『カタブツ』沢村凜(講談社文庫)★★★★☆

「バクの見た夢」★★★★☆
 ――ふたりが二度と会わないためには、どちらかが死ぬしかないと、結論が出た。心中をすることも、お互いの配偶者をあざむいて密会をつづけることもできない道雄と沙織里だから、そう決めたのだった。デパートの玩具売り場で娘に尋ねられた道雄に、それがバクのぬいぐるみだと伝えたデパートの店員が沙織里だった。

 滅び行く奇蹄類にみずからを重ね合わせる二人の恋の行方が描かれていますが、会わずにはいられない、けれど他人に迷惑をかけないようにしたい、と考えた結果、どちらかが事故死に見える自殺をしようという結論にいたる、二人のちょっと奇妙な考え方に惹かれます。
 

「袋のカンガルー」★★★☆☆
 ――また破局したのか亜子が転がり込んで来た。そんなとき英恵から電話があり、日曜日に動物園に行きたいと言われたが、社長から頼まれた仕事が入っている。

 カンガルーの袋ではなく、袋の(なかの)カンガルー。羊水のなかにいるように落ち着ける場所という譬喩です。依存されることに依存してしまっている男。だからこそか、依存しない女に惹かれたのでしょうに……。
 

「駅で待つ人」★★★★☆
 ――なぜ、あんなことをしたか、ですか? さあ、わかりません。ぼくは、駅の改札口が好きなんです。待っている人を観察するのが、ぼくの趣味なんです。あの日、理想的な“待っている人”を見つけたんです。セリヌンティウスの表情。彼女はただ一心に改札を見つづけていたのでした。

 二つの歪んだ愛の形が、軽薄な男などより、どちらもよほど純粋に見えてしまいます。良くも悪くも他人への興味というものが、現代には欠けているものだからかもしれません。
 

「とっさの場合」★★★★☆
 ――息子が死ぬ夢を見た。崖から岩が落ちてきたとき、私はとっさに元輝を助けに動けるだろうか。私は受話器を取った。「留奈、助けて」私は留奈に事情を説明した。「それはまたややこしい強迫神経症ねえ」

 とっさのときこそその人の本性が出る、とはよく聞く言葉ですが、そんな言葉に囚われてしまった人の話です。岩が落ちてきたときに動けずに固まってしまうというのが、状況によっては必ずしもマイナスというわけではない、という事実はどことなく昔話の教訓みたいですが、昔話のようなものにこそ真理は宿っているものなのでしょう。さらに、実際には岩が落ちてくることなどはまずないのですから、「とっさ」は別の形で訪れました。これこそ現実的な「とっさ」です。
 

マリッジブルー、マリングレー」★★★★☆
 ――多栄子の両親の住む福井に、結婚の挨拶に向かう途中、昌樹は一度も見たことのないはずの日本海の景色に既視感を覚えた。実際に見たとすれば、三年前のあのとき以外にない。昌樹は交通事故に遭い、事故前の二日間を含む記憶をなくしていた。

 適切な言葉が見つからなくて会話を無視した形になってしまうほどの、優柔不断でことなかれの人間が、人を殺すようなことがあるのか――。かつての上司に言われた結婚観にしたがえば、昌樹にとって運や縁とは――。本性は人を裏切らないものなのか、縁は切っても切れないものなのか、どちらの答えも結末に待ち受けていました。
 

「無言電話の向こう側」★★★☆☆
 ――取引先の従業員だった友人の樽見は、いつでも揺るぎない人間だった。毎週週末の決まった時間に無言電話をかけられても平然としていた。老人に気づかず電車内で話し込んでいた若者に席を譲らせた。誰もが樽見のような人間だったなら、友愛荘のような事件も起こらなかっただろう。助けを求めた女性が住人に見て見ぬふりをされて殺された事件だ。

 揺るぎなくいられること自体が難しいことですが、そんな人間がポリシーとは違う行動を取っていたとしたら……? 面白い謎ではありますが、「なぜ?」に注目すると、真相は拍子抜けしてしまいます。
 

  


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