『短編ミステリの二百年2』チャンドラー、アリンガム他/小森収編/猪俣美江子他訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『短編ミステリの二百年2』チャンドラー、アリンガム他/小森収編/猪俣美江子他訳(創元推理文庫)★★★☆☆

「挑戦」バッド・シュールバーグ/門野集訳(The Dare,Budd Schulberg,1949)★★★☆☆
 ――ポールは海を見つめていた。モーターボートと水上スキーの娘が衝突ぎりぎりまで突っ込みどこまで突堤に近づけるかくり返し挑んでいた。「ああ、ジェリー・ローフォードか。あの娘はいかれてるのさ。家族が金持ちで、自分でも絵を描いたりカジノで大勝ちして金を儲けた」。ポールがクラブに行くと、ジェーンが男とカジノに行き、酒を飲んでいた。「お酒はもういいわ。誰か泳ぎたいひと?」。連れの男が断るなか、ポールはさりげなく言った。「ぼくが付き合うよ」。

 ロストジェネレーションみたいな、滅びに向かって進んでゆく刹那的な享楽……を味わうには、男に魅力がなさすぎました。最後の夜のことわり方といい、最後のまとめといい、言い訳したくなる気持ちはわかりますが、だからこそ言い訳するのは格好悪いと思うのですが。
 

「プライドの問題」クリストファー・ラ・ファージ/門野集訳(A Matter of Pride,Christopher La Farge,1940)★★★★☆
 ――ジョー・ウィルソンは八年前からエディ・フリッセルと解禁日に釣りにいくのがならわしだった。帰宅したジョーは妻に呼びかけた。「来週の月曜日、エディと釣りにいくよ」「あら、でもその夜はメドフォード家の晩餐会よ」「八時半だろう? 釣りをしても間に合うな」「ディア川では釣らないようにしてね。所有している組合の会長がメドフォードさんだそうよ」。二人はカエデ沼で釣りを始めたが、引きが悪かったので下流に向かって移動していった。

 否定すればするだけ立派だと讃えられる笑い話のような流れでいて、そこで調子に乗らないのが「プライドの問題」たる所以でした。この人のいいところは、頑固ながらも最後には妻に軽口を叩く余裕も持っているところです。
 

「チャーリー」ラッセル・マロニー/直良和美訳(Charlie,Russell Maloney,1936)★★★☆☆
 ――チャーリーは人のうしろから“違う”肩を叩いて誰もいないほうへ振り向かせるのが好きだった。レストランではスプーンをテーブルに押しつけて折り曲げるふりをする悪ふざけがお気に入りだった。制酸剤をぼくのカップに入れて“毒を盛った”ときには気づいた老婦人がぼくのテーブルの横でわざとよろけてコーヒーをぶちまけた。何十人もが並んでいる窓口でいきなりみんなどこかへ行ってしまったら後ろに並んでいた人がどうするんだろう? これが次の悪ふざけだった。

 いたずら好き(ただし「楽しみのためではなくて、混乱や騒動が起きているのがごく自然な状態だと感じるように生まれついたので、やらずにいられない」とのこと)によるいたずらの顛末を描いたユーモア掌篇です。最後の顛末に理屈も何もなくても、それが田舎のお婆さんだというところに妙な説得力がありました。

 ここまで三篇は都会小説であり、かつてミステリマガジンに都会小説が掲載されていたころのミステリの幅広さを取り戻すルネッサンスの試みと言えそうです。
 

「クッフィニャル島の略奪」ダシール・ハメット/門野集訳(The Gutting of Couffignal,Dashiell Hammett,1925)★★★★☆
 ――結婚式がらみの仕事は好まなかったが、おれにお鉢がまわってきた。よくも悪くもふつうの結婚式だった。結婚祝いを守る探偵は目立たないようにしているべきだが、実際にはそうもいかなかった。何事もなく過ぎ、おれは寝ずの番をはじめた。本を読んでいるとき明かりが消え、足もとで床が揺れた。遠くで悲鳴と銃声が聞こえる。玄関の呼び鈴が鳴り、披露宴で見かけたロシア人の娘が駆け込んで来た。「銀行が強盗に襲われて、警察の監督さんが殺されたわ!」。おれが様子を見にいこうとすると、令嬢もついて来た。大通りまで来たとき、たん、たん、たんという音が聞こえた。機関銃だ。

