『怪異雛人形』角田喜久雄(講談社大衆文学館文庫コレクション)★★★★☆

『怪異雛人形角田喜久雄講談社大衆文学館文庫コレクション)

 戦前戦後に伝奇小説・時代小説・探偵小説をものした作家の、初期捕物帳を集めた作品集。「いろはの左近」もの二篇、「女形同心」もの二篇、その他三篇から成ります。著者が平成6年まで生きていたということに驚きましたが、昭和43年に筆を断っているということなので、それが実際以上に昔の人という印象をもたらしていたようです。大昔の通俗作家だと思って読まず嫌いしていましたが、いま読んでも充分に面白い作家でした。
 

「怪異雛人形(1937)★★★☆☆
 ――江戸南町奉行に就いたばかりの越前守忠相が駕籠に乗って戻る途中、中間の死体に出くわした。死体は雛人形を抱いており、そのうえ首がもぎとられていた。一方、子ども好きで寺子屋の真似ごとをしていることから、いろはの左近と綽名される町方同心・赤根左近は、教え子の拾った櫛をたどって酒問屋の娘の死体を発見する。娘も首のもがれた雛人形を抱えていた。人形店・松舟を訪れた左近は、死んだ人形師・老亀斎が財産をどこかに隠したという噂を知る。財産の在処の隠された五人囃子を巡って人が殺されているのか……?

 展開がスピーディでストーリーも起伏に富み、驚くほどにめっぽう面白い。今より娯楽が少なかった時代の娯楽小説の底力を見たな、という気がします。しかも勢いに任せた行き当たりばったりの内容ではなく、ミステリとしてもちゃんと練られています。人形が目当てなら人を殺す必要はないはず――という疑問は論理的で、関係者全員を紙に書き出して動機の面から真犯人を指摘する左近の姿は、捕物帳の同心というよりも完全に近代の名探偵の姿でした。【ネタバレ*1】の発表が1935年、邦訳も同年とはいえ、その採り入れ方の巧さには目を瞠るものがありました。
 

「鬼面三人組」(1937)★★★★☆
 ――左近、下っ引の文次、仙吉が浅草を歩いていると、本堂の裏に人だかりが出来ている。見ると、猿が本堂の屋根から何かを投げ捨てた。文次が近寄ってみると、それは般若の面をかぶった人相見・天元堂の生首だった。越前守からの申し出で、先輩同心・高田兵助と捕物競べをすることになった矢先、番屋から死体が盗まれるという事件が起こった。天元堂の住居へ急ぐ左近たちだったが一足遅く、何者かに火を付けられていた。屋根の上には鬼面の黒装束が三人、佇んでいた。そこに別の黒装束が弓を射かけたが返り討ちに合い、またもや死体が盗まれてしまう。鬼面の者たちは十二年前に死んだ神出鬼没の大悪党・鬼面三郎と関係があるのか……。

 前話で改心した仙吉が仲間に加わります。このあたりは少年誌に連載された影響なのでしょうが、キャラは立っているもののあんまり活躍はしません。

 この作品でも「怪異雛人形」と同様、苦労して攫うのならわざわざ衆人環視のなかで殺さないのでは――というもっともな疑問から、左近は真相に近づきます。鬼面の一味であるらしい少女が左近たちを誘い出した落書きは「赤い絹のショール」でしょうし、鬼面組による殺害予告も「獄中のルパン」をはじめとするルパンものでしょうか。旗本の屋敷で鬼面三郎を誅するという五人目の予告は、不可能とは言わないまでも難事には違いないと思われたのですが、そこに必然性があったという点でも「獄中のルパン」を思わせます【※ネタバレ*2】。

 いろはの左近シリーズが果たして何篇あるのかは解説でも明らかにされていません。Googleで検索すると本書収録の二篇のほかには1957年発行の『平凡別冊7号』に「いろはの左近捕物帖 髪洗い地蔵」という作品がヒットするくらいです。
 

