字でメッセージを書くという、原始的で気の長い発想が、いっそうの馬鹿馬鹿しさを誘います。
 

「専門医」トリスタン・ベルナール/榊原晃三(Les médicins spécialistes,Tristan Bernard,1899)★★★☆☆
 ――シメオンは痩せたかった。ブラルチュール博士の歩行療法を受けたシメオンは、二十五ポンド痩せた。ただ、足首が多少弱くなってしまった。そこでスキツマー博士の治療を受け……。

 どう考えたって円環型の話だと思うでしょう。ところが――。繰り返しのくどさが、単純なオチを引き立てています。
 

「ライオン」トリスタン・ベルナール/榊原晃三(Le lion,Tristan Bernard)★★★★☆
 ――その部屋は悲愁と悲嘆に満ちていた。ベッドの下で、死者の妹が両手を合わせお祈りをしていた。「神さま! どうか奇跡をお起こしくださいませ」

 アイデア・ストーリーのお手本のような、エッセンスだけを抜き出した見事なショート・ショートです。
 

「黒い天井」カミ/竹内廸也訳(Le plafond noir,Cami,1926)★★★★★
 ――カフェでゲーム中、「タラパタカ、手の無い腕を下ろせ」という意味不明の言葉が聞こえた。角笛のような恐ろしい叫び声が響きわたり、窓ガラスがすべて割れてしまった。同時に、公証人のピュミルツァ氏が、見えない手に掴まれたかのように、ゆっくりと天井まで昇って行った。警官たちが中に入ってみたが、死体の外は何も見つからなかった。名探偵ルーフォック=オルメスが乗り出してくれれば……

 ナンセンス文学のカミですが、この作品で起こる事件自体はけっこう怪奇調で、これはユーモアにしてもどうやってオチをつけるつもりなんだと心配していましたが、まさかこれほどまでのナンセンスとは(^_^;。それなりに伏線はあるので、常識に囚われなければ読者にも謎が解ける(?)かも。
 

「しっかり者の女房」カミ/竹内廸也訳(Un maîtresse femme,Cami,1914)★★★★☆
 ――夫「家具をみんなジグソーパズルみたいな小さな断片に切るなんて素晴らしい思いつきだよ。家賃の期限が近づいてきたら、こっそり引っ越せるからね」、妻「こんなことをしているのは生活じゃないって認めるべきだわ」

 トリスタン・ベルナールの「専門家」ではくどさが、本篇では一万七千六百二十五個なんていう細かさが、馬鹿馬鹿しさを引き立てています。ていうか、いくら何でも途中で気づけよ! 箪笥みたいな奥さんなのかも、とかどんどん余計なことを考えてしまいます(^_^。
 

「百万フラン」ギ・ド・モーパッサン榊原晃三(Un millions,Guy de Maupassant,1882)★★★☆☆
 ――伯母さんには子供がなかったので、百万フランの遺産は姪夫婦に残すより仕方なかった。ところがこの若い夫婦にも子供がなかった。伯母さんはそれを残念がって、不妊をなおさせようと忠告してみたが、成功しなかった。

 究極の選択、みたいな葛藤などどこ吹く風。恋や熱情では幸せはつかまらないのです。
 

「死者の婚礼」モーリス・ルブラン榊原晃三(Les noces de la morte,Maurice Leblanc)★★★☆☆
 ――彼の妻が死んだ。アンゲランは一人だけで通夜をしてやりたいと思った。彼は苦しみの叫びを押し殺した。ドアが開いたのだ。隣に住んでいる伯爵が死骸にかがみこんで、二言三言話しかけた。

 出来そこないの怪奇小説みたいな話です。ユーモアというより思わず失笑してしまいました。
 

クラリネットの脅迫」ジュール・モワノー/竹内廸也訳(Le chantage à la clarinette,Jules Moinaux,1882)★★★☆☆
 ――「あなたは物乞いをしたことを認めますか?」「それは侮辱です」「カフェでお金を受け取ったのを見た人がいるんですよ」「お金を受け取る人が誰でも乞食だとすればですね、世の中の人は全員乞食ということになります」

