『竹取物語/伊勢物語/大和物語/平中物語 日本古典文学全集8』片桐洋一ほか校注・訳(小学館)


竹取物語

 日本独自に成立したものではなく、アジアの説話と何らかの影響関係があったのではないか――というのが、新見解として月報に記されているところに時代を感じます。別に戦前とかじゃなく三十年ちょい前の出版なのに。こうしてみると、国文学研究って遅れてるんだなあ。

伊勢物語

 第一段「初冠」は、旧都奈良で美しい女を見かけた男が、みずからの狩衣を切り取って歌を贈った話。男の歌より、百人一首にも採られている古歌陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに乱れそめにし我ならなくに」の方が印象に残ります。瑞々しい男の顔見せと、狩衣を切り取って、というところがポイントでしょうか。

 第二段は京の女に詠んだ歌。「起きもせず寝もせで夜をあかしては春のものとてながめくらしつ」。「起きもせず寝もせで」も「ながめくらしつ」もほとんど同じことを繰り返し記しているようなものなのですが、「春のものとて」がクッションになって、途端にさあっと具体的な景色が浮かび上がってきます。眠れない夜。おそらくは闇。あるいは音も、動きもありません。それが「春のものとて」を境にして、長雨の音が、眺める視界が、一気に立ち上がってきます。『伊勢物語』中でも屈指のスケール感を誇る名歌です。まあ「ながめ」というのは和歌の常套句なので、ここは「物思う」のレトリックであって、現実に「ながめ」てはいないのかもしれませんが。

 第三段は、ひじきもを贈って詠んだ歌、「思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも」。当時の「ひじき」の価値観がわかりませんが、頭注では一切触れられず。講談社学術文庫版の註を見ると、当時は珍重されていたと書かれていました。

 第四段は有名な「月やあらぬ」。通っていた女(二条の后)がいなくなってしまった(入内してしまった)ため、一年後にその場所で寂しく泣き臥せる。この歌を読むと、「その心あまりて詞たらず」という言葉も「批判」ではないのだという気にさせられます。

 第五段は、東の五条(二条の后)にこっそり会いに行っていたが、女の兄たちに見つかり、足止めをされてしまい、一首詠む。この歌はわたしにはよくわかりません。「通い路」というのが恋の道の譬喩(だけ)ではなく、本当に通っている道だったというのが、上手いのかも。

 第六段も有名な鬼一口。「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」。頭注によると、この歌はもともとは男が流した涙を見て、「それは白玉ですか」とたずねたのを詠んだ歌だそうです。どちらの解釈も捨てがたくていい。『伊勢物語』バージョンは見事に一連の二条の后の段に組み込んでいるだけでなく、もとの歌意ではあんまり業平(というか『伊勢物語』の「男」)っぽくないかもしれませんね。

 第七段は東行き。六段の誘拐がきっかけで(?)、京を去る男が、伊勢・尾張の海の白浪を見て、「いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな」と詠んだ。頭注によるとこれももともとの詞書には、「川」に臨んで詠んだ歌だとあるそうです。ここはやっぱり「海」でしょう。

 第八段から東下り浅間山の煙を見て驚く男。これだけ読むと一瞬なんだかわかりませんでしたが、活火山の煙、次の段に出てくる富士山の雪や高さ、都鳥……ともども、京の人間である男が、見たことのない光景を珍しがっていたようです。

 第九段は有名な「かきつばた」「都鳥」。あまりに有名すぎて単独で引かれることが多いのですが、やはり物語の流れのなかで詠まれるのを読んだ方が、味わいもひとしおです。

 第十段は、武蔵国の娘が男に恋をして、母親が男を婿にと歌を贈る。「みよしののたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる」。「田の面」と「頼む」、「ひたぶる」と「引板振る」、「よる」は「寄っていく」と「気持を寄せる」、「なる」は伝聞……と言われても、頭で理解するのが精一杯で、とても鑑賞まではできませんでした。

 第十一段は、男が友だちに「忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐり逢ふまで」と詠んだ。これも有名な歌ですね。頭注によるともともとは女に詠んだ歌だそうですが、わざわざ『伊勢物語』に採録するに当たって男友だちに送る歌にしたのが不思議です。

