『魔女の館』シャーロット・アームストロング/近藤麻里子訳(創元推理文庫)★★★★★

 『The Witch's House』Charlotte Armstrong,1963年。

 同僚エヴェレット・アダムズ教授の不正を目撃した大学講師パット・オシーは、逃げ出したアダムズを車で追いかけるが、追いつめられたアダムズの反撃に遭い、大怪我をしてしまう。目が覚めるとベッドに寝かされ、そばにはパットを「ジョニー」と呼ぶ老婆と狂犬がいた。近所で魔女と恐れられる狂った老婆はパットを息子だと思い込み、怪我を医者にも見せずに自分で手当(もどき)をし、パットが逃げようとすると犬をけしかけた。パットの怪我は日に日に悪化し、体力も失われてゆき……

 と書くと、サイコものの監禁脱出ホラーのようですが、むしろ主人公はパットではなく、夫パットの行方がわからなくなったことで自ら調査を始める妻のアナベルの方でした。事件性がないからと型通りの警察や事なかれ主義の学長を尻目に、孤軍奮闘するアナベルの姿は、早い話がこれまで通りのアームストロング節です。

 そんなアナベルとは対照的なのが、アダムズ教授の娘ヴィーでした。作中人物に「あなたみたいな女の子は、片想いをしてその気になったら、すごくおっかない存在になるのよ」と評される、悲劇のヒロインの殻に閉じこもる思い込みの激しい、自信がなくて悲観的な少女です。物語はこの子の成長物語の側面も持っているのですが、さらにはヴィーの高校時代の先輩カールソンが事件の担当警官で、この警官の成長物語にもなっているのがうまくできてます。

 面白いのはこの作品が、アナベルがパットを探す探偵サスペンスだ、とも言い切れないところです。パットの居場所はどこか、パットは無事なのか、というのは読者はもちろん知っているわけで、でも知っていても面白い、というのがアームストロング作品でもあるのですが、本書ではスリルのポイントを脱出や捜索や救出とは別のところに持ってきた点に特色がありました。

 それがアダムズ教授の後妻セリアと、双子の兄セシルの存在です。セリアは完全に頭のネジがゆるんでしまっていて、道徳観念も命の重さも喜怒哀楽もどこかに置き忘れてしまったようなふわふわな人物です。かなり不気味。一方セシルの方も常習的犯罪者タイプ(過去の犯罪の発覚を恐れて実際に常習はしていないようですが)で、善悪の概念と損得の概念を同じレベルで秤に掛けてしまえる人間です。互いをイニシャルで「C」と呼び合うこのアブナい二人が事件にどう関わろうとしてくるのか、というのが、要所要所でサスペンスを盛り上げるのに貢献していました。その不気味さといったら肝心の「魔女」ミセス・プライドを食ってしまう壊れっぷりでした。

 車の目撃者ジェイミー少年や、噂好きの学生パーソンズや、頑固な看護婦といったさり気ないキャラクターたちまでが、終盤まで登場するのも見逃せません。

 最後の場面が往年のサスペンス映画のようなコテコテのハッピーエンドで、張り詰めていた空気をゆるゆるに溶かしてくれました。

 同僚アダムズの不正行為に気づき怒りに駆られた大学講師パットは帰宅しようとした同僚を追跡、詰問したあげく殴られて大怪我を負う。やがて老婆の家に運び込まれ世話を焼かれる仕儀となるが、精神に異常をきたしている老婆はパットを息子と呼び、医者を呼ぼうとすらしない。身動きもままならぬパットの心身は徐々に蝕まれ、パットを案じる妻アナベルの憂慮も頂点に達して……。(カバー裏あらすじより)
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