 へりくつ屋にしてはおとなしい方で、そこが物足りないといえば物足りません。
 

「贋作」ロマン・ギャリ/榊原晃三(Le faux,Romain Gary,1962)★★★☆☆
 ――「あなたのファン・ゴッホは贋作だよ」これはS・・の主義の問題だ。ペテンの片棒をかつぐわけにはいかない。バレッタのファン・ゴッホを贋作だと吹聴はしても、バレッタ本人には反感など少しも抱いていなかった。

 ほとんどホラーのようなブラック・ユーモア。ダシでしかないような残酷で即物的な登場人物の扱い方。人間を「贋作」と言い切る割り切り方が(そして主人公がこだわるポイントもそこにあるのが)いやはやブラックです。
 

「孤島奇譚」ロマン・ギャリ/榊原晃三(J'ai soif d'innocence,Romain Gary,1962)★★★☆☆
 ――ついに文明から離れ、金儲け本位の世界からできるだけ遠く離れた太平洋の孤島に引退しようと決意した。わたしは無垢に渇いていた。その島の住民は、利益には無関心だった。島に来てから三カ月たったころ、一人の少年が贈物を持ってやって来た。驚かされたのは、その菓子を包んでいた布だった!

 自分のことを棚に上げて、なにが「一度ならず、世界はわたしを裏切ったのだ」なんだか。この人はほんとブラックですね。絵画ものが二篇続きましたが、著者はそっち関係の人なのでしょうか?
 

「柱時計」ローラン・トポール榊原晃三(Le pendule,Roland Topor)★★★☆☆
 ――目から涙を流している男の子が、エレベーターの箱にもたれて、うずくまっていた。「迷子になったのかい? さあ、君の家に連れていってあげよう」「いやだ! お願いだよ! まだ、いやだよ!」次の瞬間、男の姿は消えていた。

 どこからどうみても怪談だと思ったら、最後の最後に――いや、やっぱり怪談ですよねえ。
 

「熱愛」ローラン・トポール榊原晃三(L'amour fou,Roland Topor)★★★★☆
 ――まず、靴を脱ぎながら、靴底にありそうもないくらい大量の釘がくっついていることに気がついた。釘だけではない、画鋲もピンも針も、それに小学生が使うペン先まで二、三本以上もくっついていたのだ。ぼくは磁力を帯びていたのだった!

 やっぱりこういう馬鹿馬鹿しいのが好きです。人類みな磁化して反発し合ってしまい、種の存続の危機!
 

「冗談に」ピエール・マッコルラン/竹内廸也訳(Pour plaisanter,Pierre Mac Orlan,1913)★★★★☆
 ――思いがけず、冒険をやったよ、とガルウェルが言った。クランのやつがね、テーブルに片手をのせて、言ったんだ。「この手を思いっきり叩いていいよ。おれの手は痛まないんだ」「それじゃ、やってみようか」……

 きっとびっくりした理由が違うってば(^_^;。幸せな与太郎ものです。
 

「仕返し」ピエール・マッコルラン/竹内廸也訳(Le choc en retour,Pierre Mac Orlan,1913)★★★★★
 ――色男のガルウェルはミニー・ストップと夫婦になったが、妻が不倫を重ねるのでガルウェルの憂鬱は深くなった。ある学者の考えを実践してみようと決心した。ジャングルの奥に檻を作り、その中で暮らしたのだ。

 二重に皮肉な結末が可笑しい。現実にもいますよねえ、人間よりも……っていう人。
 

「片目の男」ジャン・リシュパン/榊原晃三(Le deux borgnes,Jean Richepin,1922)★★★★☆
 ――わたしは仕事の行き帰りとも歩いた。マルチーヌ通りに片目の物乞いがいて、わたしは機械的に一スーをあげることにしていた。ところがサン=ジャック通りにももう一人の物乞いがいて、これは右ではなく左の目がみえなかった。

 これも皮肉なおはなしです。もうけるためのただの知恵かと思いきや、人間性を鋭くえぐってどきっとさせられます。
 

「おかしな話」アレクサンドル・ブレフォール/竹内廸也訳(Une histoire drôle,Alexandre Breffort,1955)★★★★☆
 ――おかしな話なんか期待しないで下さい。それまでに作られていた話はどれも取るに足らないとは申しませんが、やはり私の友人の作りだしたおかしな話に比べれば、どんな話でもつまらなく思われたことは認めなければなりません。