 第十二段は、またもや娘をさらって逃げ出した男だったが、武蔵野を焼き払われそうになり、娘が「武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり」と詠んだので、火はつけずに男を捕えて娘を連れて帰った。頭注にあるとおり、もともとは草焼きの季節の恋人同士を歌ったのどかな歌なのですが、こんな波瀾万丈な物語に改作するとは、著者もただものではありません。

 第十三段は、武蔵にいる男が京の女に「むさしあぶみ」という上書きの手紙を送ったところ、女からは「問はぬもつらし問ふもうるさし」という歌が返ってきて、男も途方に暮れたことである。

 第十四段は、陸奥の国の女の歌。女の田舎者ぶりを歌で表現。「桑子(蚕)」とか「きつにはめなで」とか「くたかけ」とか、わかりやすすぎる鄙びぶりです。朝を告げる鶏がうらめしい、という歌自体はよくあるのですが……。「水槽にぶちこんでやろうかこの鶏めが鳴きやがって」という感じかな。

 第十五段は、気になった陸奥の国の女に「しのぶ山忍びて通ふ道もがな人の心のおくも見るべく」と詠むと、女は半端じゃなく喜んだ。心の奥が見たいと言われて、素直に感情を表してしまっては、駆引きに負けてしまいます。

 第十六段は、紀の有常が出家した妻を偲んだ歌を詠んだところ、男があわれに思って夜具と一緒に歌を送った。有常の娘が業平の奥さんなのだそうです。

 第十七段は、たまにしか来ない男が桜の季節にやってきたので、あるじが「あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり」と詠むと、男は「けふ来ずはあすは雪とぞふりなまし消えずはありとも花と見ましや」と返した。自分がたまにしか来ないくせに、「今日はたまたまそっちも(満開の桜のように)待っていたけど、明日だったら君の方こそ雪のように消えないまでも散ちゃった花のようにしか見えないんじゃない」というのはひどい気もしますが、こんなやり取りができるほどそれだけ気心の知れた人同士だったのでしょうか。

 第十八段は、通人ぶった女が「紅ににほふはいづら白雪の枝もとををに降るかとも見ゆ」と詠むと、男は気づかないふりをして「紅ににほふがうへの白菊は折りける人の袖かとも見ゆ」と返した。「いづら」は「どこ」、「とををに」は「たわわに」。菊にこと寄せたモーションの歌を、文字どおり菊の歌だと敢えて解した男。さかしらな女に興醒めしたというよりは、もしかするとただ単に「紅ににほふはいづら?(色っぽいと聞いてたのに?)」と言われたことにカチンと来たのかもしれません(^_^。

 第十九段は、宮仕えしていた男女がつきあっていたものの別れた後で男が知らんぷり。女が「天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから」と詠むと、男は「天雲のよそにのみしてふることはわがゐる山の風はやみなり」と返した。女にほかに男がいるという噂が立った。古今集では紀有常(の娘)と業平の歌ということにになっており、「ほかの男」とまで深読みするような歌ではなく、「風が速くて寄せ付けてくれないので」という表面通りの歌のようです。

 第二十段は、大和の女とつきあっていた男が、京に上がる際に三月なのに紅葉があるのを見て、女に「君がため手折れる枝は春ながらかくこそ秋のもみぢしにけれ」と送ると、女から「いつのまにうつろふ色のつきぬらむ君が里には春なかるらし」と返ってきた。「寂しくて葉の色も変わったよ」という男に対して、女が「あなたの心は変わってしまったのですね」と詠んだのは、わざとであればセンスがあると思うのですが、そうではなくて田舎の女が誤読してしまった話だとのこと。

 第二十一段は、仲の良かった男女がふとしたことで喧嘩別れしてしまい、いろいろあった末に結局はほかの恋人を見つけてしまう話です。

 第二十二段は、「千夜を一夜」

 第二十三段は有名な「筒井筒」。幼なじみの縁の話だという記憶があったのだけれど、改めて読むと新しい女が単なる引き立て役のようで釈然としない。幼なじみの女の歌ももう一首くらいあればいいのに。

