『The Adventure of Yuhta the Kappa(Waterman)』2017年。
読み始めてすぐにワクワクが止まりませんでした。『冒険者たち ガンバと十五ひきの仲間』でお馴染みの斎藤惇夫による、七年ぶりの新作小説です。
前作『哲夫の春休み』が自伝的要素の強い作品だったのに対し、本書は『冒険者たち』直系の冒険小説でした。
田舎の湖で平和に暮らしていた河童のユウタの許に、ある日九尾の狐の娘が訪ねて来て、あなたは旅をする運命なのだ――と告げるのです。少年冒険ものの王道といってもいいでしょう。ワクワクするなという方が無理です。ましてやまだ見ぬ仲間と共に――。その旅をする目的はわからない、いわば自分探しの旅でもあります。
仲間というのがまた魅力的です。九尾の狐の孫娘アカネ。孫の代には能力も衰え二尾しかなく、その尻尾分の魔法を使い果たしたとき、ふつうの狐になって寿命を迎えてしまうそうです。魔法の使い方はまだ知りません。御嶽山の天狗ハヤテ。木から木へと飛び移り、天狗舞を舞うことしかできません。嘴と翼を持ち消え去ることのできる飯綱権現を見ても、遠い親戚かもしれないが自分にはあんなことはできないと諦観しています。
九尾の孫とか飯綱権現の親戚とかいうチョイスが絶妙で、妖怪好きとしてはそれだけでテンションが上がってしまうのでした。おてんばキャラとやんちゃキャラと内省的キャラの取り合わせというのもある種の定番ですが、主人公がガンバタイプではないのが面白いところです。
三人の仲間はさまざまな動物たちの助けを借りて、河口から水源を目指してゆくことになります。避けるべき犬やヒト、つきまとうカラスたちの思惑、物理的に存在しない黒い影たち、激流など、いろいろな障壁を乗り越えてゆくのですが、それより何より、いくら田舎とはいえヒトに見つからないように移動するということがそれだけで冒険になってしまうことに驚きです。自分が子どもだったら、河童のユウタごっこと称して、ヒトに見つからないように移動してみたかもしれません。たぶん見つからずにいるのは難しいのでしょうね。
助けといえば懐かしい顔ぶれも三人を助けてくれます。ニホンカワウソは作中世界でも絶滅してしまったようですが、ドブネズミはドブネズミらしくしぶとく生き残っていました。こういうファンサービスは嬉しいですし、あの三部作と同じ世界なのだとわかるといっそう愛着を感じます。
動物を「ひとり」「ふたり」と数えるのを新鮮に感じたのですが、『冒険者たち』ではどうなっていたでしょうか。読んだのが昔すぎて忘れてしまいました。動物が主人公である以上、開発や害獣猟や見世物をおこなう人間は必然的に敵として描かれているので、自分は人間なのに動物に感情移入してしまいます。もっとも、直接立ち向かっても勝てない強大な敵として描かれているので、直接対決するようなことはないのですが。
単純に人間が悪として描かれているわけではありません。人間のなかでも最近増えてきた得体の知れない者たちが「ヒト」として区別されていました。言ってみれば現代社会批判です。ネットや原発=悪というのは素朴すぎるとは思いますが。『指輪物語』を翻訳中の瀬田貞二(を思わせる人物)もゲスト出演し、長々と説教をぶっています。
旅の目的は壮大ではありますが、損得で考えると意味のないものでした。まさにその「損得で考えると意味のないこと」こそが大事なのでしょう。思えば冒頭から、肉食動物に捕食されることを「命をあたえ、彼らの体としてよみがえる」と表現していたのでした。死んだらどれも一緒でしょ、ではないのですね。ユウタたちが影たちについて話すとき突然「方々」とか「おられる」と敬語を使い出すのですが、(個人的にはそれを気持ち悪く感じたものの)こうした死者に対する敬意も旅の目的と関わりがないとは言えないのでしょう。
旅が始まるタイミングがなぜ今だったのかがよくわからなかったのですが、今だからこそ、なのでしょうか。
『ガンバとカワウソの冒険』から数えると三十五年ぶりの冒険小説になるわけですが、まったく衰えていませんでした。全盛期と比べて遜色がないというのは凄いことです。もっと書いてほしいものですが、ご本人にとって小説は余技なのでしょうか、これだけの実力のある人があまり書いてくれないというのは少し寂しいですね。
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