 定番といえば定番の、おかしすぎて話せない話、です。語り手の言う通り、小文字の「おかしな話」は話してはもらえませんし、大文字の物語も取りようによってはちょっと怪談調なので、「おかしな話なんか期待しないで下さい」。
 

「私はうちの女中を殺しました」ジョルジュ・オリオール/竹内廸也訳(J'ai tué ma bonne,George Auriol,1895)★★★★★
 ――「はい、裁判長さま、私はうちの女中を殺しました。ただ、ちょっと懲らしめてやろうと思っただけなのです」「ピストルでですか」「こういう次第でございます。それまであんな恐ろしい娘をみたことはありませんでした」

 これは裁判という構成の勝利です(^_^)。ほかならぬあの人がこの場面でああいう口調で言うからこその爆発力。誰か冗談なんか言わなそうな真面目な俳優でドラマ/コント化してほしい。
 

「ニス」ジョルジュ・オリオール/竹内廸也訳(La bouteille de vernis,George Auriol,1894)★★★★☆
 ――ウィリアム・ローファーじいさんは、二十歩も歩くと、もう、喉がからからになってしまうのです。だから、ほんの一マイルばかり歩くだけで、ウィスキーを三、四十杯も飲んでしまうことになるのです。

 この人のばかばかしさの破壊力には並々ならぬものがあります。どっちが喉がからからかを競ってホラがどんどん大きくなって、途端に底が抜けました。
 

「怪物」ガストン・ド・パヴロウスキー/竹内廸也訳(Le monstre,Gaston de Pawlowski,1918)★★★☆☆
 ――パンチュ夫人が怪物を生んだとは。何とも恐ろしい知らせです。まさにお葬式の集まりのようで、出棺せずに埋葬することなどが話されていました。

 これもばかばかしい話なんだけれど、オリオールと比べると切れ味が悪い。
 

「黒色光線」ガストン・ド・パヴロウスキー/竹内廸也訳(La lumière noir,Gaston de Pawlowski,1961)★★★☆☆
 ――黒色光線が発見されたようである。その異常な結果は容易に推測できる。たとえば戦中の場合、軍隊を全部、見えなくすることが可能である。

 短いだけに、これも切れ味がほしいところです。
 

「沈黙党」アレクサンドル・ポテイ/竹内廸也訳(La Mutte,Alexandre Pothey,1870)★★★☆☆
 ――しばらく前から、政府は非常に不安になっています。地方でも、『沈黙党』が恐るべき発展を遂げています。弾圧しなければなりません。どのような手段を取るか。それが問題なのです。『沈黙党』は決して集まらず、話をせず、何も書かないのです。

 「実際に警察が不安を感じ、作者は逮捕されそうになった」というのにいちばん笑いました。
 

「節酒の教え」ガブリエル・ド・ロートレック/竹内廸也訳(La leçon de tempérance,Gabriel de Lautrec)★★★★★
 ――息子よ、神は人間が渇きに苦しむことを望まれなかったのじゃ。それゆえカクテルを作り出された。だが、お許し下さったところを踏み越えてはいかん……。

 これもばかばかしい破壊力があります。こういう落語みたいででもくらだらないの、好きなんですよね。
 

ダモクレスの剣」ガブリエル・ド・ロートレック/竹内廸也訳(L'Epée de Damoclès,Gabriel de Lautrec,1920)★★★★☆
 ――大饗宴はまさにたけなわだった。ダモクレスは王に、そこに座るよう言われたのだった。座る前に、彼は地面の上に、古新聞で包んだものをひとつ置いた。

 古新聞って(^_^;。まあしかし、王たるものなら危険に対して初めからそれくらいの用心はして当然でしょう。
 

「厚かましい奴」フィシェール兄弟/竹内廸也訳(Client Malhonnêt,Max et Alex Fischer,1904)★★★★☆
 ――おれはパリに出て代理業に入ることに決めた。昨日の日曜にね、本を屋根裏に移動するのを手伝ってくれって言って来た人がいた。雇い主は金を払ってくれて、「ところで、午後は、もう少し楽しいことに使ってみないですか」と愛想よく笑いながら言った。

