『幽霊紳士/異常物語 柴田錬三郎ミステリ集』柴田錬三郎(創元推理文庫)★★★★☆

『幽霊紳士/異常物語 柴田錬三郎ミステリ集』柴田錬三郎創元推理文庫

 『A Ghost Gentleman/Bizarre Tales』1960年/1961年。

 幽霊紳士を狂言回しにしたミステリ集『幽霊紳士』と、奇譚集『異常物語』の合本です。『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』はさすがにミステリとしてはもやもやする作品が多かったのですが、この『幽霊紳士』はかなり凝った作品集でした。果たして大坪砂男がどの作品にどの程度関わっていたのか知りたかったところです。
 

『幽霊紳士』(1960)★★★★☆

「第一話 女社長が心中した」(1959)★★★☆☆
 ――杉戸三郎は悪夢に魘されたようになって目がさめた。警視庁捜査一課の刑事である。おびえる神経の持主ではないし、昨日の死骸は陰惨なものではなかった。水を飲もうと洗面台に立ち、鏡の中に全身グレイの男がいることに気づいた。「仕損じたね。君は解決をあやまった。気分が晴れないのはそのせいだ。そもそもの失敗は自動車ショウを観に行ったこと。高級車を眺めた時の独語が君をあやまらせた」……昨日の朝、スピーカーに呼ばれて現場に着くと、さっきまで見惚れていた高級車が置かれていた。豪腕の女社長が無理心中を起こした。緊縛プレイ中に相手の男を絞め殺し、自身はつながったまま胸を刺したようだ。毎日のように高級車で乗り付けていたことが目撃されていた。

 下卑たエログロ死体のインパクトが強いものの、【「高級車を一台くらい持ちたい」】という単なる言い回しと【金持ちでも実際に同じ車を持っているのは一台】だという思い込みを利用した錯誤とトリックと、その伏線はスマートです。心中に見せかける必然性は明言されていませんが、枕営業させられた意趣返しということでしょうか。第一話を読むかぎりでは幽霊紳士とはその人の深層心理のようでもありますが、その後の話も読んでいくとどうやら人とは完全に独立した同一の超常的存在のようです。
 

「第二話 老優が自殺した」(1959)★★★★☆
 ――私立探偵の猪木が捜査一課を訪れると、曾ての部下である杉戸が笑顔で迎えた。「殺人に関する御依頼はお断わりします」。これが猪木の方針だった。村崎史郎の日常調査を依頼されたのは現金を封入した手紙によってだった。評判の俳優だったが、妻に逃げられて酒に溺れ、再起後には脳溢血で倒れ、今では惨めな生活をしていた。捜査一課で確認した変死体は確かに村崎のものだった。猪木は依頼人の中根つね子を訪ねた。猪木が劇団に売り込んだつね子は今では劇団を飛び出し新進女優として活躍していた。村崎の落ちた陸橋が散歩コースから外れていたことが猪木には引っかかった。

 これもまた【若い女が中年男と売春して若い男と青春を愉しむ】という思い込みによる錯誤が真相解明を鈍らせていました。商売女の純情を美化したあげくに女心を見誤っているのだから目も当てられません。そうやって曇った目で見ると、「犯人は現場に戻る」というセオリー(これもまた思い込み)で見たものが、【思い出の品であるものが凶器回収に見えてしまう】というまったく違った意味を持ってしまうところはアガサ・クリスティのよう――というのは褒めすぎでしょうか。幽霊紳士による「君は、もっとよく、女の行動を見戍っているべきだったのだ」という言葉が余韻を残します。
 

「第三話 女子学生が賭をした」(1959)★★☆☆☆
 ――私立探偵猪木を訪れた依頼人は小楯和子という女子学生だった。「三人のボーイ・フレンドのうち一人と結婚したいと考えてます。費用がないので尾行は一晩だけでいいんです。あたくしに対する彼らの気持をテストしてみたいんです」。その日の午後、小楯和子は三人と話をしていた。「置引って知ってる?」。和子からはよく推理力をテストされていた。「同じ型と色の鞄をすりかえる手口を完全犯罪にするためには、もうひとつ鞄が必要だと思うの。実はね――事務長が総長室のトイレットに鞄を持って入ると、すぐにあらわれた時には鞄を提げていなかった。しばらくすると来客があった。会談のあとその男は同じような鞄を持ったままトイレットに入って行った」