 ロシア人の令嬢が途中までオプについてきておきながらフェイドアウトするので、いったいこのキャラクターに何の意味があったんだろうと思っていたら、最後まで読むとしっかり意味がありました。犯人たちの犯行動機にも社会性があり、著者にきちんとした小説を書いてやろうという志の高さが窺えます。それでいながら大半はドンパチというリーダビリティの高さもありました。
 

ミストラル」ラウール・ホイットフィールド/白須清美(Mistral,RaoulWhitfield,1931)★★★☆☆
 ――食堂のその男は顎の下に傷があった。カジノの前で煙草に火をつけたとき、大型車が停まった。あの傷の男が降りてきた。おれは興味をそそられた。蠅だらけの食堂で、ナイフでスパゲッティを切り、高級車に乗る。妙な組み合わせだ。入口でパスポートを要求されたが、男はいったん出しかけた手を止め、「忘れてきたようだ」といった。男が泊まっているホテルの経営者とは友人だった。「ムッシュー・セナは風が嫌いだそうだ」。ミストラルが始まった。俺は資料に目を通した。写真のなかにあの男がいた。

 まるでチャンドラーの亜流のようだと思ってしまいましたが、実際にはチャンドラーのデビュー(1933)よりこちらの方が早いのでした。対象にシンパシーを感じてしまったり、それでも干渉はせず傍観者であり続けたり、こじゃれたエピソードで小説を締めたりと、ハードボイルドの原型はすでに固まっていたようです。
 

「待っている」レイモンド・チャンドラー深町眞理子(I'll Be Waiting,Raymond Chandler,1939)★★★★☆
 ――午前一時、レディオ・ルームから楽の音が聞こえてくる。トニー・リセックは声をかけた。「ミス・クレッシー、もうお部屋にひきとられたほうがいい」「男を待っているのよ、トニー」。トニーが歩み去ると、ポーターが待っていた。「背の高い男が『トニーを呼べ。アルと言えばわかる』だと」。外に出るとアルがいた。「ようトニー。イヴ・クレッシーという女をホテルから出せ。いますぐだ」「なにが問題なんだ?」「その女はジョニー・ロールズの女房だったんだ。ロールズは三年ばかりお勤めしてたんだが、店の金をくすねやがった」

 明らかにわけありな雰囲気の女に向かって、遠回しにかつてバルコニーから飛び降りた女の話をして牽制する冒頭からぐいぐい引き込まれます。追われる男に情けをかけたがために、トニーは大事なものを失ってしまいます。そうして大事なものを失った二人が椅子の上で静かに目を閉じているラストシーンがいつまでも余韻を残し続けます。編者も解説で書いていますが、洗濯籠や電話番号や誰が誰を殺したかなど解釈違いの多かった作品ですが、深町氏は無難に訳しています。
 

「死のストライキフランク・グルーバー白須清美(Death Sits Down,Frank Gruber,1938)★★☆☆☆
 ――オリヴァー・クエイドはバートレット・キャッシュレジスター会社のレクリエーション室で営業を開始した。「わたしは人間百科事典。どんな質問でも結構です……」そこでベルが鳴り、座り込みのストが始まった。クエイドは経営者側のスパイ呼ばわりされ、出られなくなってしまった。そんななか倉庫で副社長の射殺体が見つかり、ストの指揮官たちは警察に知らせるかどうかを議論し始めた。外でおこなわれている経営者との交渉も先行きは暗い。

 味も素っ気もない文章にご都合主義な結末など、娯楽に徹した作品です。
 

「探偵が多すぎる」レックス・スタウト/直良和美訳(Too Many Detectives,Rex Stout,1956)★★★☆☆
 ――電話の盗聴スキャンダルをきっかけに、盗聴した経験のある探偵は聴取されることになった。州務長官特別代理ハイアットに促され、ウルフは答えた。「オーティス・ロスと名乗る人物が秘書の不正を暴くため盗聴を依頼してきた。開始八日目、ロスの長電話を聞いたグッドウィンが、どうも依頼人とは違う気がして、記者のふりをして本人に会った。別人だった。まんまと一杯食わされたのだ」「実はあなたに会ってほしい人がいる――」「大変です、来てください!」特別代理に続いてわたしが別の部屋に行くと、男がネクタイで首を絞められて殺されていた。顔には見覚えがあった。あの依頼人だ。

