『The Adventures of Sherlock Holmes』Arthur Conan Doyle,1892年。
「ボヘミアの醜聞」(A Scandal in Bohemia,1891)★★★☆☆
――ホームズの許を訪れたのはボヘミア国王だった。若気の至りで女優と交際していたころ、一緒に写っている写真を渡したことがあり、結婚を控えた現在、その写真を取り戻してほしいのだという。
記念すべき『ストランド・マガジン』連載第一作ですが、よく考えると第一作にしては、王室スキャンダルという週刊誌みたいなネタなのはかなりのチャレンジのように感じます。ホームズに「あの女」という女の影をちらつかせるのも週刊誌的?でしょうか(ストランド自体は月刊誌ですが)。写真の隠し場所に意外性はありませんが、隠し場所を見つけ出すホームズの、人間心理に基づいた機知が光っています。
「赤髪組合」(The Red-Headed League,1891)★★★★★
――「赤髪組合に欠員あり。赤髪の男求む」。赤髪の百万長者が、同じ赤髪の男に財産を分け与えるための組織だった。質屋のウィルスンは店員のスポールディングからこの組合のことを聞き、四時間だけ質屋を留守にし組合の仕事をすることにした。順調に仕事をこなしていた矢先、事務所のドアに「赤髪組合は解散した」という貼り紙が……。
この作品は何よりもまず「赤毛連盟」の発想が素晴らしいの一言に尽きます。「あの男を見たかったんだね?」「あの男ではなく、あの男のズボンの膝さ」のやり取りも、名探偵ものらしいやり取りです。銀行の地下室から犯人が現れる場面には、怪奇小説もものしている(またホームズものでも好んで怪奇ものを取り入れた)ドイルらしさが出ている場面だと感じました。
「花婿失踪事件」(A Case of Identity,1891)★★★☆☆
――美人だが大げさな恰好をしたメアリー・サザーランド嬢は、タイピストの収入で生活しており、父親の遺産から出る利子は母親と義父に渡していた。義父には厳しくしつけられていたが、パーティーで知り合ったホズマー・エンゼル氏といよいよ婚約の運びとなった。だがその直後、エンゼルが失踪した。
ここまで三作つづけて殺人がないんですね。ホームズのキャラクターや推理の過程もさることながら、こういう「謎」の抽斗の多さが魅力なのでしょう。改めて見ると『冒険』には殺人ものは三篇しかありませんね。「技師の親指」「椈屋敷」という血生臭いのも二篇ありますが。
それから研究によればこの「花婿失踪事件」は書かれたのは「ボヘミア」に続く二作目だったそうです。どれだけ週刊誌ネタが好きなんでしょうか、ドイルや英国民は(^^)。というよりも、「コンサルティング探偵」からただの「私立探偵」になったという現れでしょうか。
犯人自身「はじめはただ冗談にしたことです」と言っているとおり、騙されるメアリーさんの世間知らずが度を越していました。殺人こそ起きませんが、犯人はお金を失い依頼人は失恋し、得した人のいない悲しい事件でした。
素っ気ない訳題ですが、それもそのはず訳者泣かせの原題です。直訳すれば「アイデンティティ事件」で何のこっちゃ。「a case of mistaken identity(人違い)」のもじりだそうですが……。日本語でも「人違い」をもじったタイトルにできればいいのですが、思いつきませんね。「行方不明」と「途方に暮れた恋」を掛けて「行方も知らぬ」とか、「二人羽織」ならぬ「一人羽織」とか、「他人の空似」ならぬ「当人の空似」とかいう変なのしか思い浮かびませんでした。
「ボスコム谷の惨劇」(The Boscombe Valley Mystery,1891)★★☆☆☆
――ジェームズ・マッカーシーという若者が、父親殺しの容疑で逮捕された。事件前に口論していたこと、親子の間で用いていた「クーイ」という合図が聞こえたこと、が決め手だった。遺体のそばにあった灰色の服や死に際の「鼠」という発言は、息子のでっちあげだと見なされた。
事件そのものはかなり地味でつまらない作品です。殺人事件とその後の退屈な捜査やダイイングメッセージといった、その後の黄金時代の長篇小説のパターンで構成されています。こうしたミステリの鋳型のおかげで黄金時代にミステリが隆盛した反面、ミステリ=殺人事件というワンパターンな作品が量産されてしまったという悪しきパターンでもあるでしょう。『緋色の研究』『四つの署名』以来の、過去の因縁ものでもあります。煙草の灰の論文や、「神の恩寵なかりせば」といったホームズのキャラづけだけが見るべき作品でした。
「オレンジの種五つ」(The Five Orange Pips,1891)★★★★☆