 殺人事件だった前二話とは趣向を変えて、大学生の企みが事件の中心に据えられています。結婚候補者の愛情を試すという話がなぜか総長室から大金を盗み出すという話になって、どう転がってどう決着が付くのかが見どころです。頭はよいものの、【男は色と欲を二つとも捕まえるに違いない】という学生らしい恋愛に対するロマンチックな思い込みによって立てられたロジックは、【色だけを取った男と欲だけを取った男】の思惑によってもろくも崩れ去ります。和子の意図自体が読者に伏せられているので、探偵役が思い込みに囚われていた前二話と比べると意外性という点で一歩劣ると感じます。
 

「第四話 不貞の妻が去った」(1959)★★★★☆
 ――ある夜、巡回中の警官が屋敷のコンクリート塀を乗り越えて来た男を捕まえた。築地派の親分羽鳥修三の家であった。同夜、対立するお堀組のボスが胸を射抜かれて即死しているのが発見された。これは決闘であった。決闘の対手は羽鳥修三と目された。羽鳥家の塀を乗り越えた怪しい青年も取り調べられ、存外すなおに白状した。青年は羽鳥の妻津矢子と密通していたのである。そこへ羽鳥が突然帰ってきたので慌てて塀を乗り越えたというわけだ。だが羽鳥夫妻はその夜は一緒にいたと証言し、青年もうっかりしたことを喋っては生命を狙われるためか証言を二転三転させた。しかも噓発見器によると、羽鳥夫妻は確かに同衾していたという結果が出た。

 第三話の小楯和子が騙された経験を踏まえてヤクザの許で働き出すという設定に笑わせてもらいました。警察の捜査の側から描かれたアリバイ崩しのように見えながら、幽霊紳士によって暴かれたのは「貞淑な妻」というどんでん返しだった、という構成が冴え渡っています。世間では「不貞の妻」だと思われていたものが【夫にとっては男を立てる「貞淑な妻」だった】という一度目の逆転があり、【その「貞淑な妻」も実は勇敢な男を欲した妻の作りあげたものだった】という畳みかけるような二度目の逆転が鮮やかです。
 

「第五話 毒薬は二個残った」(1959)★★★☆☆
 ――二十歳の川上峰雄が人妻を騙した時、仲裁役を買って出たのが羽鳥修三だった。それ以来の関係だ。川上は羽鳥に暴力をふるわせるようなヘマはしなかったし、羽鳥の惚れた女に手を出すようなこともしなかった。この「ペガサス」のマダムだけが例外だった。羽鳥が女房を離縁してから「ペガサス」へ足しげく通うようになり、どの女を狙っているのかと噂された。本人にたずねたもののぬけぬけとした態度で高笑いされて、川上はカツンと来た。相手はマダムだと確信していた川上は、横取りしてやろうと心に決めた。酔わせて関係を持ってみると、マダムは自分自身を欲情の波濤に溺れさせたようになり、店の名義を川上に書き改めるまでのことをした。だが川上はマダムが邪魔に感じて来た。

 もてない男ともてない女を手玉に取ったつもりのジゴロが、実は手玉に取られていたという点では逆転の構図がわかりやすい作品です。【マダムによる】毒殺の手段はプロバビリティを狙ったものなのでしょうか。
 

「第六話 カナリヤが犯人を捕えた」(1959)★★☆☆☆
 ――殺し屋の目白の譲は羽鳥修三に依頼されて川上峰雄を殺しに来た。短剣を放って川上の背中をつらぬいた。とたんに部屋の中でコトンと音がする。思わず灯をつけて確かめると、それは鳥籠の中のカナリヤだった。その時、裏口をたたく音が聞こえた。「川上さあん――」若い女の声であった。川上にドライブに誘われたヌード・モデルの洋子であった。カナリヤの音でつい灯けてしまい、部屋に人がいることを教えてしまった。譲は女の頸に腕を巻きつけたが、指をがりっと齧られ、突き飛ばして殴りつけた。気絶した女の指紋を短剣につけ、ガス栓を開けた。……新聞社に匿名の電話が入った。「ペガサスという酒場がガス臭え。だれかが自殺しようとしているぞ」

