今号から編集長が岡和田晃に変わったそうです。
「井村君江インタビュー “General Literature”としての幻想文学とケルト研究」大和田晃
「ケルト妖精譚とホラー映画の微妙な関係」深泰勉
「~夜の国の幻視録~(1)Visionary celtic」藤原ヨウコウ
「アーサー・マッケンから流れる、ケルト精神の水脈――「パンの大神」『翡翠の飾り』、ヘレン・マクロイ『牧神の影』」岡和田晃
「変容」アーサー・マッケン/遠藤裕子訳(Change,Arthur Machen,1936)★★☆☆☆
――アリス・ヘイズという娘はブラウン夫人の子守兼家庭教師、雑役婦だった。七月の末にはブラウン氏と年長の子どもジャックとロザムンドもロンドンからトレナント村に合流し、やはり子連れのスミス夫妻とロビンソン夫妻と親しくなった。いつものようにヘイズ嬢が子どもたちを連れて出かけたが、まずいことが起こったらしい。スミス夫妻の子どもボブがいない。「ボブはどこです?」「あれです」スミス氏が抱えた荷物から小さな顔がのぞいた。「あれはボブじゃない。誰なのです」
取り替え子伝承を描いたおぞましいクラシック怪談の傑作……途中まではそうでした。ところが真相が明かされる場面で取り替え子伝承は唐突に黒魔術に塗り替えられます。Changeling ならぬ Change。伝説をまた別の視点で再解釈するという発想自体は悪いとは思わないのですが、説明があまりにも突然すぎて着いていけません。妖精は信じないけれど黒魔術は信じるとでも言いたげな。
「深き森の闇より―ケルト文芸復興・魔術結社・幻想作家を巡る装飾的夢想―」朝松健
アーサー・マッケンをもじった筆名を持つ著者による、黄金の夜明け団とマッケンについての断想ですが、あまりにもまとまりがなく散漫でした。
「幻の巻狩」ピエール・コムトワ/大和田始訳(The Wild Hunt,Pierre Comtois,2018)★★☆☆☆
――その日はマッケン選集を読むことで満足し、翌日、私はローマ時代の廃墟を訪れ、昼食をとると眠ってしまったようだ。それはローマ帝国後期のことだった。ローマ兵士がよろめいてうわごとを呟いた。「幻の巻狩だ!」。はっとして私は目覚めた。その瞬間、何キロも先から、蠢くように猟犬の吠え声がきこえた。何か大きなものの重みが私にのしかかり、突風が周囲で轟音を立てた。
原題「The Wild Hunt」とは、「幽鬼の馬と悪魔の騎手が恐ろしい地獄の犬を従えて、夜中に空や大地をかけめぐる」ヨーロッパ伝承だそうです。言葉では語り表せないこの世ならざるものを描いた場面の迫力はなかなかのものですが、「幻の巻狩」という訳語が最悪で、それが本文中に頻出するので興醒めもいいところでした。「巻狩」とは『広辞苑』によれば「狩場を四方から取り巻き獣を追いつめて捕えること」だそうですが、正直言ってこの訳語だけで作品の魅力が半減しています。
「聖マーティン祭前夜(ジョン・シーハイによって語られた話)」ジェレマイア・カーティン/下楠昌哉訳(St. Martin's Eve,Jeremiah Curtin,1895)★★★☆☆
――ジェイムズ・シェイという農夫が妻と三人の子どもと一緒に暮らしていた。妻と下の息子は悪いやつだった。聖マーティン祭の日、夫が不在なのをいいことに妻は生贄を捧げるのを怠り、あまつさえ飼い猫の血を注ごうとした。まさにその夜、家は焼け落ち、妻と下の息子は焼け死んだ。帰ってきた夫が食卓に座ろうとしたら、戸口から嫁が入ってきた。無言で部屋に入った妻を見て、死んではいなかったのだ、具合が悪いのだろうと追いかけた。父親が部屋から戻ってこないのをいぶかった上の息子と娘が部屋に入ると、そこには父親の膝から下だけしかなかった。
著者はアイルランド民話の蒐集家。因果も理屈もない理不尽な暴力は神話などではお馴染みのものです。そんな残虐な原=怪異にキリスト教信仰が接ぎ木されているのでしょうか、描かれている聖人はまるで悪と戦うヒーローのようです。
「Hellblade: Seuna's Sacrifice――「闇」と戦うピクトの女戦士が歩む、復讐と幻想の旅路」徳岡正肇
「いつか野に咲く麦になるまで」橋本純(2019)
「ボードゲーム「ケルト(Keltis)」レビュー――ドイツの数学者が幻視したケルトとは」徳岡正肇
「かかる警句のなきがゆえに」ジェフ・C・カーター/待兼音二郎訳(FOR WANT A WORD,Jeff C. Carter,2019)★★☆☆☆
――ガイウスはユピテルの巫女を殺した罪を着せられ、近衛長官アクィラの前で毒杯を飲み干した。シリア出身の新皇帝は黒い神像を崇拝していた。国の行く末を危惧した司祭ティモンの導きによりガイウスたちは地下神殿を進んだ。割れんばかりの絶叫がむせ返る煙をとおして響きわたった。絶叫が弱まったかと思ううちに、よだれを垂らしたハイエナどもの唸り声にも似た金属的な声が聞こえてきた。