――この事件はあまりに珍しく、結末も意外で、そのなかの二、三点はホームズにもわからなかったし、永久に解けることはないだろう。嵐の夜にべーカー街を訪れたジョン・オープンショウ青年は、財産を遺してくれたおじ・父親が次々と怪死するという事件に見舞われる。その直前にはオレンジの種が五つとK・K・Kの署名の入った手紙が送られていた。そして遂にオープンショウ青年にも手紙が……。
ホームズものではお馴染みの過去の因縁ですが、いわば因縁部分だけで構成されているのは珍しい。結果的にそのために、現に起こっている最中の事件、というサスペンスが醸し出されています。脅迫の手紙と実際の犯行の時差から犯人像を割り出す場面はいま読んでもスリリングです。ただし内容自体は平凡です。確かに子どものころ読んだこの作品で初めてK・K・Kを知りましたし、発表当時はどうだったのかわかりませんが、現代で〈謎の組織〉扱いするのはさすがに苦しい。いわゆる「語られざる事件」が目白押しです。
「唇の捩れた男」(The Man with the Twisted Lip,1891)★★★★☆
――妻の友人の夫であるアヘン中毒者アイザ・ホイットニーを連れ戻すため、アヘン窟に向かった私は、変装中のホームズに出会う。妻に目撃された直後に行方不明になったネヴィル・セントクレア氏の事件を捜査しているのだという。そのとき部屋にいた乞食が窓から川に突き落としたのだと警察は考えていた。
事件とは無関係であるワトスン夫妻の知り合いを追って、ワトスンがホームズと事件に遭遇するという、今までにないパターンが用いられています。そして久々に奇想の光る一篇です。ホームズも初めのうちは殺人を疑っていないからこそ種明かしの意外性もいっそう生きてくるというものです。ホームズだけでなく警察のブラッドストリート警部にもユーモアがあるところがいいですね。ホームズの推理は「五つのクッション」と「刻みタバコを一オンス」とあるだけで具体的には明らかにされていませんが、それが切れ味のよさをもたらしていると思います。
「青いガーネット」(The Adventure of the Blue Carbuncle,1892)★★★★★
――クリスマスがすんで二日目の朝、ホームズを訪れると、古帽子が椅子に掛けてあった。クリスマスの早朝四時ごろ、守衛のピータースンがけんかの仲裁をしようと駆けつけると、逃げてゆく男がプレゼント用の鵞鳥と一緒に落としていったものだという。帽子の持ち主を推理している最中、ピータースンが飛び込んで来た。「ホームズさん、鵞鳥が……」ピータースンは鵞鳥のえぶくろから出て来たという青く輝く石を見せた。
依頼人に対して見せるホームズの推理は自己顕示が強すぎてあまり好きではありませんが、この作品のように頭の体操的な推理なら、はったりを利かせてくれればくれるだけ楽しいものになります。帽子で始まりながら鵞鳥から事件が飛び込んでくるという意表を突いた展開も、その後ゴール=スタート地点への捜査がとんとん拍子に進んでゆくのも読んでいてテンポがよく楽しい作品です。「ボヘミア」「赤髪」「花婿失踪」「唇」、そしてこの作品と、〈犯人〉も印象深い作品は概して記憶に残りますね。この作品の犯人のように根っからの悪人ではなく魔が差した犯人というのも、この作品を印象深いものにしています。
「まだらの紐」(The Adventure of the Speckled Band,1892)★★★☆☆
――一八八三年四月のはじめ、ヘレン・ストーナーというご婦人が訪ねて来た。義理の父親であるロイロット博士は、インドから戻って来て妻が死に、ストーク・モーランの屋敷に引き籠もるようになってからいっそう偏屈になり、警察沙汰になりかけたことも一度や二度ではない。そしてちょうど二年前、ヘレンの姉が死んだ。「まだらの紐!」という謎めいた言葉を残して。
恐らくホームズ譚のなかで「赤髪」と人気を二分するであろう代表作です。「唇の捩れた男」ともどもホームズの最初の見込みがはずれた作品でもありますが、ちょっと思いつきで推測しすぎなのでは……。「唇の捩れた男」の場合はそれが殺人疑惑というそれなりに蓋然性も吸引力も高いものでしたが、「まだらのバンド」=「ジプシーの集団」にはさほど魅力を感じませんし、さしてミスリードにもなっていません。けれどそんなことも吹き飛ぶのは、現場でのホームズの鮮やかな推理の数々や、深夜の待ち伏せと「見たかい? え、あれを見たろう?」までの緊張感です。そしてまた、これだけ印象的な〈実行犯〉であるにもかかわらず、そんな実行犯の影に隠れない犯人の強烈なキャラクターも、魅力の一つでしょう。火かき棒や村まで届く悲鳴などのエピソードは子どものころ読んで以来、今でも覚えていました。