 続編というわけではありませんが、登場人物が共通するだけでなく事件そのものも第五話の続きになります。本書中では異色と言っていいほどシンプルで、被害者をガス中毒死させようとした殺し屋がガス洩れを通報したのはなぜか――というのが謎になります。【カナリヤを助けたかった】という殺し屋らしいサイコパスっぽい動機ではありますが、今となってはさほど意外性も感じられません。
 

「第七話 黒い白鳥が殺された」(1959)★★★★☆
 ――高名なカメラマン田栗伸はヌード・モデルの志摩洋子に黒い白鳥を抱かせてシャッターを切った。十一時からはアマチュア連の撮影会がある。洋子は素人たちのどんなポーズの注文にも応えた。午後九時半。早朝撮影、洋子との情事、撮影会でのアマチュア指導。田栗の疲労はそれによるものではない。スタジオの大函には死体が隠されていた。田栗は津来子の死体を車に積み、空地に捨てて暴漢の仕業に見せかけた。スタジオを建てる際に、不動産周旋業の津来子から借金をしていたが、いざとなったら自分の魅力にものを言わせてやるという自信があった。実際、返済延期と引き替えに関係を持った。

 仕損じたのが当初から人を殺したと判明している犯人という点、わりと正統派の倒叙ものです。被害者の用心深さに気づけなかったのは確かに犯人の落ち度と言えますが、その証拠への伏線の張り方が芸術的でした。アマチュアカメラマン撮影会での笑い話は、エピソード自体は印象に残りますし、けれどその時点では事件自体とは関連付けられない、お手本のような伏線でした。【※カメラも持たずに撮影会に来た強心臓男にカメラを貸してやったのだが、実はそのカメラは被害者がひそかに現場を隠し撮りしていたものだった。
 

「第八話 愛人は生きていた」(1959)★★☆☆☆
 ――週刊実話雑誌「スキャンダル」の高坂松也はネタをでっち上げようとS海岸を歩き回っていた。見ると一艘のモーターボートがぐるぐると円を描き続けている。高坂が監視人と相談していると、一人の中年婦人に声をかけられた。「あのボートは良人のものなのですが……」。三人は監視艇に乗ってつッ走った。服を切り裂かれた若い女の死体が頭部を血まみれにして倒れていた。「斎田さん! 篠田はどうしたのです?」婦人は女の口もとに耳を寄せた。「え? 奇巌城にとりのこされている?」。監視人と婦人は監視艇で奇巌城に急ぎ、高坂はモーターボートで若い女を海岸へ運ぶことになった。だが若い女が完全に死んでいることに気づいた高坂は自身も奇巌城に向かうと、泳げない篠田が岩に叩きつけられて溺れ死んでいた。

 【被害者が発見時には生きているように見せかけて保険金受取人を被害者にする】というこの逆アリバイは賭けのようなものですが、【三百万の保険金を手放すことを印象づけつつ、千五百万の株券を相続する】という大金への価値観の違いを利用して容疑圏の外に逃れようとする発想自体は面白いと思いました。前話とのつながりは田栗と洋子の写真の載った週刊誌という、かなり緩いものでした。
 

「第九話 人妻は薔薇を恐れた」(1959)★★★★☆
 ――岸子は先週インターヴュを受けた雑誌「スキャンダル」の記事を見て啞然とした。「中年の男はいかに妻を騙しているか」。夫の猛夫は女事務員と関係を持っており、岸子のことはからかい半分に貞女と書かれていた。それから二十分後、居候の井組関三が二階から降りてきた。傲然な井組がどうして居候しているのかいまだに納得できないが、「戦時中の命の恩人だから」という夫の話であった。岸子は春の日のことを思い出していた。混血児の若い女が訪ねて来た日、伯母が重態だと言われて出かけたもののそれは噓だった。家に帰ると夫と井組が庭に花壇を作っている。その時は花壇がハート型なのに微笑したのだった。二日後、奇怪なことを発見した。花瓶と絨毯が捨てられ、まったく同じものが買われていた。

 庭造りというのはあからさまですが、情報が小出しにされているためもあって「赤髪連盟」のような謎めいた魅力がありました。望まれぬ居候という事実からは、誰もが弱みによる脅迫を推測すると思いますが、そこにひとひねりあるためにまんまと騙されてしまいました。週刊誌の記事が前話の登場人物との繋がりだけに留まらず、借金を匂わせる伏線になっていることにも注目です。
 

