[創元推理M]『Jの少女たち』太田忠司(創元推理文庫)★★★★☆
阿南シリーズ第二作。
プロローグに当たる一人の少女の死――。
それに続くのは、阿南が警察をやめて工場で働いているという衝撃的な場面です。そこに現れた私立探偵・藤森涼子から、前作の事件で知り合った細野孝昭少年が失踪したことを阿南は知らされます。
人間は間違ってはいけない。阿南のその言葉を忘れられずにいた少年が、相談したいことがあって阿南の行方を捜していたと聞かされます。
もし間違ってしまったら? 間違いを正すのに、罪を犯さなくてはならないとしたら? 俺はいま、別の人が間違いを犯すのを止めようとしているんです。
それに「J」のことが理解できないです。女の子はどうしてあんなものが好きなんだろう?
事件の構図自体はわりと早い段階で明らかになります。少なくとも、おおかたの読者には見当がつけられるのではないかと思います。
Jというのが「JUNE」の略すなわち早い話がBL同人誌のことであるとわかれば、冒頭で死んだ同人少女と失踪した少年と失踪した同人少女のあいだに、現実ならいざ知らず小説の世界で無関係のはずはありませんから。
自分が間違っていると認めることが怖くて、別の価値観のものを批判しようとする――オタクの弱さであり攻撃性でもあるこうした特徴は、けれどオタクだけのものではありませんでした。
阿南と涼子が聞き込みを始めた失踪者の親や事件の関係者たちは、みな一様に責任を他者に転嫁しようとするのです。
人間は間違ってはいけない。阿南シリーズを象徴するこの言葉が、この作品では、間違いを認めることのできない現代人たちをあぶり出す社会批評にもなり得ていました。
本書225ページには、親の生きる背中を見て育った中年タレントが、子どもに生きざまを見せない現代の親を批判する場面があります。それに対し阿南は、今の世の中にはそもそも親が生きざまを見せられる機会がないと持論を述べます。親は子どもとは別の場所で働き、その結果を家庭にもたらすだけなのだから、昔はあえて教えようとしなくても自分の生きざまを見せることで子どもに伝えることができたけれど、今は子どもに伝える方法から模索しなくてはならない。
親本発表の1993年の時点でこうした問題を見抜いているのは、作家ならではの慧眼と言えるでしょう。問題は今も古びていないどころかますますアクチュアルになっています。
阿南さんは「人間は間違ってはいけないんだ」と言いましたよね。でも、間違ってしまったら、どうしたらいいのでしょうか? 俺はそのことについて、阿南さんと話したいんです──三年前にわずかに会っただけの少年は、阿南にそんな手紙を残して失踪した。阿南は私立探偵の藤森涼子とともに少年の行方を追う。鮮烈な余韻を残す著者の初期最高傑作、ライフワーク・シリーズ第二弾。(カバーあらすじ)
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