桜庭一樹読書日記その3。
ジョン・サザーランドの「謎」シリーズ(pp.12~17)は、古典のペーパーバック用の気軽な解説を集めたものだったんですね。
近藤史恵は好きな作家なのだけれど、時代小説『にわか大根』はいまいちでした。が、12ページのK島氏による註釈によれば、「このシリーズを読んで、学生の頃には意図がよくわからなかった泡坂妻夫『妖盗S79号』の趣向のひとつに、なんとなく納得がいった気がしました」とあるので、まずは『妖盗S79号』再読。意図がわからなかったら猿若町捕物帳シリーズも再読したい。
有吉が証明しているように、センスのいい悪口はむしろ気分がいい。イアン・マキューアン(pp.23~25)は「打ちのめされた」「すごい」のも事実だし、「早川から変態作家として売り出されましたが」(厳密には悪口ではないけれど)というのも同じくうなずけてしまいます。
太宰治と松本清張と大岡昇平が同い年と知って驚きました(p.40)。「太宰は三十代で夭逝。清張は四十代からだから」直接の接点はない模様。そしてK島氏が大岡昇平『事件』を「法廷推理小説としても文学的推理小説としても、並ぶもののない高みに到達し得た作品」と大絶賛です。
山本容子が自分の仕事とカポーティ作品を「細部は震えているような繊細さがあるけれど、全体としては暴力的。しかし、じつはやっぱり繊細」(p.69)と評している文章が紹介されていて、その的確な評現にうなりました。
内田けんじ監督『アフタースクール』は、「海外サスペンス好きにはたまらない二転三転四転五転の活劇」(p.74)だそうです。こんなに言われたらハードル上がるけど、見てみたいなあ。
佐藤雅彦編『教科書に載った小説』は、よくある再学習系の本ではなく、本当にすごい傑作が詰まっているようです(pp.75~80)。ここから傑作短篇の話になります。三浦哲郎「とんかつ」、永井龍男「出口入口」、広津和郎「ある夜」、横光利一「蠅」といった収録作のほか、モーパッサン『脂肪の塊』、佐藤亜紀『ミノタウロス』、永井龍男「胡桃割り」、松浦寿輝『幽』、〈アンソロジー 人間の情景〉、大坪砂男『天狗』、中井英夫『幻戯』『とらんぷ譚』、永井龍男「青梅雨」、安岡章太郎「ガラスの靴」、藤枝静男「空気頭」、坂口安吾「紫大納言」。
恋愛の話が多い。桜庭一樹『ファミリーポートレート』「恋は、記憶の中に仕舞われてる。」を読んだ担当さんが口々に「恋がしたくなった」そうです。河出書房ムック『倉橋由美子』巻頭対談でも、川上弘美が「恋が怖くなって、恋愛したくなくなるのがほんとの恋愛小説」のような発言をしていたそうです。(pp.93~95)
p.113『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』は、「過去を整理して、物語化してるだけじゃなくて、なぜだか(なぜってセンスだろう)ファンタジー化していて濁流の如く語っていた。自分史にして、偽史にして、風俗文化史にして、無敵の地下世界ファンタジー。」とあって、すごく面白そう。p.127では古処誠二をSFとして読んでいたし、こういう読み方はとても参考になります。
現地でなつかれてるオスカー・ワイルドと『平凡パンチの三島由紀夫』(pp.173~174)。
『砂糖菓子の弾丸』の藻屑が、『私の男』の花になって、『ファミリーポートレイト』のコマコになったそうです(p.179)。
山本夏彦、名前だけは知ってますが、列挙されたタイトルだけ見ても、めちゃくちゃ面白そうな人です(p.187)。
p.192『バナナは皮を食う――暮しの手帖・昭和の「食」ベスト・エッセイ集』は、ここで紹介されなければ気になることもなかったろうな。
「『真鶴』(川上弘美)と『半島』(松浦寿照)と『死都ブリュージュ』(G・ローデンバック)はべつの小説だけど、舞台はじつは同じで、そこは水の中にあるような追憶の都なんだ、ある年齢になればみんな行けるけど、わたしはまだそこにたどり着いてないのだ、と思ったことがあった。」(p.289)。これもそうした読み方に目から鱗が落ちる一方、著者は永遠の文学少女(少年)なんだなあと何だか納得。
巻末には三村美衣との対談。これまでの作品にあった、変な子と普通の子の組み合わせの片方を、男(お父さん)にしたのが『私の男』なのだとか(p.324)。びっくりするような裏話ですね。
三村氏は高校時代読書部だったそうですが、米澤穂信の古典部みたいなノリで読書部に入っていることに、これまたびっくり(p.332)。「フィクションというものは、それ(=ものすごい現実)を力ずくで無理やり超えねばならんのだ」(p.235)って、こんな現実に挑まなくてはならない創作者には頭が下がります。
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