 第二十四段は、宮仕えに出ていった男を三年待ったが帰ってこず、以前から言い寄られていた男と結ばれようとするとき、男が帰ってきたため、女は「あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ」と詠んだ。珍しく完全に女が主役の段です。しかも壮絶、恋に死ぬ。さらには『イノック・アーデン』のような筋立てと、『伊勢物語』中でもかなりインパクトのある段です。

 第二十五段は、「秋の野にささわけし朝の袖よりも逢はでぬる夜ぞひぢまさりける」

 第二十六段「思ほえず袖にみなとのさわぐかなもろこし船のよりしばかりに」ともども、袖がびちょびちょである。

 第二十七段は、男が一夜かぎりで来なくなったのを嘆いた女が、水に映った自分を「我ばかり物思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり」と詠んだ。偶然それを耳にした男は、「水の下にいるってのは僕のことかい、蛙だって鳴くように僕も泣いているよ」と返した。

 第二十八段は、女が出ていったために男が「あふごかたみ」の歌を詠んだ。

 第二十九段は、東宮の女御の花の賀に呼ばれたときに男が「花にあかぬ」と詠んだ。

 第三十段は、たまにしか会わない女に男が「あふことは玉の緒ばかり思ほえてつらき心の長く見ゆらむ」と詠んだ。

 第三十一段は、宮中で突然罵倒された男が、そんなことばかり言っていると「忘れ草おのがうへにぞ生ふといふなる」と詠んだ。

 第三十二段は、昔つきあっていた女にしばらくしてから男が「いにしへのしづの苧環《をだまき》くりかへし昔を今になすよしもがな」と詠んだが返事はなかった。

 第三十三段は、もう来てくれないのではないかと不安がっている女に男が「葦辺より」と詠むと、女は「こもり江に思ふ心をいかでかは舟さす棹のさして知るべき」と返したが、田舎女にしてはこの歌はよしやあしや。学術文庫版の解説によると、最後の「よし」「あし」は「葦」にかけているらしい。

 第三十四段は、つれない女に「いへばえに」と詠んだ。

 第三十五段は、いつの間にか別れてしまった女に「玉の緒をあわ緒によりて」と詠んだ。

 第三十六段は、「忘れてしまったんですね」と言ってきた女に、「谷せばみ峰まではへる玉かづら」と詠んだ。

 第三十七段は、「下紐」の歌。

 第三十八段は、紀の有常のところに行ったが留守だったので、「君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ」と贈ると、「ならはねば」と返って来た。待ちぼうけだよ、と言うのにもこんなやりとりを。

 第三十九段は、西院の帝の皇女たか子が薨じたので、隣の男が女車に同乗して葬送を見ようとしていると、色好みで有名な源至が車に蛍を放った。女の顔が蛍の光で露わになるのを恐れた男は、「泣く声を聞け」と詠んだ。『伊勢物語』の役割に当てはめれば、色好みである至がこれまでの「男」に相当しそうなものなのですが、どうやら隣の男が「男」のようです。

 第四十段は、息子が身分違いの恋をしたため、下女を追い出したところ、息子は「いでていなばたれか別れのかたからむ」と詠で気を失ってしまった。

 第四十一段は、二人姉妹のうち、貧しい男とつき合っていた妹が、着物を破いてしまった。姉とつき合っていた高貴な男は、「むらさきの色こき時は」と詠んで着物を贈った。「武蔵野の心なるべし」というコメントがついていますが、その武蔵野の歌の方が好きな歌です。

 第四十二段は、色好みの女とつき合っていた男が、都合で行けなくなった際に「いでて来しあとだにいまだ変わらじを」と詠んだ。……ずいぶんストレートに言ったもんです。

 第四十三段は、ほかの男もモーションをかけていると知った男が、女に「ほととぎす」と詠んだ。

 第四十四段は、地方に行く人に装束をかづかせ、歌を詠んで裳に結ばせた。「われさへもなくなりぬべきかな」

 第四十五段は、自分のことを思ってくれていた女が死んだ夜、蛍の飛ぶのを見て「ゆくほたる雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁につげこせ」と詠んだ。『伊勢物語』の作者(編者?)は、すごい。頭注によるともともとは秋の訪れを詠んだ歌なのに、まったく同じ文面のまま、雲の上=あの世、秋=寂しい、と、死を悼む歌にしてしまうのだから。第六段や第十二段もそういう転用が光っていました。

