『若かった日々』レベッカ・ブラウン/柴田元幸訳(新潮文庫)★★★★☆

 『The End of Youth』Rebecca Brown,2003年。
 

「天国」(Heaven)★★★★☆
 ――最近、天国のことをよく考える。あるバージョンでは、天国は庭だ。菜園には年配の女性がいる。もうひとつのバージョンでは、天国は野原だ。鴨狩りの服装をした男がいる。

 天国の描写から語り起こされ、最後にそれが、若かったころの、元気だったころの両親の姿だと知らされる、その構成にぐっと来ました。元気だったころのままで、永遠に暮らし続けてほしいものです。
 

「見ることを学ぶ」(Learning to See)★★★★☆
 ――生まれたとき、私は右目が斜視だった。何が見えたのか、覚えていない。自分の中を見ていたのか? 二歳になると、私は眼鏡を与えられた。ちゃんと見える方の目にはパッチをかけた。こっちで見ないようにすれば、見えない方の目が嫌でも前を向くようになるだろうというわけだ。

 若かったころのものの見方を、覚えている人はもちろん、見方が違っていたであろうことも忘れている人の方が多いのではないでしょうか。斜視だったからこそ、覚えていられたのかもしれません。
 

「暗闇が怖い」(Afraid of the Dark)★★★★☆
 ――小さかったころ、母は毎晩私を寝かしつけてくれた。私は何度も、立ち去る前にいろんな物を調べてほしいと母に頼みたくなった。「それ」がクローゼットから出てきたら大声を上げるのだ。そうすれば母が来て追い払ってくれる。

 幼いころの空想から、頼もしかった母――そして大人になってからは、それがスライドされることで、成長と喪失と時の流れが浮かび上がります。
 

「魚」(The Fish)★★★☆☆
 ――十四歳のとき、父に会いにいった。父は新しい奥さんに、自分が戦争中に立てた手柄の話をしていた。父が嘘をついていることをわかっていると知らせたかった。「黙れ。黙るんだ」。それから釣りにいった。「朝飯に焼こうか」「これ、戻していい?」

 母親の思い出とは違い、父親の記憶は決して優しくはありません。英雄自慢、アウトドア……何もかもが違います。
 

「ナンシー・ブース、あなたがどこにいるにせよ」(Nanthy Booth, Wherever You Are)★★★★☆
 ――子供のころ、私はほぼ毎年ガールスカウト・キャンプに行った。カウンセラーはたいてい、帰省中の女子大生だった。本名ではなく「キャンプネーム」で呼んでいた。ある夜、ポーチに座っていると、カウンセラーのスカフが近づいてきた。

 現在の自分を形作ったのは、何も両親だけではありません。この作品と次の「A Vision」は著者の性的嗜好を決定づけることになる二人の重要な人物が登場しています。
 

「A Vision(A Vision)★★★☆☆
 ――テキサスの学校には体育の時間にチアの採用テストがあった。私にはチャンスがなかった。チャンスなんか欲しくなかったからだ。テストを受けなかったのは私だけだった。テストのすぐあとのこと、ミス・ホプキンズが私のところにきた。

 目覚め(自覚)に続いて、経験が描かれます。「ジャンヌ・ダルクのように幻視《ヴィジョン》が訪れるのを待った」という表現が美しい。
 

「煙草を喫う人たち」(The Smokers)★★★☆☆
 ――私の家族はかつてみんな煙草を喫っていた。父がいなくなってしばらくして、母はフィルターを使い出した。母はフィルターのヤニを取るのが上手かった。父が煙草をやめたのは、三人目の妻と暮らしていて医者から、煙草を喫わない奥さんもガンになる可能性が高いと言われたからだった。

 煙草の記憶を通して見つめる、両親と自分(と兄姉)の記憶です。
 

「自分の領分」(An Element)★★★☆☆
 ――私の父は海軍軍人で、仕事はずっと水の上だった。お金がたまるとすぐ、父は自分のボートを買った。乗せてくれとせがんだが断られた。「ボートはおもちゃじゃない。子供の乗り物じゃないんだ」はじめは母も不服そうだったが、どのみち母は水が怖いのはみんなわかっていた。

 続いては水にまつわる記憶を通して。
 

「息」(Breath)★★★★☆
 ――私たちは母の家で、母が息をするのに耳を澄ました。息が聞こえるうちは、まだ生きていることがわかった。母が歩いたのは何週間か前のことだった。一人で立ったのも、固形物を食べたのも、何週間も前のことだった。

 今回は音に焦点を合わせて、母の死が語られています。息の音、機械の音、……文章で音や空間やその瞬間が再現されているかのようです。
 

「母の体」(My Mother's Body)★★★☆☆
 ――母が亡くなる何日か前に、私は姉に、母さんの体を一緒に整えてあげたい、と言った。母の家で、私たちはしじゅうひそひそ声で話すようになっていた。

 タイトル通り、ずばり体を通した記憶です。
 

「ある戦いの記録」(Description of a Strugle)★★★★☆
 ――私はまたそれを言葉にしようとしている。それは変わってはいないが私のなかからはなくなった。なくなって、それから、私にはその必要だったから、間違った形で記憶した。

 なくなってしまった「それ」をめぐる考察。冒頭にあるように、それを言葉にしようとする過程そのものといえるかもしれません。
 

「受け継いだもの」(Inheritance)★★★★☆
 ――私は彼の体つき、血色、ウェーブのかかった髪をしている。彼女からは手、肌、体を揺らす癖を受け継いだ。中学生のとき、母がいきなり私をどなりつけた。爪の切り方が「まるっきりあんたの父さんと同じ」で気が狂いそうになるのよ、と母は言った。

 ふたたび原点に立ち返り、母と父、そして自分とのつながりに戻ります。「私は恐れ、それと同じくらい欲する」という言葉は、あらゆる親子関係の真理を突いていると思います。
 

「そこに」(There)★★★★☆
 ――もはやそこにないもの。かつてあったけれどもういまはないもの。口に出すことは喪失の叫びだ、告白だ。それは後悔だ。あなたは言う、戻ってきて、戻ってきて。だが死者たちにそんなことはできない。

 戻れない日々と人へ贈る言葉。「天国」で始まり「そこ」で終わります。
 

  


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