「第十話 乞食の義足が狙われた」(1959)★★☆☆☆
 ――流行推理作家の松川清作は喫茶店で従妹と会って、意外な秘密の苦悩を告白されていた。松川は切り出すきっかけに窓の外の乞食を指さした。銀座で有名なその乞食は堂々たる風采と態度が商売道具だった。乞食は老紳士の前に出るとシルク・ハットをぬいで差し出した。紳士はちょっととまどってから、銀貨を一枚投げ入れた。「メルシ・ボクウ」。乞食はズボンをたくし上げ、義足の貯金箱に銀貨を落とした。乞食には細君がいて、夫婦で月に二三度、小料理屋にあらわれるという。関白ぶりを発揮する夫に、女房はいそいそと仕えていた。よくもまあこんな理想的な女房がいるものだ、と男たちは羨ましくなった。

 またバカミスが来ましたね。一応は第九話の被害者である岸子を慰めるために乞食を引き合いにした「劣等感の克服」という繋がりではあるのですが、バカっぽさのインパクトの方が勝ってしまいます。「理想的な女房」と羨む男たちを嘲笑うかのように、無償の献身などなく性的にも金銭的にも欲得ずくのものだった、と判明するのはロジカルでいっそ清々しいです。
 

「第十一話 詩人は恋をすてた」(1959)★★☆☆☆
 ――無名詩人成瀬信吉は、推理作家松川清作に報告した。ニュース映画で見たファッション・モデルに一目惚れした。喫茶店でそのファニイ・フェイスのモデルを見つけた信吉は、デートに誘うことに成功し、今日が四度目のデートだった。恰度その時刻――豪華な食堂で四組の男女が席に着いていた。そのうちの一人がファニイ・フェイスだった。対手は肥満して汗かきで、無作法にも食器の音を響かせている六十年配の男性だった。それから二時間後、モデルたちは場所を銀座に移し、さらに対手の男性もすりかえていた。

 これまでとは違い、幽霊紳士が積極的に介入する――どころかこの話自体がファニイ・フェイスの信仰心に打たれた幽霊紳士自身が起こしたものだったと判明します。その趣向自体が意外性だと捉えるべきで、モデルたちの会食やファニイ・フェイスと信吉の出会いの真相はその副産物みたいなものでしょうか。
 

「第十二話 猫の爪はとがっていた」(1959)★★★☆☆
 ――無名詩人成瀬信吉が公園を散歩していると、顔に孤独に疲れた小皺の刻まれた四十近い女がベンチに腰かけています。すると端正な容貌の色男が現れて立ち止まり、「さ、ミミをつれて来ましたよ」と言ってバスケットを膝の上に置きました。青年が蓋をあけると、一匹のシャム猫が顔を出しました。老嬢はあわてて蓋をしめます。老嬢の服装はシャム猫の模様と同じでした。老嬢――沢田環の大切な猫が、この夏行方不明になり、報酬を載せて新聞広告を出したことがありました。明方、玄関のベルが鳴り、美貌の青年が立っていました。「お宅のシャム猫を見つけました」……そんなことが三度あり、しかもそのたびに青年の首筋には猫に引っかかれたような傷がありました。

 第十一話では積極的に人間界に介入した幽霊紳士が、この最終話では実体を持って登場(していたことが最後に判明します)。掟破りとも言えるこの趣向は、最終話ならではのものでしょう。しかもこれまでは思い違いを指摘するに留まっていた幽霊紳士が、思い違いによって犯してしまった罪を告発するという点も異色です。単純にしてトリッキーな殺害方法も印象に残りました。
 

『異常物語』(1961)★★☆☆☆

 歴史上の人物が登場し怪異が起こるもののすべて悪戯でした――というパターンの作品集。あまりにワンパターン過ぎるうえに肝心の怪異も陳腐なものが多く、『幽霊紳士』と比べるとかなり落ちます。