 第四十六段は、離ればなれになった友人から、長いあいだ会わずにいて忘れてしまったのでしょうね、と言われ、「目離るとも」と詠んだ。

 第四十七段は、男にくどかれるものの、評判の浮気者ゆえ、女が「大幣の引く手あまたに」と詠むと、男は「流れてもつひによる瀬はありといふものを」と返した。

 第四十八段は、はなむけしようと待っていた人が来なかったため、「いまぞしるくるしきものと」と詠んだ。第三十八段と同じように、ただ待つだけのことを恋を引き合いに出して詠んでいます。

 第四十九段は、妹がかわいく見えたので、「うら若みねよげに見ゆる若草を人のむすばむことをしぞ思ふ」と詠むと、「うらなくものを思ひけるかな」と返ってきた。「ことをしぞ」というのは意味のうえでは「むすばむこと/をしぞ」という句跨ぎなのかとも思ったけれど、「ことをしぞ思ふ」という歌がほかにもあるようなので、これで一つの表現らしい。冷静に考えれば「ことぞ惜しける」のような表現なら平気で句を跨いでいて違和感ないのだし。最初は「ことを/しぞ」だと思ったせいで何だかわかりませんでした。

 第五十段は、恨み言を言ってきた女に恨み言を言い返して、「鳥の子を十づつ十はかさぬとも思はぬひとを思ふものかな」と言うと、「朝霧は消えのこりてもありぬべしたれかこの世をたのみはつべき」と返ってきたので、「吹く風に去年の桜は散らずともあなたのみがたひとの心は」と言い返す。さらに女が「ゆく水に数かくよりもはかなきは思はぬ人をおもふなりけり」と言うので、男は「ゆく水とすぐるよはひと散る花といづれ待ててふことを聞くらむ」と返した。人の心がどれだけはかないか、というのを手を替え品を替え応酬し合っている、浮気者どうし。恨み言でも、さすが、臭みがありません。

 第五十一段は、ある人の庭に菊を植えた歌。「植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや」。わざわざ「秋なき時や咲かざらむ」と、否定を重ねたうえにそれを「や」で結んでいることで、あまりにも強烈な意思が立ちのぼってくるようで、しかも「秋なし」という普通じゃない表現がそのことにさらに拍車をかけています。

 第五十二段は、かざりちまきが贈られたので、「あやめ刈り君は沼にぞまどひける我は野にいでて狩るぞわびしき」と言って雉を贈った。これは……あんまりうまくないような。ザブトン一枚で終わってしまふ。

 第五十三段は、逢うのが難しい女に逢ったとき、鶏が鳴いたので「いかではかとりの鳴くらむ」と詠んだ。

 第五十四段は、つれない女に「ゆきやらぬ夢路を頼むたもとには」と詠んだ。

 第五十五段は、思いをかけている女に「思はずはありもすらめど」と詠んだ。

 第五十六段は、四六時中思っているので「わが袖は草のいほりにあらねども」。

 第五十七段は、人知れず恋している女に「恋ひわびぬあまの刈る藻にやどるてふわれから身をもくだきつるかな」と詠んだ。「われから」は海藻のなかにいる虫で、乾燥すると殻が割れるので「割殻」というのだそうです。

 第五十八段は、長岡に住んで、ちょっと田刈でもとしている男を見て、女たちが面白がって集まったので、男は家の奥に逃げ込んだ。それを見て女たちが「荒れにけりあはれいく世の宿なれや」と詠むと、男は「かりにも鬼のすだくなりけり」と返した。

 第五十九段は、京を出て東山に暮らしている男が、病気になったり元気になったり。何やってんだ(^_^;

 第六十段は、訪れた先の奥さんが昔の妻だったので、肴の橘を取って「さつき待つ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする」と詠んだ。歌自体はちょっとセンチでロマンチックないい歌なのですが、まさか尼になるとは……。もともとは一人で橘の香りをかいで昔の恋愛を思い出した歌のようです。

 第六十一段は、筑紫で「色好みの人だ」と言われたので、「染河を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ」と詠むと、女は「名にしおはばあだにぞあるべきたはれ島浪のぬれぎぬ着るといふなり」と返した。これは女の方が一本取りましたね。地名にかけるだけでなく、「浪のぬれぎぬ」まで詠でいるのが勝因です。