「美しき白鬼」(1936)★★☆☆☆
 ――町方同心・鳥飼春之助が足をとめた。当時売り出し中の歌舞伎の女形に生きうつしだと云うので、江戸中の女共がやんやと噂しあっている。子供が油紙包を拾ったといって届けてくれたが覚えはない。見張られていることに気づいて、油紙包を木に結わえて立ち去ると、芸者上がりらしい粋な女が包を手にした。跡をつけると女は合掌して包を寺の本堂に投げ入れた。調べてみると「御経料 行年三十二歳の男 供養の為」という紙と、人間の耳朶が包まれていた。頻発する神かくし事件の被害者に共通するものは何か――。春之助はお手先の勘太の妹・お妙に協力を求めた。

 女形同心・鳥飼春之助もの。さすが発端は魅力的なものの、被害者の共通点が明らかになった時点で【ネタバレ*3】という動機もほぼ明らかであり、いろはの左近もの二篇と比べると作りが単純で物足りません。女たちに人気ながらも本人は女好きではなく、お妙に想いを寄せられるもその気持ちにも無頓着という設定は、シリーズものには絶好の設定だと思うのですが、“女形同心”ものも“いろはの左近”同様あまり作品数はないようです。
 

「恋文地獄」(?)★★★★☆
 ――飯やで酔っ払いが匕首を振り回し、畳をずたずたにしてしまった。その喧嘩をがに股の男が一喝し、畳も買い取って持ち帰った。野次馬が呆然と見送るなか、武家の奥女中風の娘が騒ぎを。一方、母者の墓参りに来ていた春之助は、干してあった寺の畳が盗まれたと知らされる。そんな折も折、老夫婦が殺され畳が盗まれたという一報がもたらされた。その畳を扱った兼吉という畳職を訪ねると、藤兵衛という家主から貰った十六畳を直したものだと判明する。四五年前に島送りになったがに股の東作が舞い戻ったのではないか……?

 飯屋のエピソードだけでも充分に魅力的だと思うのですが、そこに加えて立て続けに畳が盗まれるという畳みかける導入が相変わらず見事です。がに股が島流しになる前に畳に何かを隠したらしいというのがわかっても、それが何なのか、また武家の女は何者なのかなど、「美しき白鬼」ほど単純ではありません。十五枚の畳に何も隠されてなく最後の十六枚目に隠されているという偶然などあり得るのだろうか?という春之助の考え方は、いろはの左近の考え方にも似ていて独特の面白さがあります。タイトルでネタバレしているようなものではありますが、隠されていたものが【ネタバレ*4】であるというのは、女形同心ものならではの仕掛けでした。
 

「自殺屋敷」(1939)★★★★☆
 ――蔵前小町と評判の、山本屋の娘お町が首をくくって自害した。山本屋の屋敷はもともと御公金費消で牢死した日高市兵衛の別宅だった。市兵衛のたたりだ――祈禱師の日了はそう言って離れに籠って祈禱をあげ続けたが、市兵衛やお町が死んだのと同じ七のつく日、当の日了が首をくくって発見された。元武家の屋敷らしく厳重な作りで、何者かが忍び入る余地はない。年寄りでもない重四郎が今戸の隠居と呼ばれているのは、江戸町奉行所から隠居与力格を与えられているからだ。北町奉行所の同心・羽黒鉄心は重四郎に張り合い、自殺部屋の秘密を解き明かそうと意気込んだ。

 今戸の隠居が主人公の単発もの。密室に連続自殺というやたらと派手な事件が扱われています。上手いなあと思うのは、ただ単に自殺が連続するだけでなく、二人目は祈禱師、三人目は同心の手付と、後ろにいくにしたがい自殺しそうにない者になってゆくところです。犯人捕縛後に【ネタバレ*5】という出来事を起こすことによって、【ネタバレ*6】意外性と【ネタバレ*7】不寝番殺しの謎の解明、二つを同時におこなっているのも巧みです。密室と連続自殺という謎は魅力的な反面、真相は物理トリック以外には有り得ないわけですが、殺人に用いられたトリックがそもそも【ネタバレ*8】のために用意されていた堅牢な仕掛けの再利用という点も見逃せません。明言こそされていませんが、七のつく日に自殺が起こったのが、【ネタバレ*9】ためだけというのは説得力が弱く、そこだけはマイナスポイントでした。
 