「技師の親指」(The Adventure of the Engineer's Thumb,1892)★★★☆☆
――顔見知りの車掌が連れて来た患者は親指を切断されていた。事故ではなく切り落とされたのだという。秘密厳守の条件で高報酬の水力圧搾機の修理を引き受けたハザリー氏だったが、馬車の外が見えないようにして連れられた先で、外国人の美女から「あなた逃げなさい」と囁かれた。
新潮文庫では『叡智』所収。素人のハザリー氏ですら鵜呑みにしないような取ってつけの理由ながらも、その先に何が待ち受けているのか、好奇心に導かれて体験する恐怖譚ですが、ある意味では終わった事件の〈被害者〉が相談に来るという珍しいパターンです。「唇の――」に引き続きブラッドストリート警部が登場。気のいいおっさんという感じで、レストレードやグレグスンとは違ういい味を出しています。
「花嫁失踪事件」(The Adventure of the Noble Bachelor,1892)★★☆☆☆
――プランタジネット王家とチューダー王家の末裔であるセントサイモン卿も、時代の波には勝てず領地以外には財産のないありさまだったが、このたびアメリカの大富豪の娘ハティ・ドーランと結婚することになった。ところが結婚式のさなかに花嫁が失踪してしまった。セントサイモン卿の昔の女が事件に関わっているとレストレードは踏んだ。
延原訳以外では「独身の貴族」などの訳題で知られる作品です。内容をまったく覚えていませんでしたが、読み返してみても魅力に乏しい作品でした。結婚と元カノがらみのトラブルという「ボヘミア」同様の週刊誌ネタも盛り込まれていますが、貴族の格から言っても相手の女の格から言っても(ということはつまりネタ的にも)「ボヘミア」に遙かに劣っています。セントサイモン卿が小物なのは敢えてそう書いているのでしょうけれど、「すべて世間に明らかにするのがセントサイモン卿のためには一番いい」などというわけのわからないことを女と昔の男だけでなくホームズすら主張しているのは、少なくともわたしの感覚ではとうてい理解できず、「寛大」も何もありません。事件も登場人物もどちらも魅力に乏しく、光るところといえば「ご名論に従えば、すべての人の肉体はその人の箪笥のそばに在るということになりますね」というホームズのレストレードに対する皮肉くらいでした。
「緑柱石の宝冠」(The Adventure of the Beryl Coronet,1892)★★☆☆☆
――さる高貴な身分の方からの依頼で、宝冠を担保に金を貸した銀行家のホールダー氏は、金庫に宝冠を仕舞っておくのが不安になって、肌身離さずにおこうと考え宝冠を家に持ち帰った。だがその夜、物音に気づいたホールダー氏が目を覚ますと、宝冠を手にしている息子の姿があった。
これも『叡智』収録。高貴な人物と高価な宝冠という取り合わせは、あるいは当時の読者になら派手に映ったのかもしれませんが、いま読めば地味な盗難事件に過ぎませんし、そもそも事件の謎やホームズの推理よりもホールダー氏の頭の悪さが際立っています。宝冠を家に持ち帰ったり、それを家族にべらべらとしゃべったり、一足跳びに息子を犯人だと信じ込んだり、いったい何がしたかったんでしょうね。。。
「椈屋敷」(The Adventure of the Copper Beeches,1892)★★★★☆
――ヴァイオレット・ハンター嬢の依頼は、家庭教師を続けるべきかどうかというものだった。青い服を着せられたり窓際に座らされたりといった奇妙な希望を聞きさえすれば破格の報酬を受け取れた。だが陽気なルーカッスルさんと無口な奥さんの間には残酷な息子がおり、またトラーという飲んだくれの使用人がマスチフ犬を飼っていた。
高額な報酬によって本来の目的を隠すという点では「赤髪」や「技師」と同じなのですが、前記二者がどこか奇妙な味のするのに対して、この話は(ルーカッスルの運命は別にして)実際にはさほど残酷な内容ではないのですが道具立てが不気味で、ゴシックホラーの趣がありました。依頼人へのホームズの献身ぶりに、もしや恋愛感情ではないかとワトスンが邪推する場面があります。短篇集を通して読むと「ボヘミア」で始まり「椈屋敷」で終わるという、あるいはドイルはホームズの恋愛に関して何かしらの目論見があったのではないかと思うような思わせぶりな構成になっていました。「家庭教師をすべきかどうか」という脱力ものの依頼や、「粘土がなければ煉瓦は作れない」というホームズの台詞など、作品のトーンとはまた別の印象深いシーンもある作品です。
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