 第六十二段は、地方の男についていってしまった元カノに、「いにしへのにほひはいづら桜花こけるからともなりにけるかな」と詠んだ。「こけるから」は「花をむしったあとの幹」。第六十段と比べるとずいぶん残酷です。あっちはもともとが「昔を思い出す」という歌なのに対して、こっちは「今現在を糾弾する」歌。

 第六十三段は、三人の子の母が男と思いを遂げた。また逢いたくなって男のもとにこっそり行くと、それを見つけた男が「百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ」と詠んだ。三人の子持ちなのだから確かに若くはないにしても、すごい言われようです。が、ふざけている感じがして好ましいですし、母が自分の思いを「夢の話」に託して子に話す場面が前半にあるので、「おもかげに見ゆ」も生きています。

 第六十四段は、逢おうとしない女に「吹く風にわが身をなさば」と詠んだ。

 第六十五段は、恋をしてばかりの我が身を直そうと神に祈ったけれども……。

 第六十六段は、船を見て「これやこの世をうみ渡る船」と詠んだ。

 第六十七段は、ずっと曇っていた生駒山が晴れたら木々の梢に雪が降っていたのを、「きのふけふ雲の立ち舞ひかくろふは花の林を憂しとなりけり」と詠んだ。陰暦「二月」とは三月だという頭注を読んで納得。だけど「憂しとなりけり」の部分が文法的によくわからない。

 第六十八段は、住吉の浜を詠めと言われて、「雁鳴きて菊の花さく秋はあれど」と詠んだ。

 第六十九段は、伊勢の斎宮と一夜を過ごした後、斎宮から「君や来しわれやゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか」と言ってきた。別れ際、「かち人の渡れど濡れぬえにしあれば」と盃に書いてきたので、男は「またあふ坂の関はこえなむ」と下の句をつけて返した。「○○か××か」を三度繰り返す面白い趣向の歌です。惑いが前面に押し出されているのが伝わってきます。最後の歌は「浅い縁なので」「また逢いましょう」というつながりがよくわからなかったので学術文庫版を見ると、「浅い縁なので(あきらめます)」「(一旦はあきらめるが)また逢いましょう」というふうに補っていました。ナルホド。

 第七十段は、斎宮からの帰りに、「みるめ刈るかたやいづこぞ」。

 第七十一段は、斎宮のところで、女が色好みの噂を聞きつけて「神のいがきもこえぬべし」と読んできたので、男は「神のいさむる道ならなくに」と返した。

 第七十二段は、会えない女を恨んだところ、女は「大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな」と詠んで寄こした。

 第七十三段は、そこにいるらしいが連絡さえできない女に、「月のうちの桂のごとき」と詠んだ。

 第七十四段は、男が女を恨んで「岩根ふみ重なる山にあらねども」と詠んだ。

 第七十五段は、伊勢に行こうと言ったのに女がつれない。ちょっとこれは男(の歌)が冴えませんね。「泣く」「泣く」言ってるばかりで。

 第七十六段は、二条の后に翁が「神代のこともおもひいづらめ」と詠んだ。いきなり「翁」と出てきたのでびっくりしました。

 第七十七段は、帝の女御が亡くなり、供物が山のように奉られた。それを見て翁が「山のみな移りて今日にあふことは春の別れをとふとなるべし」と詠んだ。

 第七十八段は、常明が親王に珍しい石を奉る際、右の馬の頭が「あかねども岩にぞかふる」と詠んだ。

 第七十九段は、在原氏の娘が親王を生んだので、祖父の男が「わが門に千ひろあるかげを植ゑつれば」と詠んだ。

 第八十段は、おとろえた家に藤の花を植えている人が、三月のつごもりに花を折って奉ろうと詠んだ歌。「ぬれつつぞしひて折りける年のうちに春はいく日もあらじと思へば」。これは季節のことだけではなく、自らの運命も詠んでいると捉えていいのだろうか。