 これも落語のような気の利いたオチですね。価値観の相違によるすれ違いのおかしさです。
 

「献辞」フィシェール兄弟/竹内廸也訳(Les dédicaces,Max et Alex Fischer,1910)★★★★☆
 ――主人が出かけると、召使いのジョゼフは、こっそり書斎の本を取り出しました。それから、ある古本屋に行きました。「……ほう、これは献辞の書いてある贈呈本ですね……申し分ありませんよ」

 一字一句同じ文章なんか書いちゃバレちゃうよ――という心配をよそに、そんなところよりももっと根本的なボケをかましてくれました。
 

「カメレオンのような子供」キャプテン・キャップ/竹内廸也訳(L'Enfant Caméléon,Captain Cap)★★★☆☆
 ――この子はやせっぽち。父親は乱暴者。いつも子供を殴りつけ、小さなギュスターヴは顔色が悪い。まっ白だ。

 詩です。タイトルからわかるとおり、このあとどんどん色が変わってゆきます。
 

「ボーブール通りの事件」シャルル・クロ/竹内廸也訳(L'affaire de la rue Beaubourg,Charles Cros,1877)★★★★☆
 ――弁護士「確かに、人を殺したのであります。被害者が襲撃に遭っても生き残っているとすれば、それは不運による……(言い直して)それは神様のお力によるものです。この被害者になり損なった男は――」

 ジョルジュ・オリオールの「私はうちの女中を殺しました」と似たタイプの作品だけど、こちらの方がもっといやらしい。
 

「大きな犬」シャヴァル/竹内廸也訳(Un gros chien ou Gallouédec et Médor,Chaval,1962)★★★☆☆
 ――私の知っている大きな犬は、一種の知性を持っています。彼の目的がかなえられるかは、相手の人間の理解力次第です。二、三日前のことですが、彼が私にこんなことを教えてくれました……。

 犬の話をしていたはずなのに、どんどん話は逸れて、どんどんホラはふくらんで、最後にはすべてを無効化する奥の手が(^_^;
 

「不敵な牧童」ルネ・ド・オバルディア/竹内廸也訳(L'intrépide gaucho,René de Obaldia,1952)★★★★★
 ――いつものようにパンション氏は映画を見に行った。妻と息子も一緒だった。今日の映画『不敵な牧童』が映し出された。パンション氏は暗がりの中で赤面した。不敵な牧童とは彼なのだった。

 シュールな作品が続きます。ただしギャグめいた「大きな犬」とは違い、こちらは幻想小説風。しがない男がヒーローになる「虹をつかむ男」風。さて、この結末はカフカ風の不条理なのでしょうか。それとも現実世界でしがない男がしがない罪で連行されてしまったのでしょうか。たとえそうだとしても、いったん作中作のヒーローと重ねられてしまった以上、ただの犯罪者かもしれない男もとてつもなくヒロイックに見えてしまいます。
 

「思いちがい」ルネ・ド・オバルディア(Méprises,René de Obaldia,1952)★★★☆☆
 ――私のいる女の門番はモンゴル人が嫌いです。彼女はモンゴル人を見つける度に、ぎゃっと、やってしまいます。部屋を借りている人たちは見て見ぬふりをしています。

 あ、頭が揺れる。ニヤニヤしながら読んでいたら、最後にガツンとやられました。予想通りの結末のそのまた後の不意打ち。
 

「グリンピース」ガストン・ポミエ・レラルグ/竹内廸也訳(Les petits pois,Gaston Pomier Layrargues,1967)★★★★★
 ――赤頭巾ちゃんは、話す人が誰であろうと、赤頭巾ちゃんの話をされるのにうんざりしていました。赤頭巾ちゃんはけりをつけようと決心しました。グリンピースに変身すると、庭に転がって行って、すぐに芽を出し始めました。

 赤頭巾ちゃんをなぞりながらも、ハチャメチャな発想の飛躍が乱れ飛びます。おばあさんが色盲とか趣味がルイ十六世と同じとか、どうでもいいところで細かいコメントも笑わせてくれます。
 

