『罪と祈り』貫井徳郎(実業之日本社)★★★★☆

 2017~2019年連載。2019年刊行。

 元警官の濱仲辰司が溺死体で発見され、頭には殴られた痕があった。事件を担当するのは、実の父親の死後、辰司が父親同然に世話し、辰司に憧れて刑事になった芦原賢剛だった。正義漢が強く、絵に描いたような下町のお巡りさんだった辰司が誰かに恨まれていたとは、息子の亮輔も、賢剛も、辰司の飲み友だちも、信じられなかった。父親が何かを隠していると感じていた亮輔は、母親の口から、辰司が変わってしまったのは、賢剛の父親・智士が自殺してからだと知らされる。智士の死は辰司にどう影響を与えたのか、智士はなぜ死んだのか、亮輔は独自に調べ始めた。やがて父親のスクラップ・ブックから、かつて日本を揺るがした誘拐事件と育児放棄事件の記事が見つかった。一方、賢剛は捜査一課の岸野とともに辰司殺害事件の捜査を続けていた。

 二十数年前。近所で頻発していた地上げ屋の嫌がらせがエスカレートし、豚の首が投げ込まれる事件まで起こった。それでも警察は何もしようとはしなかった。小泉家は地所を売って引っ越したが、大金を手にした夫・和俊は人が変わり、残された妻・比奈子は精神の均衡を崩して赤ん坊を衰弱死させ、自殺してしまう。料理屋で働いている智士の同僚・翔は、片想いを続けていた比奈子の自殺に怒りを爆発させる。すべては不動産屋のせい、時代のせいだ。近所から警察批判に晒されていた辰司も、警察への不信を感じ始めていた。

 亮輔と賢剛の視点で交互に語られる現代パートと、辰司と智士の視点で交互に語られる過去パートが、交互に綴られてゆきます。それぞれの視点がやがて一つに収束して、はじめばらばらに見えたものが一つの絵として立ち上がってくるという効果ももちろんあるのですが、この構成の一番の理由は、やはり何と言ってもタイトルとなっている「罪と祈り」にあるのでしょう。

 罪と罪を犯した者に対する態度はそれぞれの立場・価値観・物の見方などによって異なるという当たり前のことが、衝撃的でした。異なる視点、それも智士たちの視点も交えているからこそ、読み手の感覚が揺らぎます。

 連載開始時の2017年には、まさか2019年に平成が終わるとは思ってもみなかったでしょうが、奇しくも一つの時代の区切りを印象づける作品となりました。動機と犯行手段が、舞台が昭和の終わりとバブル期であることと密接に結びついていました。

 作中の誘拐事件パートは、コンゲーム小説としての面白さがあり、不謹慎ながらやりきれない物語のなかでは手に汗握る場面でした。

 作中で描かれる死のいくつかは、運が悪かったとしかいいようのないものですが、だからこそ行き場のない怒りが歪んだ形で奔出してしまうのもわからなくはありません。観念の殺人のようなものですね。やるせなさが残ります。

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