 第八十一段は、左大臣家で宴をもよおした際、翁が庭の箱庭を見て「塩竈にいつか来にけむ」と詠んだ。

 第八十二段は、昔、右馬頭が「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどからまし」と詠むと、別の人は「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」と詠んだ。そのほかにも天の河の歌や、山の端の歌「おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月も入らじを」など、この段自体が有名な段です。桜の歌も山の端の歌も、「もしなければ」という発想のやり取りなんですよね、きっと当人たちは意識してして詠んでいるのでしょう。

 第八十三段は、惟喬の親王と親しかった馬の頭の翁が、出家した親王を訪ねて、「忘れては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見むとは」と詠んだ。「おもひきや」は下の句にかかっているんですね。「君を見むとは思ひきや」。「思わなんだ!」という三句目がインパクトのある歌です。

 第八十四段は、宮仕えしている一人息子になかなか会えなくて、母親が「老いぬれば」と詠むと、息子は「世の中に」と返した。

 第八十五段は、出家した主君のもとで宴があった際に、「雪にふりこめられたり」という題で男が「思へども身をしわけねば目離れせぬ雪の積るぞわが心なる」と詠んだ。

 第八十六段は、若いころ付き合っていた男女が、しばらくしてから「忘れぬ人は世にもあらじ」と詠んだ。

 第八十七段は、布引の滝。

 第八十八段は、「おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの」

 第八十九段は、高貴な女性に恋した男が、「われ恋ひ死なばあぢきなく」と詠んだ。

 第九十段は、つれない女がようやく「明日は物越しにでも」と言ってくれたが、まだ心配なので「桜花今日こそかくもにほふともあな頼みがた明日の夜のこと」と詠んだ。

 第九十一段は、「をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮れにさへなりにけるかな」。これも人生を重ねていると解していいのだろうか。

 第九十二段は、「あしべこぐ棚なし小舟」。

 第九十三段は、身分違いの恋に苦しむ男が「あふなあふな」。

 第九十四段は、昔つきあっていた女に秋頃に仕事を頼んだが、後回しにされたので、「秋の夜は春日わするるものなれやかすみにきりや千へまさるらむ」と皮肉った。

 第九十五段は、思い続けていた女に「ひこ星に恋はまさりぬ」と贈った。

 第九十六段は、思い通りにならなかった女を、男は天の逆手を拍って呪った。

 第九十七段は、堀川大臣邸で四十の賀をもよおした際、中将である翁が、「桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに」と詠んだ。ああ、そうか、お祝いといっても、そうなんだね。。。なんか切ない。

 第九十八段は、九月の梅の造花を大臣に贈って、「わが頼む君がためにと折る花はときしもわかむものにぞありける」。う〜ん、おべんちゃら。

 第九十九段は、ちらっと見かけた女に「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは……」と詠んだ。「ほの見し」とか「一目見し」系の歌と比べて、「見ずもあらず見もせぬ」というのは何だか中途半端に感じるのですが……。

 第百段は、局から「この忘れ草を忍ぶ草と言い張るのですか」と言われたので、「忘れ草おふる野辺とは見るらめど……」と詠んだ。

 第百一段は、房の長い藤の花を見て、「ありしにまさる藤のかげかも」

 第百二段は、尼になった親族に、「そむくとて雲には乗らむものなれど」

 第百三段は、親王の愛を受けた女と寝てしまい、「寝ぬる夜の夢をはかなみ」

 第百四段は、賀茂の祭りを見物に来た尼を見て、「世をうみのあまとし人を見るからに」

 第百五段は、「もう死にそうだ」と言ったら、女は「白露は消なば消ななむ消えずとて玉にぬくべき人もあらじを」と言った。

 第百六段は、「ちはやぶる」

 第百七段は、藤原の敏行がある男の侍女に「涙河袖のみひちてあふよしもなし」と歌を贈ったが、まだ若い女で、返事もできないので、主人の男が代わって歌を詠んでやる。「あさみこそ袖はひつらめ涙河身さへながると聞かば頼まむ」。代わって詠んでやるだけあって、「わたしの袖が涙河で濡れています」という歌に対して「浅いから濡れるのでしょう。身体すら流されるくらいの涙河だったら……」切り返しがうまいです。

