『幻想と怪奇』6【夢境彷徨 種村季弘と夢想の文書館】(新紀元社)

『幻想と怪奇』6【夢境彷徨 種村季弘と夢想の文書館】(新紀元社

〈幻想と怪奇〉アートギャラリー ヨハン・ハインリヒ・フュースリー」
 『夢魔』のヴァリアントなど。
 

「A Map of Nowhere 06:「詩と神々」のパルナッソス山」藤原ヨウコウ

「詩と神々」H・P・ラヴクラフト&アンナ・ヘレン・クロフツ南條竹則(Poetry and the Gods,H. P. Lovecraft and Anna Helen Crofts,1920)
 

「商務顧問官クーノ・ヒンリクセンと贖罪者ラララジュパット-ライ」グスタフ・マイリンク種村季弘(Der Herr Kommerzienrat Kuno Hinrichsen und der Büßer Lalaladschpat-Rai,Gustav Meyrink,1916)
 ――やがて睡眠の神が商務顧問官の心を腕に抱き取った。パンフレットに記載されていた無一文の断食行者に自分が変身しているのを目のあたりにした。「そなたは何者か」と声が問うた。商務顧問官である断食行者は「神にいたる道をもとめております、贖罪者のラララジュパット-ライでございます」と答えていた。導師は言った。「修行を授けよう。汝、盗むなかれ」。これまで盗みを犯したことはなかった、と贖罪者は考えていたのだろう。「いままで何を食べて生きてきたのだ」と問われて、「谷間に草を食んでいる牝牛のミルクで」と答えると、「おまえは盗んだのだ、あの牝牛はある裕福な商人のものなのだから」という。

 よくある邯鄲の夢のような退屈な超俗世界の話かと見えて、そこから俗物的な教訓を導き出す根性には笑ってしまいました。
 

「怪人タネムラを追って夢の世界へ」垂野創一郎編訳

「睡眠中の幻影や顕われについて」パラケルスス(Von geistlichen Gesichten und Erscheinungen im Schlaff,Paracelsus)

「眠りと夢について」ビンゲンのヒルデガルト(Der Mensch zwischen Schlaf und Wachen,Hildegard von Bingen)

「緑色の封印されたお告げ(抄)」H・C・アルトマン(Grünverschlossene Botschaft,Hans Carl Artmann)

「十八世紀の一夜」オスカル・A・H・シュミッツ(Eine Nacht des achtzehnten Jahrhunderts,Oscar A. H. Schmitz)

夢日記(抄)」ゲオルク・ハイム(Meine Träume,Georg Heym)

「新しい生――建築的黙示」パウル・シェーアバルト(Das neue Leben - Architektonische Apokalypse,Paul Scheerbart)
 

「セイレーンの歌」エドワード・ルーカス・ホワイト/夏来健次(The Song of Sirens,Edward Lucas White,1919)★★★☆☆
 ――わたしが乗った船の一等航海士ウィルソンは耳が聞こえなかった。本を貸したのがきっかけで親しくなり、ホメロスの『オデュッセイア』の話になったときのことだ。ウィルソンは世の中に広く流布しているセーレーンの姿はまちがいだと主張した。「どうしてわかる?」「この目で見たからだ」。六年前のこと、乗っていた船が嵐に遭い、大型ボートで陸にたどり着いた。小型ボートで捜索に出た乗組員が戻ってこない。望遠鏡で覗くと、白い堆積物に坐りこんで小島の中央にある丸い石を見つめていた。丸い石の上にはふたりの女の姿が見えた。

 内容自体は夢とは関係ありませんが、著者は自分が夢に見たことをそのまま小説に書いたことで知られる怪奇作家です。昔の作品特有のゆったりしたテンポで話が進みます。セイレーンよりもウィルソンの謎めいたキャラクターの方に印象が残ります。
 

「断崖館――ある幽霊物語」アンナ・キングスフォード/田村美佐子訳(Steepside: A Gost Story,Anna Kingsford,1889)★★★☆☆
 ――友人宅に向かう途中で悪天候に遭い、近くにある無人の館に泊まらせてもらった。棚にあった本を手に取りひらいてみた。そんそときなにかがふいに“ぽとん”と音を立てて落ちてきた。血の滴だ! やがて扉の下からなにかがゆっくりと沁み出してきた。窓の外の雪道をふたりの女が追いつ追われつしているのが見えた。ひとりはピストルのようなものを握っている。翌日、わたしはその館のことを知っているらしいフランス人の神父に会いに行った。

 これもまた実際に見た夢を小説にしたものだそうです。古い作品のわりには(古い作品ゆえに?)けっこうグロテスクな描写もありました。怪異よりもむしろその因縁の方が派手でした。神父を出してきて怪異に宗教的なつじつま合わせをさせるのも面白いところです。
 

