『よろず屋お市 深川事件帖』誉田龍一(ハヤカワ時代ミステリ文庫)★★★☆☆

 2019年9月に新創刊されたハヤカワ時代ミステリ文庫の第一弾。

 ミステリマガジン2019年11月号の著者インタビューで、『女には向かない職業』を偏愛する著者が「江戸のコーデリア・グレイ」に挑んだというので読んでみました。

 両親を殺された8歳の少女が飼い猫にも死なれてまたひとりぼっちになってしまったところを、岡っ引きの万七親分に拾われる――というのが序章です。もうたったこれだけで二人の関係・絆が伝わって来るような、秀逸な出だしです。

 けれどそこは『女には向かない職業』ですから、万七親分は11年後となる第一章冒頭では死者となって登場します。恩人の死にショックを受けるお市でしたが、とある出来事がきっかけで岡っ引きを辞めされられた万七の始めた、「よろず頼みごと ねずみ屋」を継ぐことを決意します。

 ここからは亡き万七の教えを思い出しながら、ねずみ屋への依頼を解決してゆく四つの事件が描かれています。江戸の町で女一人で探偵稼業を営む苦労といった描写はなく、わりと普通の捕物帳でした。お市は万七仕込みの体術も一流なので、捕物帳というよりヒーローものといった方が近いかもしれません。なるほど「江戸私立探偵小説」とはぴったりの呼称です。

 「第一話 初陣号泣」では、飾り職人の六蔵の依頼で、相模屋の手代・佐吉と駆け落ちしたらしい娘のお美代の行方を突き止めることになります。女郎屋に潜入捜査するところは若い娘であることが活かされていますし、失踪事件を解決し終わって新たな事実が出てきてからようやくすべての真相に気づくところも19歳の初仕事といった若さがありました。お市に自力で出来たのはお美代の行方を突き止めたことだけで、失踪の動機は本人から聞いただけ(生前の万七には見当がついていた)ですし、お美代が明かさなかったことは最後にならないと気づかないように、聞き込みをもとに人の行方を手繰ってゆくのはともかく、人心の機微にはまったく疎いところに半人前らしさが出ていました。

 「第二話 師宣恋慕」になると、人の心を推し量れないという若さゆえの欠点がさらに顕著に事件に影を落としてしまいます。森田屋の主人が手に入れた師宣の真筆を、女房のおうたが密通相手に渡してしまったらしい。ついては密通が事実かどうかと、師宣の行方を突き止めてほしい、というのが依頼でした。難なく密通の事実と師宣の行方を突き止めたお市でしたが、その後に贋作事件が起こってしまいます。すべては森田屋の企みだったのでは――というところまでは見抜けたお市ですが、そのあとがあまりにもうぶで素直すぎました。嘘をついているかどうかなんて見ただけではわからない――という万七の言葉を思い出しはするものの、人生経験が乏し過ぎるせいで関係者の自明の目論見にも気づけず、悲劇を引き起こしてしまいます。そもそもの依頼自体も探偵の操りという現代ミステリ風のスタイルで、お市にはまだ荷が重すぎました。

 「第三話 花嫁乱舞」はトンデモな内容でした。良家のお嬢様ふうの記憶を失って行き倒れているところを発見されましたが、どこの家でも不明者を捜している様子はありません。菊川町で発見されたことからかりそめに「お菊」と名づけられた娘は何者なのか、なぜどの家からも捜されていないのか、という謎が描かれます。この記憶喪失の娘がいくら何でも嘘っぽく、すべてが空々しく白々しいとしか言いようがありません。著者としては天真爛漫なつもりなのでしょうが言動もいちいち癇に障ります。貸本屋に扮しての大立ち回りもあまり必然性がなく、結局は策もなく正面から当人に直撃するだけで探偵としては明らかに退化していますが、第一話でちょろっと触れられていた体術をふくらませた回だと言えるでしょうか。お菊の正体もまたトンデモでした。万七から岡っ引きの権利を取り上げた同心・仁杉からの依頼ということで、お市の葛藤、過去の因縁が顔を覗かせます。

 「第四話 水死宿命」。左官の熊吉が川で溺死しているのが見つかりますが、現場の状況からは殺しとも自殺とも事故とも判断できません。殺しだと疑わない息子の定八が依頼人です。場所も状況も万七殺しと似通っていたため、恩人を殺した犯人にたどり着けるのではないかと、お市にも力が入ります。多勢に無勢に、闇討ちと、いくら体術に優れていても限りがあり、満身創痍となりながらも、奉行所に先んじて下手人を見つけるという快挙を成し遂げ、ひとまずは幕を閉じます。

 万七の失脚や殺しの下手人は明らかにされず、次作以降への持ち越しとなるようです。時代小説としてもミステリとしてもゆるいところはありますが、今後も成長を見守ってゆきたいキャラクターでした。

 幼いころ、実の父母を殺されたお市だが、腕利きの岡っ引きだった万七に引き取られ、強くたくましく育つ。よろず請負い稼業に身を転じた万七から、体術を教え込まれてきたのだ。が、その万七が大川で不審な死を遂げた。哀しみの中、お市は稼業を継ぐ。駆け落ち娘の行方捜し、不義密通の事実、記憶のない女の身元、ありえない水死の謎――次々もちこまれる難事に、お市は生前の万七の極意を思い返し、真実を掴みとってゆく。(カバーあらすじ)

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