「進々堂ブレンド 1974」★☆☆☆☆
――ぼくの名前はサトル。京大を目指して浪人中だ。京大のそばに「進々堂」という珈琲店があって、御手洗さんという人から有意義な話を聞けるのだ。風邪気味だったぼくが借りた喉スプレーは、懐かしい味がした。S市に住んでいた高校生のころ、ぼくはフィッシャーマンズという飲食店の女性に憧れていた。
気持ち悪い!の一言に尽きます。浪人生と大学生の会話とは思えない甘えん坊と説教じみた会話。説教じみたといっても後の御手洗のハイテンションな説教ではなく、「そうか、つらいところだね、高校生には」といったような、むりやり親身になろうとしているような気持ちの悪い言葉遣いです。書いているのがおっさんなのだから、おっさんぽくて当然なのですが、ミステリーとしてはコケても物語そのものは面白かった島田荘司すら、この作品からはいなくなってしまいました。
「シェフィールドの奇跡」★☆☆☆☆
――ギャリーは脳性麻痺を持っていて、話し方も動作もゆっくりしていた。全身に筋肉がついていて、力はありそうだったが、ルールが複雑な競技はできず、速く走るのも無理だったため、重量挙げを選んだのだと言っていた。でも当時のイギリスでは、障害者にコーチしてくれる人なんていなかった。父親のコリンが地元のコーチに直訴しに行ったが……。
まあ確かに「奇跡」とは書いてますが……こんな安っぽい話を書くなんて。。。何だよ三百五十ポンドって。せめてもうちょっとはひねってほしい。「お前に持ち上げられるもんか!」「持ち上げられるさ!」シャッター、ガシャーン! シャッターの閉まる重さちょうど三百五十ポンド。。。。。。。。。。。。。
「戻り橋と悲願花」★★☆☆☆
――彼岸花を見て、御手洗さんがぼくに聞かせてくれた。戦争中に日本人に非道い目に遭わされた韓国人の話だった。彼岸花の球根には毒がある。ビョンホン少年は姉を乱暴したササゲを殺そうとしたが……。
比較的物語を語りやすい長めの作品のためか、得意の日本人論が披露できるためか、御手洗の饒舌にも脂が乗って、彼岸花の話も、風船爆弾の話も蘊蓄が楽しく、軍需工場の朝鮮人姉弟の話も途中までは面白い(途中からベタベタのお涙頂戴になってしまいますが……)。というより、御手洗の語りではなく、ほぼ三人称に近いのが面白さの原因なのでしょう。サトルとのウザイ会話が短いのもいい。驚くほどの真相ではなく、まあ普通によくあることだと思います。
「追憶のカシュガル」★★☆☆☆
――カシュガルではぼくは漢民族だと思われて、打ち解けてもらえなかった。仲良くなれたのは、ナン売りの少年と、きれいな英語を話す白いひげの老人だけだった。不思議な老人でね。教養は高そうなのに浮浪者のように暮らし、老人に敬意を払うはずのモスリムからもひどい扱いを受けていた。
桜についての蘊蓄までは面白かったのですが、そこから軍国主義〜シルクロードの日本人――となるとついていけませんでした。「戻り橋と悲願花」では饒舌だった御手洗も、また無個性で面白味のない人間に戻ってしまっています。
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