綾辻行人・伊坂幸太郎・小野不由美・米澤穂信それぞれの一押しと、第二第三候補のなかから綾辻・伊坂が相談して決めた二篇を収録。
「依子の日記」(1980)★★★☆☆
――殺人。私から夫までも奪おうとしているあの女を殺害する以外にもう残された道はない。辻井薫は東京の出版社の人間だと名乗った。ある朝、私は夫と彼女の情事を見てしまった。だが出征前にほかの男と関係を持ったことを脅され、私は彼女に屈した。そして二人は私の目の前で情事を続けた。
二人の相談による選出。『変調二人羽織』所収。読者を騙すためにここまでするか――という企みが、単に読者を騙すためだけではなく作中人物による作中人物への騙しとして構成されているのは、さすがというべきです。複数の男女による愛憎劇がきっちりとはまっています。
「眼の中の現場」(1992)★★★☆☆
――妻の美那子が駅のホームから落ちて死んだ。一か月後、岡村の許に倉田準一と名乗る男が現れた。妻の遺書にあった浮気相手の名前だった。倉田は岡村の知らない美那子の一面を暴き立てたあと、美那子には死ぬつもりはなかった、あれは遺書ではないと断じた。「俺が殺したというのか」岡村がなじると、「そうは言ってません」と答えた。
伊坂一押し。『紫の傷』所収。作中人物による作中人物への騙しと男女による愛憎劇という点では「依子の日記」と大同小異ですが、この作品は復讐(?)と観念の殺人の一石二鳥を狙った騙しに特徴があります。登場人物全員が揃いも揃って身勝手すぎるので、全員が不幸になるのは自業自得だとも思います。
「桔梗の宿」(1979)★★★★★
――娼家の裏露地に沿って流れる溝川から何かを掬いあげるような形に右腕をさし伸べて、その死骸は倒れていた。「一銭松」と呼ばれる客引きだった。右手には白い桔梗の花が握られていた。菱田刑事と私は一銭松が事件直前に入ったという娼家・梢風館を訪れた。一銭松が帰った直後に帰った福村という客が怪しい。福村の相手をした鈴絵という娼婦の部屋には、果たして露台に白い桔梗の鉢があった。
小野一押し。『戻り川心中』所収の定番です。花葬シリーズ。すごい。「とあるパターンの嚆矢」という小野不由美のコメントがあり、作中の前半ですでにそのパターンの固有名詞も出されているのに、そのパターンだと気づかせないのは、巻末対談で綾辻・伊坂両氏が述べている通り、連城作品に特有のマジックだと思います。場末で虐げられて生きてきた鈴絵や顧みられずに生きてきた矢橋刑事だからこそ、このパターンがいっそうの効果を上げていました。
「親愛なるエス君へ」(1983)
綾辻氏偏愛の一篇ですが、わたしにはよさがよくわかりません。男女や家族がテーマになっていない分、より作り物感が強いというのもあるかもしれません。
「花衣の客」(1983)★★★★☆
――死ぬ前にもう一度あの朧月の茶碗を見たいという板倉の葉書に応じて、紫津は母が死ぬときに着ていた桜の裾模様の着物を着て病室を訪れた。母が死んだ三十八になり、板倉と一緒に死のうと。父が残した骨董品を見に来る板倉と茶道を教えていた母との関係を紫津が知ったのは十五の時だった。
米澤一押し。当時は少女だったがゆえに勝負の土俵にすら立てなかった娘の視点で回想される、母と娘と正妻との四角関係。母と正妻との確執を象徴する着物のエピソードが、真相が明らかになることによって反転する。それにしても、真に愛していた相手といい、それを告げるタイミングといい、板倉という男が二重に屑すぎるため、女たちの愛憎の深さに悲劇性がより強まっていると思います。
「母の手紙」(1984)★★★☆☆
――透さん、あなたはこの手紙を、私が死んだ後、受けとることになるでしょう。今の私は、私がいなくなった後、あなたと有子さんが誰にも邪魔されることなく夫婦として幸福に暮らすことを望んでいるのです。姑として私が有子さんに絶えず冷淡にあたっていたのは、私が姑に虐められた仕返しではありません。
二人の相談による選出。さすがにこの母の理屈には無理があると思うのですが、これまでの自分の人生を正当化しようとして極端に走ったのであればまだ理解の範疇ではあります。そういう意味では、これまでの生き方をずたずたにされた「花衣の客」のあとに置かれているのは配列の妙でした。
[amazon で見る]