『イギリス怪談集』由良君美編(河出文庫)★★★☆☆

 この本でしか読めない作品というのがいくつかあって、そのなかではマンビー「霧の中での遭遇」、レファニュ「ロッホ・ギア物語」がよかった。
 

「霧の中での遭遇」A・N・L・マンビー/井出弘之訳(An Encounter in the Mist,A. N. L. Munby,1949)★★★★☆
 ――伯父のジャイルズが友人を訪ねた折りの話だ。山道は予想したよりも遠いというのは、ありふれた話である。遠出を決行したものの、濃霧に包まれてしまった。だから跫音が聞こえて、老人が現れたときには胸をなでおろした。老人からもらった地図を頼りに下山を試みたが、断崖絶壁のぎりぎりから足を踏みはずしそうになった……。

 語り手自身が書いているように、ちょっと類例の少ない不思議なタイプの怪談でした。結果的に、ジェントル・ゴースト・ストーリーに「怖い」怪談の要素も取り入れられ、一粒で二度おいしい作品です。
 

「空き家」アルジャノン・ブラックウッド/伊藤欣二(The Empty House,Algernon Blackwood,1906)★★★☆☆
 ――「ずいぶんとむかしのことで、その家の女中と深い仲になった、嫉妬深い馬丁が、その娘を階段の途中まで追いつめ、手すりごしに下のホールに突き落としてしまった……」そんな評判の幽霊屋敷を、叔母とともに訪れたショートハウスは……。

 『怪奇小説傑作集1』所収の「秘書奇譚」にも登場するジム・ショートハウスものの一篇――というのを知ったのは、『幽』15号のゴーストハンター特集でのことでした。リアルなホラー映画のなかに紛れこんだらこんな感じなのでは――というような、非物質的とも身体的ともつかない恐怖を感じられます。再読。
 

「若者よ、口笛吹けば、われ行かん」M・R・ジェイムズ/伊藤欣二(Oh, Whistle, and I'll Come to You, My Lad,1904)★★★★☆
 ――これがテンプル騎士団の遺跡に違いない。ゴルフ場からの帰り際、パーキンズ教授はナイフで地面を引っかきはじめた。金属の管――間違いない――これは笛なのだ。何か文字が書いてある。教授は実際に吹いてみることにした。

 事情がわかった後であらすじだけ書いてしまえば、己の肉体を持たない存在がシーツを依代にして動き回っているというだけのことでしかありません。ところがそれを、事情を知らない襲われる側の視点で、「しわくちゃのシーツのような、その顔」と書かれると、恐ろしさが半端ではありませんでした。「シーツが顔のように見える」のではなく「シーツのような顔」と書けるのが、才能というものなのでしょう。再読。
 

「赤の間」H・G・ウェルズ斎藤兆史(The Empty Room,H. G. Wells,1896)★★★☆☆
 ――これほど気味の悪い管理人の老人がいるとは予想していなかったが、憑物がいるという部屋に案内してもらい、そこでくつろいで見せようとした。私は部屋のあらゆるところに蝋燭を配置した。その時である。壁龕の蝋燭が突然消え、黒い影が舞い戻った。

 赤の間で起こる怪異の正体とは――。幽霊の正体見たり枯れ尾花とは言いますが、それが枯れ尾花という名の怪異なのだとすると、とてもではないですが手に負えません。
 

ノーフォークにて、わが椿事」A・J・アラン/由良君美(My Adventures in Norfolk,1924)★★★☆☆
 ――バンガローに泊まっていると、自動車の音がするわけさ。門から出てみると、リムジンが停めてあるのがみえた。女の子が一人、ボンネットを開けてさ、エンジンをガタガタやってる。女の子は通りかかったタンク・ローリーに乗って町まで行き、車はバンガローのガレージに置いておくことになった。それにしても、いったいどうしてこんな夜中に――

 陽気なおっちゃんの問わず語り。「霧の中での遭遇」と同じく二段構えの恐怖です。恐怖とは言っても語り口が語り口なのでまったく怖くはありませんが。
 

「暗礁の点呼」アーサー・クィラ=クーチ/斎藤兆史(The Roll-Call of the Reef,Sir Arthur Quiller-Couch,1895)★★★☆☆
 ――この錠は親父の若い頃からここにぶら下がっているんだ。その日は海が荒れてね。軍用船が二隻も難破した。生き残ったのは鼓手の少年と、ラッパ吹きだけだったが、ラッパ吹きの方は岩に叩きつけられたショックでおかしくなっちまってね。身体が快復するまで親父のところで厄介になり、二人はすっかり仲良くなったんだ。

 日本人から見ると、何のことはない菊花の契りのような話なのですが、そんなことはこの世の理からはずれているから許されないということなのでしょうか、神父さんが封じてしまいました(^_^;。
 