 第百八段は、「わが衣手のかはくときなき」と女が言うと、男は「かはづのあまた鳴く田には水こそまされ雨はふらねど」

 第百九段は、女を亡くした友人に、「花よりも人こそあだになりにけれ」

 第百十段は、こっそり通っていた女から、「今宵夢に見た」と言われ、「思ひあまりいでにし魂のあるならむ」

 第百十一段は、「まだ見ぬ人を恋ふるものとは」

 第百十二段は、「須磨のあまの塩焼くけぶり」

 第百十三段は、「長からぬいのちのほどに」

 第百十四段は、鷹狩りにお供した翁が、「おきなさび人なとがめそかりごろも今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる」と詠むと、年とった帝が自分のことだと勘違いして怒った。

 第百十五段は、都に行くという男に女が「おきのゐて身を焼くよりも悲しきは」

 第百十六段は、「浪間より見ゆる小島の」

 第百十七段は、住吉行幸の際、「姫松よいくよ経ぬらむ」と詠むと、神様が歌を返した。

 第百十八段は、しばらくぶりに会おうという男に、女は「玉かづらはふ木あまたになりぬれば」

 第百十九段は、浮気男の形見を見て、「かたみこそいまはあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを」

 第百二十段は、まだ恋する年頃じゃないと思っていた女がほかの男とつきあっていると知り、男が「近江なる筑摩の祭とくせなむつれなき人のなべのかず見む」と詠んだ。関係を持った男の数だけ女がなべをかぶるお祭りなんだそうです。

 第百二十一段は、梅壺から雨に濡れて出てゆく女を見て、男が「うぐひすの花を縫ふてふ笠もがな」と詠むと、女は「笠はいなおもひをつけよほしてかへさむ」と返した。これもうまいやりとりだなあと思います。

 第百二十二段は、約束を破った女に「たのみしかひもなき世なりけり」

 第百二十三段は、「野とならばうづらとなりて」

 第百二十四段は、「思ふこといはでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ」

 第百二十五段は、「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを」伊勢物語おしまい。

 異本1は、雨がやまないのを見て、「ふりくらしふりくらしつる雨の音をつれなき人の心ともがな」と詠むと、女は「ややもせば風にしたがふ雨の音をたえぬ心にかけずもあらなむ」と返した。

 異本2は、ええと……? 「男」が死んじゃったんでしょうか? 死ぬのが女バージョンもあるそうです。

 異本3は、「心をぞわりなきものと思ひぬる」

 異本4は、わたしは雲居の峰たかいところに住んでいますと女に言われ、「心し深ければなどか雲居もたづねざるべき」と男は言った。

 異本5は、「中空にたちゐる雲のあともなく」

 異本6は、飽きられてきた男に女が「われに時雨のふりゆけば」

 異本7は、文をやらないでいた女に「春の日のいたりいたらぬことはあらじ」

 異本8は、初裳の女に「あまたあらば」

 異本9は、「わが宿にまきしなでしこ」

 異本10は、「中空にたちゐる雲の」

 異本11は、「月しあれば明けむものとはしらずして」

 異本12は、行平のみ登場。

 異本13は、「あかつきがたの朝影に」

 異本14は、「かしがまし野もせにすだく」

 異本15は、「いざ桜散らばちりなむ」

 異本16は、「小夜ふけてなかばたけゆく」

 異本17は、「筑紫よりここまで来れど」

 異本18は、「夢としりせばさめざらましを」

 異本19は、「秋の夜も冬のみなりけり」
 

『大和物語』

 84、「忘れじ」と誓ったのに忘れてしまった男に向かい、女が「忘らるる身をば思はずちかひてし人のいのちを惜しくもあるかな」と詠んだ。こういう、一歩まちがえれば怖い女、という、強すぎる意思の歌が好きです。まあ、本気で死んじまえばいい、って思ってるわけでもないので。

 91、なぜか『大和物語』というと、扇の出てくる話があったよなあ、ということだけ覚えていました。

 139、「ゆめこの雪おとすな」はないでしょう(^_^;。妙にリアルです。

『平中物語』

 2、「見つ」とだけでも言って下さい、と言ったら、本当に「見つ」とだけ返事が来た。平中というと、歌人というよりも、こういうフラレ男のイメージが強い。「部屋に来て」まで言われながら、手ひどくやられてます。
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