 解説によれば「単独の単行本としては一度も刊行されてない」ものの、国会図書館のデータによると『妃殿下と海賊』(鱒書房,1956)と『罠をかけろ』(光風社,1957)の収録内容がほぼ『異常物語』と重なっているようです。前者は「名探偵誕生」未収録で「日露戦争を起こした女」「生首と芸術」収録のうえ収録順も異なっており、後者はその三篇含めてすべて収録されています。本書は『幽霊紳士』とのカップリングだった『柴田錬三郎選集 第五巻』(光風社,1961)が底本になっています。二篇が省かれたのは紙幅の都合からか意に満たないからか。
 

「第一話 生きていた独裁者」(1954)★☆☆☆☆
 ――パリの日本人留学生椿次郎は、モンパルナスの裏路で辻君に声をかけられ、ついに覚悟をきめた。病気の心配をする椿に検診済みの許可証を見せられたからだ。部屋に残された紙片を見て辻君ジャンヌはドイツ語らしき吐き捨てた。「あの最中になると頸を締めながら、わたしを別の女と錯覚してね。エバ! エバ・ブラウン!って……」

 すわ特ダネと勇んだ相手を客に取って金を巻き上げるための方便だった――というだけなら話の中身はヒトラーであろうと何であろうと構いません。ジャンヌによる最後の告白はリドル・ストーリーというよりも、最後までからかわれていると考えるべきでしょう。最後の最後まで騙そうとしてくれるのは詐欺師としては良心的と言えるかもしれません。『妃殿下と海賊』には「生きていたヒットラー」の題名で収録。
 

「第二話 妃殿下の冒険」(1955)★☆☆☆☆
 ――K××宮妃殿下は蕩児の良人をつれ戻すべくヨーロッパへ渡った。夫は「お前も男友達をつくってよろしくやったらどうだ」と煙に巻き、妃殿下の喘息がひどくなると、静養をすすめて厄介払いしてしまった。妃殿下はロンドンから南仏ニームの別荘に行き、翌朝には別荘の持主である子爵未亡人の館を訪れた。未亡人が老犬に向かって恋人をかき口説くような姿態を見せるのを見て、恐怖に襲われて館をあとにした。やがて未亡人から旅行中の留守をお願いされた妃殿下が未亡人の寝室で休んでいると……。

 前話同様、実はお芝居でした、という話。フランスの俳優ルイ・ジューヴェが登場。
 

「第三話 5712」(1955)★☆☆☆☆
 ――隠し財宝に取り憑かれたことのある画伯がフランス滞在中の話を聞かせてくれた。「……ドムナン伯爵夫人から、慈善バザーを開催するので値をつけてほしいと頼まれた私は、肖像画入れの美女に魅了されました。題辞も署名も見当たりません。直感に導かれて絵の左上をベンジンで拭うと、「5712」という数字が浮かびあがりました。友人と食事中にその話をすると、海賊キッドの暗号に「3911」というのを思い出して『十八世紀綺談集』という本を持ってきました……」

 すべての数字がないと解けない暗号【※緯度と経度】なので謎解きの醍醐味はありません。やはり実はお芝居でしたパターンです。『妃殿下と海賊』には『海賊キッドの謎の記号』の題名で収録。
 

「第四話 名探偵誕生」(1956)★★☆☆☆
 ――コナン・ドイルが「緋色の研究」以前に書きとばしたが気に入らず、そのまま篋底に仕舞われていたのがこの「役者の独語」である。「ロス博士死ス。至急来ラレタシ」。大学時代の親友ベインズから恩師が死んだと知らされ、シャーロック・ホームズはデヴォンシアに向かった。博物学専攻の友人パーカーが昆虫取りに使用しているベラドンナを飲んで自殺したと見られていた。その夜、灯がついているのを見たホームズとベインズが書斎に踏み込むと、廻転椅子には死んだはずのロス博士の姿が……。

 犯人が仕掛けた罠をホームズが仕掛け直すという意趣返しが、洒落っ気のあるホームズらしい。原典ではあれだけ変装大好きなホームズ自身は変装していないところに可笑しみを感じます。すべてがお芝居という趣向は、ドイルの原稿が偽物だったというように変奏されているため、さほどワンパターンには感じませんでした。『日本版 ホームズ贋作展覧会』に再録。
 

「第五話 午前零時の殺人」(1956)★★☆☆☆
 ――次回作の構想が浮かばないヒッチコックは、配達された投書を読んでみる気になった。「来る十日午後十一時、ジロンド街五十二番地に御来駕あれ」。藁にもすがる思いで足を運んだヒッチコックは、指示通りに壁の穴から部屋を覗くと、電話中のブロンド女のうなじに、短刀がふりおろされた。だが警官を連れて戻ると、女も短刀もすべて消えていた。三年後、祝賀会に届けられたフィルムには、あのときの出来事が……。