「おーい、若ぇ船乗り!」A・E・コパード/井出弘之訳(Ahoy, Sailor Boy,A. E. Coppard,1933)★★★★☆
 ――アーチー・マリンという若い船乗りが、宿への帰途についた。その時、すぐそばをそっと影のように誰かが通った。奇妙な香水の残り香が漂った。「やあ! ぼくはアーチー・マリン。きみは?」「名前? フリーダ・リストウエルでした」「え、今は違うの? どこかで失くしてしまったってわけ?」

 コッパードらしく、のどかな、けれどぽっかりと穴が空いたような恐怖に襲われる作品です。幽霊を信じようとはしない、無骨でやんちゃな船乗りが、上品で謎めいた美少女におちゃらけて話しかけ続けるシーンには、何とも言えない味がありました。
 

「判事の家」ブラム・ストーカー/由良君美(The Judge's House,Bram Stoker,1891)

 既読なのでパス。
 

「遺言」J・S・レファニュ/横山潤(Squire Toby's Will,J. S. Le Fanu,1868)★★★☆☆
 ――名の知られた郷士トビー・マーストンが亡くなった。死後に多額の負債を残したために、二人の息子を仰天させたのだが、兄のスクループは父親から可愛がられたことなどついぞなかった。父親の遺言は、遠い昔より長子にゆずり渡されてきた屋敷を、長男から奪い去って弟のチャールズに引き渡した。

 執念深い親子三人が生きてるうちも死んでからも骨肉相食む敵対を繰り返す、どろどろの駄目人間劇。父か兄に憑依されたかのようなおぞましい狂犬の姿が印象に残りました。
 

「ヘンリとロウィーナの物語」M・P・シール/南條竹則(The Tale of Henry and Rewana,M. P. Shiel,1937)★★★★☆
 ――ハワード卿夫人ロウィーナは、またしても、ダーンリイ卿との行路に足を踏み入れる羽目となった。「まだ、いけませんの?」「病を癒そうと思って来ました」「癒すとおっしゃるのは、例の無可有国でのランデヴー?」「魂も来世も存在します。向こうに行けば癒されるのですよ」

 M・P・シールらしく、独自の美意識に彩られている時代がかった恋愛譚です。手に入れられない恋を手に入れるために、来世で一緒になろうと誘いかける耽美なダンディが出て来るのですが、スタイルだけでなく実際に美意識を実行に移してしまう変態ぶりが輝いていました。「跡があった」のではなく「跡がなかった」という結末の一言にぞっとします。
 

「目隠し遊び」H・R・ウェイクフィールド南條竹則(Blind Man's Buff,H. R. Wakefield,1938)★★★★☆
 ――コート氏は不動産屋に紹介されたローン屋敷の下見にやって来た。明かりがない。マッチを取って来ないと。何かがスッと掠めていった気がした。手さぐりで左の方に歩いていくと壁に突きあたった。椅子の前に戻り、まっすぐ行くと、また壁だった。何、慌てることはない。扉はそのうち見つかるに決まってるんだから。

 目隠し遊びというタイトルが秀逸です。核となる発想は捉えようによってはウェルズ「赤の間」と似ているようにも思えますが、果たして正体や目的が何なのかがわからず、暗闇だからこその怖さがありました。目撃者の証言が不気味さをいっそう引き立てます。
 

「チャールズ・リンクワースの告白」E・F・ベンソン/並木慎一訳(The Confession of Charles Linkworth,E. F. Benson,1912)★★★☆☆
 ――ティースデイル医師は処刑台の上で、袋をかぶされ縛りあげられたリンクワースが穴のなかへおちるのを見届けた。しかし妙なことが起こった。処刑に使ったロープが見あたらなかった。食後、医師が椅子に腰掛けていると、電話がかすかな音をたてていた。「もしもし、どなたですか」

 血も涙もない不信心者の霊魂が成仏できなくなってから、成仏させてくれと頼んでくるという、いい迷惑な話です。直接交流はできない人と霊との接触に、電話が小道具として使われている点が、いかにも心霊的でした。
 

「ハリー」ローズマリー・ティンパリー/由良君美(Harry,Rosemary Timperley,1956)★★★☆☆
 ――「うちにお入り、クリス」「もうかえんなきゃ。じゃ、バーイ」「クリス、誰とお話ししていたの?」「ハリーよ」。ジムが帰ってきたとき、わたしはこのことを話してみました。「あの子、またおふざけを始めたって? ん? 空想の友達をこさえるってのは、よくあることさ」

 古典的な幽霊譚を、児童心理や心霊学や精神医学を通じて現代に甦らせた作品と言えそうです。怪異自体よりも、怪異に遭遇した語り手の「歩くのが怖ろしい」「なんでもない、まいちにの事どもが」という心の闇の方が強く印象に残っています。
 

「逝けるエドワード」リチャード・ミドルトン/南條竹則(The Passing of Edward,Richard Middleton,1912)★★★★☆
 ――「エドワードはどこにいるの?」私はそう言って砂浜を見まわした。「エドワード、死んだの」とドロシーはそっけなく言った。「可哀そうに。ドライブに誘おうと思って、自動車を持って来てあるんだよ」「きっと喜んだでしょうね。あの子、自動車が好きだったから――今、聞こえなかったかしら――」

