『魔法はつづく 短篇集』オガツカヅオ(リイドカフェコミックス)★★★★★

 オガツカヅオ待望の短篇集。主に『シンカン』に掲載された作品を中心に収録されています。扉をめくれば「これから特別に魔法をかけてやる」というエピグラフと、妖精のイラスト。

「はじめましてロビンソン」(2011)
 ――漫画化のアシスタントをしているケイコと学が医師に相談に訪れた。二人はトンネルの陥没事故で奇跡的に助かったが、学は事故の後遺症で身体が徐々に透明になる「透明病」にかかってしまった。

 漫画家がスパートの時にかけるスピッツ「ロビンソン」がテーマ曲。敢えて作中では流れていない部分の歌詞に「ありふれたこの魔法でつくり上げたよ」や「二人だけの国」という、この短篇集や作品に相応しいフレーズがあります。著者得意の反転構造ですが、それだけで終わらずにハッピーエンドにつなげられていました。学の一人称は「僕」なので、最後の「私たち」の語り手はケイコということでよいのでしょうか? クラゲの先生はゲストキャラにしては随分と個性的ですがこれ一作きりの登場でした。
 

「かえるのうた」(2010)
 ――家出した父親が15年ぶりに帰って来た。なぜか今カノののりちゃんまで連れて、ユキとけんごと四人でカラオケに来ている。ユキはそんな状況に我慢がならなかったが、父親はみんなで「かえるのうた」を歌おうと言い出した。嫌がるユキの前にケータイが差し出され、ケータイからも同じ言葉が聞こえて来た。

 何度見てもタイトルページの演出がかっこよいです。ただ登場人物がばらばらにポーズを取っているだけのように見えて、ちゃんと意味がありました。ケータイの用いられ方もこれしかないというところです。みんなで歌える歌だからこそです。『りんたとさじ』や『ことなかれ』のようなシリーズものとは違い、探偵役が解決して終わる必要がないので、いくつでもひねりを加えられるのはノンシリーズのよいところだと思います。
 

「猫のような」(2011)
 ――おばあちゃんから電話で呼び出されたタツトは、猫のガルに導かれるようにして、排水溝に閉じ込められてしまった子どもを救助した。おばあちゃんの代わりに電話をかけた看護士によると、おばあちゃんには外で起きていることが見える――正確に言うと猫のガルに逆憑依しているのだという。

 タツトの目から見たガルの姿や、おばあちゃんが亡くなる場面など、必ずしも新しいとは言えない表現が、完璧とも言えるタイミングで効果的に用いられています。個人的に著者の一番の魅力は、「味の人」「駅の人」「立ち枯れ」などに見られる独特の感性だと思っていますが、こういった手堅い表現でも一流であることを見せてくれます。
 

「こくりまくり」(2015)
 ――俺にはうっすら予知能力がある。木目米《キメゴメ》さんから告られるのもわかっていた。「俺の好きなのは……霊の見える子だ」。7年後の今、約束通り霊が見えるようになったキメゴメさんから、ふたたび告られている。

 本書のなかでは描き下ろしを除けば最新作、『ネムキ・プラス』2015年5月号に掲載された作品です。著者にはめずらしく、かなり明らかなコメディタッチで描かれています。読み返してようやく気づきましたが、キメゴメさんは霊が見えるようになっているんですね。けれど絶対に名倉とつきあうことは出来ない。名倉のタイプになれたのは、まさに愛の力ゆえなのに……。そう考えるとほんとうに哀しい話です。
 

「しあわせになりませう」(2010)
 ――結納を明日に控えたみのりは、たかしに告白をする。自分には生霊が見えるのだと。ヒカル兄さんと亮二さんとキッコさんは親友だった。兄たちが高校生になったころ、亮二さんが頻繁に事故に遭うようになった。みのりにだけはそれがキッコさんの生霊の仕業だとわかっていた。

 大きな加筆修正が加えられています。冒頭に2ページ加えられたことで、みのりの身にも事故が起こっていることがわかりやすくなりました。一方で、生霊の正体を明らかにしてしまったのは失敗だと思います。二人の結婚を知っている人間が押入に隠れて現場を覗く必然性がなく、何も知らないキッコの場面との対比がうわべだけになってしまっていました。
 