「影」ヘンリー・S・ホワイトヘッド/植草昌実訳(The Shadows,Henry S. Whitehead,1927)★★★☆☆
 ――その影をはじめて見たのは引っ越して一週間が過ぎた頃だった。寝室に入って電灯を消したとき、その“影”が現れた。星明かりのなかに何かがおぼろげに見えた。ベッドの支柱がずいぶん近くに見えた。手を伸ばしたが何も触れなかった。夜明かりをたよりによく見ると、それは急に位置を変えた。その家のあるじだったモーリスはかつて“ゾンビ”のようなものを呼び出し、力を借りたという。

 故人の生前と同じ家具の配置なのを知ってびっくりするという何だかよくわからない結末でした。
 

「闇の国」マイクル・マーシャル・スミス/嶋田洋一訳(The Dark Land,Michael Marshall Smith,1991/2020)★★★☆☆
 ――

 短篇集『みんな行ってしまう』にも収録された世界幻想文学大賞受賞作、2020年の加筆・改稿バージョン。
 

「悪夢」ラムジー・キャンベル/植草昌実訳(Fetched,Ramsey Campbell,2015)★★★★☆
 ――大学の常勤を辞めてからローレンスは言い訳めいたもの言いが増えてきた。「昔よく行ったところがあるんだ」という夫の言葉にヴァイオレットが同意したのはそういう事情もあった。「見覚えのあるものに気づいたら声をかけるよ」表示板には迷い犬捜しのポスターが貼られていた。ヴァイオレットがカーヴを曲がると、銀色のジャガーが道を塞ぎ、老人が顔を出した。「フェッチャーを捜しにきたのか?」「何だって?」「フェッチャーがそんなふうに鳴くと思ったか? 立ち去るがいい」

 故郷に行くつもりで異世界に迷い込んで囚われてしまった夫婦の話です。話が通じない住人、地名の一部がポスターに隠れているかのように見えて実は見えている部分が地名のすべてだったというずらし方、顔の部分の見えない迷い犬のポスター……不穏な空気の作り方と重ね方が巧みです。
 

「メデュウサ」井上雅彦

「金の鋏」荒居蘭

「毎夜死ぬ私達が、現実上手になるために」斜線堂有紀
 映画『恋愛上手になるために』と夢の話。

アルバート・モアランドの夢」フリッツ・ライバー若島正(The Dreams of Albert Moreland,Fritz Leiber,1945)★★★☆☆
 ――私がアルバート・モアランドに会ったのは、同じアパートの同じ階に住んでいたからで、初めて夢の話を聞いたのもそこだった。ちょうど一局指し終わったところだった。「チェスが複雑なゲームだって思うのかい? でもおれは、その千倍も複雑なゲームを、毎晩夢の中で指しているんだ」。駒はどれも反吐が出そうなものだった。とりわけ目を奪われる駒を「射手」だと思ったのは、そいつが持っている武器が遠くの相手を傷つけられるような気がしたからだ。「きみが夢の中で対戦している相手は誰なんだい?」「さあな。駒はひとりでに動くんだ」

 夢が実体化して、人間がひとり姿を消す、というのはよくある話ですが、夢を見ている当人だけでなく話を聞いた語り手まで同調してしまいます。
 

「静かに! 夢を見ているから」ローラン・トポール榊原晃三(Silence, on rêve,Roland Topor,?/1968)★★★☆☆
 ――火星人がクリスチーヌの顔を覗きこんでいた。「お前の心臓はとくにやわらかいにちがいない。生のまま味わってやろう!」「クリストフ・アルノが助けてくれるわ」。火星人が消え、まだ煙を吹いている採鉱機を片手にクリストフが現れた。「クリストフ!」「いとしいクリスチーヌ!」。目を覚ましたクリストフが階段の下で管理人に出会うと、管理人はこういった。「ブラヴォ、アルノ先生、ゆうべはたいへんなご活躍ぶりだったそうで。火星人なんかくそくらえですわ!」。管理人はクリストフの夢のことを知っていたのだろうか? そんなばかな。

 『リュシエンヌに薔薇を』収録作。誰もが自分と同じ夢を見ているという状況にスポンサーがつくユーモア作品で、ユーモアものに相応しいオチがついていました。
 

「トルネード・スミスの大冒険」アルジャーノン・ブラックウッド/渦巻栗訳(The Adventure of Tornado Smith,Algernon Blackwood,1935)★★☆☆☆
 ――「切符はいかがですか」と少年が言った。「たったの一シリングでどこに行けるんだい?」「どこにでも」「それじゃあいただこうかな」「正午までにロビン・フッド門に来てください。編み物をしている少女に切符を見せれば案内してくれます」。少女が木の下に座っていた。そばでは黒猫が前足をなめている。「本当に道を案内してくれるのかな?」「もちろん」「行き先が――〈妖精郷〉でも?」「わたしはそこに住んでます。名前は〈偶然〉っていいます。妹の〈幸運〉といっしょに住んでます」と言って猫を指した。

 怖い話ではありません。
 

「天蓋の彷徨」君島慧是

「ローシーン・ドゥの肖像」ドロシー・マカードル/館野浩美訳(The Portrait of Róisín Dhu,Dorothy Macardle,1924)

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