 すべてお芝居でした、のパターンかと思わせてもう一回ひっくり返すのは、「生きていた独裁者」と同様です。第四話はホームズ譚ふう、第五話もヒッチコック映画ふうの内容なので、第二話や第六話もあるいはルイ・ジューヴェやマルセル・カルネの映画ふうの話なのでしょうか。
 

「第六話 妖婦の手鏡」(1955)★☆☆☆☆
 ――巨匠マルセル・カルネの居室を、助監督エスマンが訪れた。エスマンが首ったけの美貌の歌姫スワン嬢は、名門貴族ウルビノ公爵の苗裔であり、靴屋の倅エスマンはコンプレックスを抱いてしまった。「ただ、たったひとつだけ、秘密を発見したのですが――」一八〇九年、ウルビノ公爵は男爵令嬢ロッテと結婚して身を落ち着けたかに見えたが、半年もするとまたぞろドン・ファン的行状が息を吹き返してしまった。しかも今回の相手イボンヌは質が悪かった。大切にしている祖母から贈られた手鏡を奪われ、ロッテは憔悴して身罷った。

 これまたただのすべてお芝居でしたパターンに戻ってしまいました。
 

「第七話 密室の狂女」(1954)★★★★☆
 ――シャトルウ家の令嬢メラニイは、鎖に繋がれ監禁されているのを警察に発見されたときには気が狂っていた。兄は黙秘し、母親である未亡人は「すべて娘が自分でやったこと」だと訴えて病死した。死に際に「私の可哀相なメラニイ……」と呟いて。娘は罪の十字架を背負って部屋に籠ったに違いない。アンドレ・ジイドは興味を持ったが、真相が明らかになったのは昨年、演劇好きの青年がシャトルウ邸でノートを見つけてからだった。/新聞記者ダニエル・ブロウに電話がかかってきた。一九四二年の冬、ドイツ軍はリヨン市民から没収した財産をエスチレーネ山脈に埋める計画をたてた。その作業をさせられたのが仏人労働者とスペイン人捕虜だった。電話の主はその時の生き残りだった。だが電話の主は姿を消し、ブロウには脅迫状が届いた。それでも諦めずブロウは現地に向かった。一月後、編集部長のもとに女手の手紙が届いた。

 ほかの作品とは趣向が違い、純然たる犯罪奇談二篇で構成されていました。近親相姦の罪と蜜に浸り、畸形児に神の罰を見る閉じた館の住人たちの姿は、かつての探偵小説のような頽廃に満ちていました。ドイツ軍の隠した金塊というロマンの裏にあった真実は、これも実は「すべてお芝居でした」の趣向ではあるのですが、現実的な編集長にとっては、金塊を題材にした復讐の絵図面も、ドイツ軍の隠し財宝と同じくらい非現実的なものだったようです。
 

「第八話 異常物語」(1954)★★★☆☆
 ――私は十八歳のとき磐梯山に登り、日本を離れて世界を放浪してやろうと決意しました。パリでは軽気球による決闘を見ました。印度の寡婦の家に忍び込み、淫蕩な夜を過ごしました。パリのレストランでは詩人から話を聞きました。その詩人が持っているペーパー・ナイフは若い女の骨だというのです。「僕は女のヒモでした。あるときロレンス・ケヤリという男が飲み助たちに向かい、ロッキー山脈の北方に黄金の溢れる場所が存在すると熱弁を揮っていました。僕も遠征に加わり、いつしか千人以上となった遠征隊は黄金を見つけて町を築きました。けれど一年後の冬、寒波に襲われて孤絶した町は食糧が尽きたのです。ケヤリは住民たちに熱弁を揮い、ピストルをこめかみに擬しました」

 これも趣向は「すべて噓でした」なのですが、噓の内容が真に迫っており、日本人による千夜一夜物語めいた奇談もさることながら、詩人によって語られるカルトによるコミュニティの狂熱と洗脳の異常性はまさに「異常物語」の名に恥じません。詩人の正体が【アポリネール】であることがサゲにもなっていました。

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