「隣りのゾン美さん」(2012)
 ――高校生のじんこはクラスメイトの鵜納真魚子にアルバイトを世話をしている。魂が抜けて身体だけが残っている「ゾンビ」と呼ばれる人の形を保つことが仕事だ。魂がないため放っておくと人の形が崩れてしまうのだ。

 『漫画TIMES』2012年9月14日号掲載。かなりの修正が加えられています。ゾンビの性別が中年男性から女子高校生になり、生前バレエをやっていたことになり、じんことマナの服装も制服になったことで、形を保つためには生前の記憶が大事という設定が活きていました。女子高校生になったことで、タイトルも「ゾン美」でおかしくなくなりました。ほかにはビジネスの内容が心臓売買からサンプルに変更されていたり、なぜかじんこの苗字が雀目から小森に変更されています。仕事に臨むときには眼鏡を眼帯に変えるマナというキャラもかなり個性的でしたが、今のところこの一作のみの登場となっています。
 

「千年蟻と一日おかぁさん」(2014)
 ――千年に一度だけ地上に現れ繁殖活動をする千年蟻。3歳になるミキはなぜかこの話が大好きだった。次に思い出したことは、ミキがくるくる回ってたけど、あれは……私も回ってたんやなぁ。目を開けると15歳になったミキがいた。どうやらバスにぶつかって記憶喪失になったまま12年がたっていたらしい。

 『ネムキ・プラス』2014年9月号掲載。17年蝉がいるくらいなのだから、千年蟻に類する伝説があってもおかしくないかも……と思わせておいて、とんでもない真相が待ち受けていました。タイトルに「おかぁさん」とあるように、最終的な語り手は娘のミキが務めています。どちらかというと母娘よりも夫婦の話だったと思うのですが、娘視点の話にしたのは生々しくしないための工夫でしょうか。
 

「よふさぎさま」(2010)
 ――夜道を走っていると知子の前にさまざまなものが立ちふさがるように現れた。親友の亜矢子によれば、それは「よふさぎさま」といって女の運命が変わる予兆だという。その言葉通り知子の節目節目でよふさぎさまは現れた。

 著者ブレイク(?)のきっかけになった作品で、『ネムキ・プラス』2017年11月号にも再録されています。
 

「魔法はつづく」(1996)
 ――物事にはリスクがつきものだ。えいじといとこのじんこは6歳と11歳のころ人を呪い殺したことがある。えいじのアトピーもじんこの円形脱毛症もあの呪いのリスクだと信じてしまった。あのあと引っ越していたじんこが7年ぶりに戻って来た。

 短篇集企画者のサイトの文章によれば、『漫画アクション』1996年9月号に掲載されたものが、全面的に描き直されています。初出を読んだことがないので絵柄以外にも大きな変更点があるのかどうかは不明です。野良のヒクイドリが存在しているという時点で、すでに世界は魔法にかけられているようにも思えます。じんこが仇に再会した時に感じたのは復讐心よりもショックだったでしょうし、えいじに頭を見せたのはリハーサルなどではなく呪いに巻き込んでしまった贖罪の気持ちでしょう。この作品に於ける魔法とはえいじの言葉を借りれば「魔法ごっこ」です。じんこがえいじに対して本音を見せないのも、本当のことではない=ごっこであると捉えれば、なるほど魔法はつづいています。かつて本気で人の死を願ったはずのじんこが、今は死に対してけろりとしたひとことを口にすることに、タイトルとは裏腹に魔法が終わってしまったようで切なさを感じます。
 

「こくりまくれ」(2018)
 ――とうとう成仏しちまいやがった。クソが……。気がつけば3年がたっていた。夢を見た。名倉にはじめて告った日だ。あのとき無理矢理チューしてやったんだ。あの時のプリクラは宝物だ。

 描き下ろし。「こくりまくり」続編です。「こくりまくり」をきっちり完結させるだけでなく、冒頭のエピグラフとカバーともつながり、最終話に相応しい作品でした。
 

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