ローマ最悪の皇帝の事跡をベースにした、邪教の怪物が描かれていますが、実体のあるものと戦うシーンがあまり上手くなく、そこが平板で単調でした。
「[ブックガイド]M・ジョン・ハリスン〈ヴィリコニウム〉シリーズと転覆の美学」岡和田晃
『ライト』の著者ですね。ブックガイドとは言いつつも、作品紹介ではなく作者の紹介が大半を占めています。
「木の葉のさだめ」デイヴィッド・テラーマン/待兼音二郎訳(The Way of the Leaves,David Tallerman,2012)★★★★☆
――シャーロットに誘われて丘の頂上にある古墳を見つけた。シャーロットが膝をつき藪漕ぎをはじめた。「なにかが見えるわ」それはトロールが彫られたブローチだった。それを藪から戻るときに落としてしまったらしい。「また来ればいいじゃないか」「今日の夜?」。夜中に古墳に戻ると、誰かの――なにかの――笑い声がする。シャーロットを置いてわたしは逃げ出した。
解説でも名前の挙げられていた「スタンド・バイ・ミー」ふうの青春怪談、祖母の薫陶によるゴーストハント、と目まぐるしくスタイルを変えたあと、最後には異類婚姻譚というオチがつけられていました。まだ何も起こっていないうちから語り手が古墳に対して恐れをいだいているところがピンと来ませんでしたし、異常性を強調したがるナルシスティックともいえる語りも鬱陶しいのですが、そういう語りが記憶の膜の向こうにたゆたうような効果をあげているのも確かです。
「ケルトの馬」松本寛大(2019)★★★☆☆
――イギリスのEU離脱にともなうイギリスとアイルランドのごたごたに巻き込まれるのはごめんだった。各社が撤退を決めるなか、夫のダニーがバベッジ社の交渉役となった。だが閉鎖するとなれば労働者たちが黙ってはいまい。不安は的中する。ベルファスト支社に武装グループが人質を取って立てこもったというニュースを見て、ジェーンは車を出した。急ぐあまり事故を起こし、身動きを取れずにいると、なにか巨大なものが白く光っていた。馬……? おとぎばなしに出てくるプーカだろうか。
自作解題がやたらと詳しいのですが、ナスカの地上絵とアフィントンの白馬についての記述に抜けがあるようで意味が通りません。著者の好きなケルト民話を「馬」をキーワードにして現代社会に殴り込みをかけさせましたが、やはり神話や民話は人の営みとは別のロジックで動いているようです。
「[ブックガイド]「ケルト幻想」の淵源を知るために――豊饒なる「ケルト研究」の世界」岡和田晃
「食べさせてあげなきゃ」リサ・L・ハネット/徳岡正肇訳(Another Mouth,Lisa L. Hannett,2013)★★★★☆
――若き来訪者たちがドアをノックしたとき、モーラには何もなかった。牛肉も、サバも、仔羊も。何も。ドアを見ながらモーラは夫へにじり寄った。よだれかけを取り出しマイケルの首にぶら下げる。かつてマイケルはモーラをいきなりぶん殴ったこともある、壮健な海の男だった。あの少年が家に来るまで、彼らは問題なくツイていた。みなしごのバレルが海の底へ消えてからというもの、マイケルは変わってしまった。
人間の胃袋を通して栄養を摂取しているらしい「なにか」たちが存在していることはわかりますが、それがいったいどういった存在なのか、またモーラたちとはどういった関係なのか、食べさせないとどうなるのか、といったことはわからないままです。モーラの一家を襲った悲劇とも、無関係なように見えますし、どんな状況でも生きてゆくには必要なものの譬喩だと考えるのはつまらなさすぎます。『ナイトランド』特有の変な邦題はどうにかならないんでしょうか。
「アイリッシュミュージックの歌姫の浸透と拡散」深泰勉
エンヤその他。
「赫い森」アンジェラ・スラッター/岡和田晃訳(The Red Forest,Angela Slatter,2016)★★★☆☆
――もちろんみんな、渓谷を全滅させた病にかかって死んだのだ。兵士たちは連日、国境を越えて行軍し、名前を変えた国々を侵略して滅ぼしてきた。ディーナには自分の国が何と呼ばれているのか、もはやわからない。老婆はふらふらと森を抜け出し、彼らのもとへやってきた。どこも食糧難だったがが、それでも手持ちの食べ物を与えた。森の老婆を怒らせてろくなことがあったためしはないからだ。「わしの心臓は頑丈だ。滅びかけているのは身体。お前の場合はその逆だ」
いつの何処とも知れない場所で死と近しく暮らす人々の物語から、B級臭ただよう魔女譚へと姿を変えます。
「[ブックガイド]今号のケルト幻想ホラー小説群を、より広い視座から味わい尽くすために」岡和田晃
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