パンタロン」ヴァンサン・イスパ/竹内廸也訳(Vincent Hyspa,Le Pantalon,1921)★★★☆☆

「魚」ヴァンサン・イスパ/竹内廸也訳(Vincent Hyspa,Le Poisson,1921)★★★☆☆
 ――魚ってやつは、いくつか例外があるけれど水棲動物だ。ところが、その体つきはどうも水の中で暮らすようにデザインされてないような気がする。腕も切られ、足も切られているから、体をひっかくことも出来ない。

 いずれも百科事典的な説明に沿いながらそのいちいちを細々と皮肉っています。パンタロンはキュロットが成長したものにすぎないのであります(^_^)。
 

「隠棲」アンリ・デュヴェルノワ/榊原晃三(La retraite,Henri Duverunois)★★★☆☆
 ――スルシエ夫人は夫をいじめ抜いていた。夫のバンジャマンは秘かな望みを抱いていた。つまり、どこか静かなところに日当たりのよい部屋を一つ持つことだった。そこでなら、一人で暮らして、水彩画を描くことができるだろう。

 妻から逃れて完全に一人になれる場所は――? メシアや仙女と仲良くするバンジャマンの幸せそうなことと言ったら。
 

「説得」ウジェーヌ・シャヴェット/竹内廸也訳(Le guillotiné par persuation,Eugène Chavette,1875)★★★☆☆
 ――十七人も殺した男に死刑が宣告された。陪審員の男は「出世のチャンスができたぞ」と思った。処刑の日、局長を食事に招いた。ところが死刑囚が出て来ない。みんなはがっかりしたが、陪審員の男が説得しに向かった。

 ん? オチがよくわからない。というかオチではないのか。死刑囚をいかに説得するかだけでもブラックですが、説得された理由がイデオロギーというのがまた諷刺臭ぷんぷんでブラックです。
 

「Z夫人の三人の夫たち」ピエール・ヴェベール/竹内廸也訳(Les trois maris de Mme Z***,Pierre Veber,1895)★★★☆☆
 ――Z夫人の二人の夫たちは自殺していた。X氏は結婚から一年後、ピストルを買い、自室にひきこもり、自殺した。それまで何の噂も無かった。

 これもオチのあるタイプのユーモアではありません。「自由ではない」ということに気づいた瞬間、「理由」がわかった喜びで、落ち込むどころか陽気になり出し、あげくは不自由から逃れるために喜んで死を迎えるというブラック・ユーモア。よくある「結婚=不幸」ネタをもってまわって理屈っぽく。ヴァンサン・イスパの作品にも通じるような、そんなこと真面目に書くなよ、という馬鹿らしさ。
 

「モンタルジの奇跡」オーレリアン・ショル/榊原晃三(Le miracle de Montargis,Aurélien Scholl,1882)★★★☆☆
 ――ラ・ファルシーという女性がいた。彼女は聖女の話を読んだが、こうした信仰の実践行為と、自分の富を築いたような実利行為との間に、目立った差位を認めなかった。

 これまた驚くほどベタな作品です。ほかの収録作と比べても、ちょっと笑いのレベルが低すぎやしないか。
 

「木の頭を持つ傷痍軍人」ウジェーヌ・ムートン/榊原晃三(Histoire de l'invalide à la tête de bois,Eugène Mouton,1886)★★★★☆
 ――デュボワ軍曹が頭を砲弾に持って行かれてしまったので、外科医が呼ばれた。目一つと前歯一つしか残っていない。

 冒頭からのナンセンスに相応しい、理屈は飛んでも筋は通ったバカらしさ。いちいち丁寧に頭を作っていく過程を説明しているのも面白い。
 

代表取締役」ジャック・ステルンベール/榊原晃三(Le délégué,Jacques Sternberg,1957)★★★★☆
 ――ロボットは代表取締役になった。一年間、職務を遂行した。会社は一ヵ月で売上げを三倍にした。そして、ある日、連絡が途絶えた。

 これまた「これしかない」というオチでした。締めにふさわしく、落とし咄がいくつか続いて一巻の終わりです。
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 『笑いの錬金術


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