『日時計』シャーリイ・ジャクスン/渡辺庸子訳(文遊社)★★★★☆

 『The Sundial』Shirley Jackson,1958年。

 ハロラン家の長男ライオネルが死んだ。これで一家の実権は現当主の妻オリアナが握ることになった。当主のリチャード・ハロランは足も萎え痴呆が始まっている。オリアナが殺したのだ、とライオネルの妻メリージェーンは言う。娘のファンシーも無邪気にそう繰り返す。オリアナは夫リチャードと、血の繋がっている孫のファンシーを除いて、義妹のファニーおばさん、嫁のメリージェーン、浮気相手(図書室係)のエセックス、ファンシーの家庭教師ミス・オグルビーを屋敷から追い出そうとする。

 そんなとき、ファニーおばさんが奇怪な体験をする。朝の散歩中、ファンシーを追って行くと怪しい庭師を見かけ、自宅の庭で迷子になってしまったのだ。光の差さない暗がりのなか、死んだはずの父親の声が予言する。「危険が迫っている。屋敷にいれば安全だ」と。それを聞いたオリアナは追い出しを保留にし、友人ウィロー親娘ともども屋敷で過ごすことになる。

 短篇集『くじ』(1949)で地位を不動のものにしたシャーリイ・ジャクスンが、『丘の屋敷(たたり)』(1959)、『ずっとお城で暮らしてる』(1962)の少し前に刊行した長篇作品に当たります。

 のっけから登場人物たちが悪意を隠そうともせず応酬を繰り広げ、そのあまりにも迷いのない攻撃に、読んでいるこちらは少々たじろいでしまいます。ある意味では潔いので、いっそ清々しいとも言えますが。

 そんなギスギスした雰囲気のなか、ファニーおばさんが迷い込んでしまった世界で、大理石の彫像がどれも温かかった、という描写によって、一気に作品の空気が冷え込みます。お家騒動のドタバタから、一瞬にして世界の終わりに……。

 けれどそれも束の間、舞台はふたたびお家騒動に移り、それどころか金目当ての新しい火種(オーガスタ・ウィロー夫人、アラベラ&ジュリア・ウィロー姉妹)さえ舞い込んでくるのです。

 これだけでは終わりません。さらに本書が見せる顔は変わります。104ページ第5章からは、“予言”を信じ込んだファニーおばさんとミス・オグルビーが、来たるべき終末に向けて買い込みをするだけに飽きたらず、役立つ人材のスカウトまで始めてしまうのだから、途端にコメディ色が強くなります。このあとどういった内容に転ぶのか、まったく予想がつきません。

 実際、ドタバタになるかと思われたあとも、針だらけの人形や濃霧のなかでの迷子など、随所で不気味な要素が顔を覗かせ、読者を安心させてはくれませんでした。

 自分たちが“選ばれる”のは当然――とでも思っているからなのか、終末ものだというのに悲愴感はありません。いえ、終末が本当に訪れるのかどうかもわからないのですが……。ここに描かれているのは、終末を前にしてパニックに陥る人々の姿ではなく、冷静いえ貪欲に、来たるべき世界を待ち構えているふてぶてしい人々の姿でした。こうした“世界の終わり”と“マイペース”とのギャップが笑いを生み出しているのでしょう。身勝手な登場人物ばかりが生み出すシニカルな笑いに満ちた作品でした。

 協力して生き抜こうという姿勢の見られないまま、銘々が勝手なことばかり口にしている場面で小説は終わります。その瞬間から、誰もが主人公になったようです。
 

  


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