「悪魔凧」(1936)★★☆☆☆
 ――白い凧が微動だにせず舞っている。針仕事を終えてお豊が外に出ると、片目の男から声をかけられた。お豊と姉の文字房は女の二人暮らし、不安になって世話焼きで知られる岡っ引きの半次に来てもらった。半次が調べると、窓をこじ開けようとした形跡がある。強風で切れた凧には「あかまん」という文字が書かれていた。片目の男が清川屋の前をうろうろしている。清川屋から老人が出て来た。「あかまんの万助、貴様の名前だ。凧を見て来たのだろう? 丑太郎はどうした? 殺ったのか!」。半次たちが警戒するなかお豊が襲われ、清川屋らは壁から小さな鐘を見つけた。鐘を買おうとする紋付羽織の武士や万助を尾けるお高祖頭巾の女は何者なのか……。

 雰囲気が暗く、トントン拍子の読みやすい文章でもありません。「挙げた犯人の数よりも仲人として取り結んだ縁の多さを自分でも喜んでいる」という半次にも、なぜか左近や春之助のような魅力はなく、妻に当たり散らすような男です。犯罪者が盗んだお宝を取り戻しに来るというお決まりの内容ですが、【ネタバレ*10】だけでなく、【ネタバレ*11】も加わることで、ストーリーに厚みが生まれていました。
 

「逆立小僧」(?)★★★☆☆
 ――引退した御用聞きの娘、並木のお奈美、いつとはなくずるずると十手捕縄をうけついで、今ではその器量とともにすこぶる評判が高い。「姐さん、奇妙きてれつな事件なんでえ」下ッ引に言われて入った現場には、岡っ引きの伍助がいた。被害者は伍助の身内だった重蔵という男で、身持の悪さから追放されていた。重蔵の着物から家具まですべてが逆さまにされている。そこへ母親のため川崎詣でに出ていた伍助身内でも腕利きの松五郎が帰ってきた。「手前の見込みは?」「親分、逆立小僧でさあ」。浅草にいる白痴男で、酔払うと逆立ちをしたりそこらのものを逆さまにしたりする。「根っからの白痴かどうか怪しいとにらんでるんです。この頃荒らし回っている二人組の強盗に、逆立小僧が逆さまにした家がやられている」

 珍しい女捕物帳。逆さまづくしが『チャイナ・オレンジの秘密』(1934)だとすると、並木のお奈美もペイシェンス・サムあたりがモデルでしょうか。……と思ったのですが、この作品の執筆時期によってはクイーン=ロスだと知られていない可能性があるのか。逆さまの理由が【ネタバレ*12】ためというのは、作者の匙加減でどんな癖でも付加しようがあるのでご都合主義だとは思いますが、犯人を推定する手がかりが意外なほどに手堅いロジックなのがアンバランスで妙に印象に残りました。

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*1 『ABC殺人事件』

*2 罪を逃れた真の鬼面三郎一味五人を誅するため、真相に気づいた旗本・松本平三郎と罪を着せられた男の子どもたちが協力していた。一方、背中の鬼女の刺青から一味であることがばれるのを恐れて、生き残った一味が死体を攫っていた。五人目の殺害予告の意味は、真の鬼面三郎である同心の高田兵助をおびき寄せた平三郎による弾劾であった。

*3 (外国人に高く売りさばくため)刺青のある人皮を手に入れる

*4 春之助の美貌に夭逝した許婚の面影を見た姫君がつい想いを綴った手紙

*5 五人目の自殺

*6 犯人は捕まったはずでは?という

*7 薬を飲ませていたという

*8 横領した公金隠しともしものときの逃亡

*9 たたりのせいと思わせることで、公金の隠された部屋から人を遠ざける

*10 元の持ち主筋の武士による奪還

*11 別の強盗事件の被害者の妻による復讐

*12 逆さまにする癖のある白痴に罪を着せる


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