『ミステリーゾーン』52「水に消えた影」「幻の砂丘」「夢の世界」
「水に消えた影」(The Bewitchin' Pool,1964.6.19,ep156)★★★★☆
――争いの絶えない両親に嫌気が差したスポートとフェブ姉弟は、プールから現れた麦わらの少年に導かれて、プールに潜って「魔女」ティーおばさんのところで過ごすのだった。
第5シリーズ最終話。ジョセフ・M・ニューマン監督。アール・ハムナー・Jr.脚本。ティーおばさんの家は、決して子どもにとっての理想郷というわけではなく、飽くまで現実からの逃避先です。ティーおばさんが「一度帰ったらここへ戻ってくる子どもはめったにいない」と言うように、必要としない子どもには必要のない場所のはずだったのに、無理解な両親がみずから理由を作り出してしまいました。現実の世界から呼ぶ声が「だんだん聞こえなくなってしまう」ところも、この種のものの定番中の定番と言えます。現実の世界が「忘れてもいい世界」になってしまうのですね。
「幻の砂丘」(A Hundred Yards Over the Rim,1961.4.7,ep059)★★★★☆
――1847年、クリスチャン・ホーンの一家はニューメキシコからカリフォルニアを目指して旅して来たが、息子も寝込んでしまい、もう限界だった。水を求めて砂丘を越えようとしたホーンは、見たこともない「鉄塔」や「トラック」を目撃する。
第2シリーズ。バズ・キューリック監督。ロッド・サーリング脚本。お馴染みのタイムスリップものですが、双方が理性的に対処している点でほかのエピソードとはかなり趣が異なります。歯の治療方法や新品の骨董銃から論理的におかしな点を指摘するくだりに好感が持てます。現代で手に入れた薬によって息子が助かり、やがて医者として大成する――というこれも型通りの筋書きですが、ホーンや現代人の論理的=優しさが光っていました。
「夢の世界」(Shadow Play,1961.5.5,ep062)★★★☆☆
――アダム・グラントは殺人罪で死刑を宣告されると、「もう死ぬのはごめんだ。これは俺の夢だ。俺が死ねばみんな死ぬんだぞ!」と叫びだした。地方検事や新聞記者もその言葉が気になって仕方がない。
第2シリーズ。チャールズ・ボーモント脚本。ジョン・ブラーム監督。すべては自分の夢であるというは、『アリス』でもお馴染みのものです。実際には刑務所に入ったことのないグラントが、これは「俺のイメージ」による刑務所だと主張する、メタな趣向が、本当っぽさを高めています。荒唐無稽なはずのグラントの主張やそれを信じてしまう記者たちの存在を滑稽に感じないのは、子どもの頃に見た神父や学校の先生といった細かいところがしっかり作られているからでしょう。
『ミステリーゾーン』53「媚薬」「ミスター・ビーバス」「鉄腕ケーシー」
「媚薬」(The Chaser,1960.5.13,ep031)★★★☆☆
――恋する若者ロジャーは愛しいレイラにすげなくされて、人から紹介されたデーモン教授を訪れる。そこにはさまざまな薬があった。軟膏、胃薬……そして惚れ薬。
第1シリーズ。字幕。ジョン・コリア「またのお越しを」原作。ロバート・プレスネルJr脚本。ダグラス・ヘイズ監督。見事なまでに教授の手の内です。「手袋洗浄液」なる珍妙な商品を前面に出すことで、単なる奇人変人だと思わせておいて、実は――と黄金パターンにもっていくところが上手いです。
「ミスター・ビーバス」(Mr. Bevis,1960.6.3,ep033)★★☆☆☆
――楽天家のビーバス氏はやることなすこといい加減で、子どもたちには人気があるが下宿の女将からは嫌われ、会社は馘首になり、下宿も追い出される。そこに「守り神」が現れ……。
第1シリーズ。字幕。ロッド・サーリング脚本。ウィリアム・アッシャー監督。世俗の成功よりも自分の生き方を選ぶ――と言えば聞こえがいいのですが、これはそんな格好のいいものではなく、ビーバス氏はノープランの駄目人間です。
「鉄腕ケーシー」(The Mighty Casey,1960.6.17,ep035)★★★☆☆
――弱小メジャー球団ホボーケン・ゼファーズに、ケーシーという左腕ピッチャーがやって来た。直球は煙を上げ、変化球は変幻自在、ケーシーはスティルマン博士が作ったロボットだった。
第1シリーズ。字幕。ロッド・サーリング脚本。アルヴィン・ガンツァー&ロバート・パリッシュ監督。何をもって人間とするか、という問いに対する答えとして、「ハート(心/心臓)」というのはシンプルでセンチメンタルですが、なかなか面白い回答です。わたしは「心臓」を持ったがゆえに馬力がなくなってしまうのかと思ったのですが、凡人化の原因となるのが「心」の方だったというのもひねりが利いています。
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