ほとんど内容を忘れていたので久々に再読。さすがに何度も読んでいる「猿の手」「炎天」は今回はパスしましたが。
「幽霊屋敷」ブルワー・リットン(The Haunters and the Haunted,Bulywer Litton,1857)★★★☆☆
――「幽霊屋敷なら、かねがね一度泊まってみたいと願にかけていたんだ」余はこわいもの知らずの下男と愛犬をつれて、G―街にある幽霊屋敷へ出かけて行った。すると最初の怪異があらわれた。足跡が一つ、ひとりでに現れたのを見たのである。
初めのうちこそ古式ゆかしい幽霊屋敷ものを思わせる作品でしたが、やがて心霊科学やオカルティズムの大演説が始まり、最後には完全にそっち側の小説に。そうなってしまうともはや怖くも何ともなくなってしまうのですが、幽霊屋敷に滞在中に起こった、幽霊による再現場面は今読んでもとびきりの怖さと言えるでしょう。さすがに古めかしいかと思った訳文も、読んでいるうちに馴染んでくるから不思議。
「エドマンド・オーム卿」ヘンリー・ジェイムズ(Sir Edmund Orme,Henry James,1891)★★★☆☆
――「わたくし、一生、罰をうけておりますわ」マーデン夫人がはっきりとした霊感を持っていると語ってくれたのは、たしかこのときだった。「あの人を見たことを、誰にもおっしゃらないでね」「だって、みんな見たんですよ」「あなただけなの。娘に何か言ったんでしょう。そうでなければ、あの人を見るわけありませんんもの」
心霊ものが続く。ヘンリー・ジェイムズなんで仕方ないけれど。かつて母親に振られた腹いせに娘に対して何らかの呪いがかけられている(らしい)。朦朧法なので当然はっきりとは書かれません。娘の目にも幽霊が見えるようになったらどうなるのかもよくわからないけれど、登場人物たちがそれを病的に恐れているのはよくわかります。この「病的に」というのが苦手。
「ポインター氏の日録」M・R・ジェイムズ(The Diary of Mr Poynter,M. R. James,1919)★★★★☆
――ウォリック州の資料をさがしていて、ポインターという人物の日記を手に入れた。模様のある布地が、本のページに留めてあった。伯母はまるで小娘みたいにその柄が気に入ってしまい、型を複製してカーテンを作らせた。うつらうつらしていたときのことだ。モジャモジャした毛の表面にさわったような感じがした……。
怪しいところなど何もないようなごく普通の(むしろ普通以上に退屈な)日常生活から、突如として怪異が立ち現れるところは非常に怖い。それも幽霊や怪物ではなく○の○だけというのがいっそう。
「猿の手」W・W・ジェイコブズ(The Monkey's Paw,W. W. Jacobs,1902)
「パンの大神」アーサー・マッケン(The Great God Pan,Arthur Machen,1890)★★★★☆
――灰色の物質にほんのすこし傷をつければそれでいい。つまり脳髄の中をちょっとなおすんだ。そうすればわれわれの目からおおい隠されている真実の世界が見える。大むかしの人はそれを「パンの大神」を見ると言っていた。
脳外科手術によって(比喩的な意味であるらしき)「パンの大神」を見た少女が、どうやら実際にパンの大神と交わって子を生み、やがてその子が近づく人々を恐怖と不幸に陥れる。淫魔の男神パンとファム・ファタルを一つにしたところが創意。
「いも虫」E・F・ベンスン(Caterpillars,E. F. Benson,1912)★★★★☆
――スタンリ夫人の話を聞いて、ぼくが泊まったカスカナ荘のあき部屋には、なにか曰くがあるんだなという考えが浮かんだ。今夜は本でも読んでおきていようと思って、本を食堂におき忘れていたことに気づいた。なんの気なしに隣のあき部屋をひょいと見ると、寝台の上には大きないも虫がべったり一面にいて、白っぽい光を放ってノソリノソリはっているのである。
これまでの作品が怪奇小説や心霊小説だとするならば、本篇は一気にホラー小説になっていました。結局は駄洒落かよ!とも思ってしまいましたが、死神や憑き物のような存在を無数のいも虫で表現するところには生理的な不気味さを感じずにはいられません。しかもただ単にいも虫の生理的な気味悪さを利用しただけでなく、細くなって鍵穴を抜けたりする自在さも気味悪さに拍車をかけています。
「秘書奇譚」アルジャーノン・ブラックウッド(Strange Adventure of a Private Secretary,Algernon Blackwood,1906)★★★★☆
――ある朝のこと、ジムは社長室へ呼ばれた。「これはな、むかしの相棒ガーヴィーの手紙なんだ。やつから手紙がきてな、署名を切りとりたいというのだ」。ジムは外見を本物そっくりに似せたニセの書類包みをこしらえた。「秘書さんだね? 今夜は遅い。泊まっていきなさい」。下男が晩飯をもってきた。「お相伴できればいいんだが、肉のものは口に入れんのでね。ところであの下男は真空がいやに好きでね」
超常的な恐怖ではなくサイコパスの屋敷に閉じ込められたような、ぞわぞわする恐怖が味わえる作品です。チョコチョコと早送りしているように見える昔の映画のような、不思議なドタバタ感もあるし、最後になっても結局なんだったのかもよくわかりませんし風変わりな作品であるのは間違いありません。
「炎天」W・F・ハーヴィー(August Heat,W. F. Harvey,1910)
「緑茶」J・S・レ・ファニュ(Green Tea,Joseph Sheridan Lefanu,1869)★★★☆☆
――馬車はもうまっ暗で、わたしのこしかけているま向かいに、なんだか赤い光みたいな、小さなまるいものが二つ、ピカピカ光っているのですな。よく見きわめようとして身を乗り出しました。そいつが真っ黒けな小猿なのです。赤く光ったものは、この小猿の目だったのです。
? 何だかよくわかりませんでした。緑茶を飲み過ぎて猿の幻覚を見てしまった人の話らしい。肝心の猿の幻覚があまり怖くないです。
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