 幽霊などいない――けれど。死んだ子どもの思い出を、多感な別の子どもを通して、大人も共有できるという心を打つ掌篇です。しかもただの思い出ではなく、生きている者のために、「考えてみればエドワードは、けして素晴らしい良い子というわけではなかった」が「彼女のために良いことをしてくれたように思える」という姿勢がさらに胸を打ちます。
 

「ロッホ・ギア物語」J・S・レファニュ/倉阪鬼一郎南條竹則(The Story of Lough Guir,J. S. Le fanu,1870)★★★★☆
 ――デズモンド伯爵ほど練達の魔術師はおりませんでした。あるとき奥方が、何か不思議な魔術を見せてほしいとせがみました。けれど一言でも口をきいたりすれば、城も人もみんな湖のうちに沈んでしまわなくてはなりません。伯爵が呪文を唱えました。ふと見ると、伯爵のいたところに巨大な猛禽が翼をはためかせておりました。鳥は瞬くうちに醜いこびとの老婆に変わりました……。

 ロッホ・ギア(ギア湖)のほとりに住む老嬢から聞いた、ロッホ・ギアにまつわる伝説の聞き書き――という体裁のアイルランド伝説集(なのかな?)。実際の伝承を再話したものなのか完全なオリジナルなのかわかりません。伯爵の奥方を怖がらせたのが、変身した化け物の姿ではなく、見知った者がその姿のまま変化した姿だった――という恐怖描写などを見ると、民話というより現代的な怪談に感じられますが。
 

「僥倖」アルジャノン・ブラックウッド/赤井敏夫(Special Delivery,Algernon Blackwook,1903)★★★☆☆
 ――牧師補のミークルジョンはスイス・フランスのはざまにある旅籠に泊まった。はっきりと認識するには微かなものだったが、不思議な警告の感覚が心にわきおこった。また漠然と、部屋のベッドにたいする激しい反撥が忍びよってきて――。

 冒頭で心霊云々と書かれていますが、怪異・怪談とはまた違った、超自然という言葉が相応しいような作品でした。山の神とも天の使いともつかない、それどころか存在ですらない「気配」には、原始の大自然に対するような畏敬の念すら起こりました。
 

「ハマースミス『スペイン館』事件」E&H・ヘロン/赤井敏夫(The Story of the Spaniards, Hammersmith,E&H. Heron,1916)★★★★☆
 ――ハマースミスの地所を相続したロデリック・ハウストン大尉は、館に幽霊が憑いていると見て、フラクスマン・ロウに手紙を書いた。階上の廊下でこつこつ音がしたり、魚の浮袋に似た奴が寝室にさっと消えたりするのが目撃されていた。

 心霊探偵もの。これまで読んだ心霊探偵もののなかではいちばん面白かった。『シャーロック・ホームズのライヴァルたち2』にも「スパニアード館物語」の邦題で収録されているらしい。さもありなん。足跡からその足跡の主を推理したり、ばらばらの事実の断片をつなげて真相を導き出したり、犯人幽霊の正体などなど、まるまんまホームズです。「一度も馬を見たことのない人間に鞍と蹄鉄を見せたとしたら、(中略)その二つのものを互いに結びつけるなんてとてもできな芸当だろう。霊の活動がわれわれの目に不可解に映るのも、ただ単に解釈するに足るそれ以上の情報を欠いているという理由からだけなんだ」や、「一連の証拠を違った配列で考えてみるんだ。(中略)人間が杖を持って歩くとき、どうしてそうしなければならないと思うね?」など、名言くさいことをつぶやいてくれるのもうれしい。
 

「悪魔の歌声」ヴァーノン・リー/内田正子訳(A Wicked Voice,Vernon Lee,1890)★★★★☆
 ――人間の声なんぞ糞食らえ。サタンの精巧な道具、血肉のヴァイオリンじゃないか。僕が十八世紀の音楽と音楽家に夢中だと知っていた人物が、当時の歌手の肖像画を見つけてきた。その歌手、ザッフィリニーノの歌声を聞いたさる夫人は、恐ろしい叫び声をあげ、死んでしまったという。

 本書のなかでは毛色が違っていて、ぐっと幻想小説よりの作品です。芸術家がこの世ならざる至上の声に魅入られて……という概要は定番ですが、本篇の芸術家には声楽に対して斜に構えているところがあって、理想を求めて悪魔に魂を売ったわけではないというところに悲哀があります。
 

「上段寝台」F・マリオン・クロフォード/渡辺喜之訳(The Upper Berth,F. Marion Crawford,1886)★★★☆☆
 ――最近の航海で、一〇五号室で眠った人は皆、海に落ちてしまったのだそうだ。私は怪異など信じてはいなかった。ところが眠っていると、いつの間にか舷窓がすっかり開いて、海水が吹き込んでいた。

 定番のアンソロジー・ピース――のわりには初めて読みました。実体のある幽霊というのはいま読んでも斬新な気がします。あるいは姿の見えないゾンビ。

  


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