 ウルフ&アーチーものはキャラクターの魅力なので、ミステリとしてはどれを読んでもおんなじではあります。ウルフとアーチーがトラブルに遭うのもわりとよくあることなので、二人が容疑者として逮捕されてしまっても衝撃的ではありません。私立探偵が何人も呼び出されているなかでの殺人事件ですが、船頭多くして船山に登るということはなく、ウルフが仕切っていました。というのもやがてわかるように、集められた探偵はいずれも被害者に一杯食わされていたこともあり口が重かったりするからです。ウルフ自身は「おそらく、それが最善の方法だったのだろう」と言っていますが、同じ日に探偵が集められた理由に説得力はありません。
 

「真紅の文字」マージェリー・アリンガム/猪俣美江子訳(The Crimson Letters,Margery Allingham,1938)★★☆☆☆
 ――失恋した友人ランスを誘って、キャンピオンは思い出の地へと足を運んだ。若いころ住んでいた家を見つけて元気を取り戻したランスは、ドアが開いていたのをさいわい屋根裏部屋に入り込んだ。「懐かしいな。そういえばちびのジョーキンズをこのクローゼットでよく眠らせたものさ……おい、これを見てくれ」壁の幅木から一フィートほど上のところに大きな真紅の文字が書き連ねられていた。〈外に出してああ出して出して出して。ジェイニー〉。「試供品の口紅か。アメリカの会社だね」。アメリカから到着したばかりの豪華客船の乗客名簿を調べ、ジェイニーという名前の娘を見つけた。

 発端は魅力的です。口紅の存在からジェイニーが妙齢の女性だと思い込んでいたものの少女だったと判明し、競馬場を舞台にした身代金受け渡しに物語がシフトしてしまうと、特に見どころはなくなってしまいました。
 

「闇の一撃」エドマンド・クリスピン/藤村裕美訳(Shot in the Dark,Edmund Crispin,1952)★★☆☆☆
 ――ジョシュア・レドロウという男が殺された。シスリーという姉がいて、求婚者が現れず、財産もないのでジョシュアの家事をみていた。ジョシュアはヴァシティという女性に恋をしていたが、彼にはアーサー・ペンジという恋敵がいた。ややこしいことにシスリーがペンジを憎からず思っていることがわかり、三角関係は四角関係になった。シスリーは足を骨折していたし、ペンジにはアリバイがあった。

 ミステリのネタ部分は【被害者が実は加害者だったのが返り討ちに遭った】というよくあるものなのですが、この作品はこの短さで四角関係という人間関係を導入しているためにクセのある作品になっていました。その四角関係にさらに殺人者とアリバイ証言者という関係を重ねてオチにする悪ノリです。
 

「二重像」ロイ・ヴィカーズ/藤村裕美訳(Double Image,Roy Vickers,1954)★★☆☆☆
 ――エルサは隣人のグウェンダと一緒に、夫と待ち合わせしているレストランに入った。「ジュリアン、グウェンダをランチにお誘いしたの――」エルサが声をかけた男はよそよそしい笑みを浮かべると歩み去った。エルサはおびえた顔つきになった。「主人だと思いましたでしょ?」「妻のあなたが間違うわけないじゃありませんか」「でも間違いでした。オーバーの生地が違うような――」「ご主人には双子のご兄弟でも?」「たしかに双子でしたけど、赤ん坊のうちに亡くなったんです」その後もジュリアンにそっくりの男が目撃され、伯父に借金を申し込んだ。

 見え透いた一人二役を警察相手に実行しようとする犯人の図太さもたいがいですが、見え透いていながらもサスペンスを維持できているのもたいしたものです。この作品自体は迷宮課シリーズではありませんが、シリーズを含めたヴィカーズの特徴である偶然や無関係といった要素を、短所ではなく「犯罪実話ふう」「ひとりの人間の軌跡」を狙ったものであると解説では書かれてあります。とはいえ切れ味に乏しいという事実は否めません。
 

「短編ミステリの二百年」小森収

 超常現象の起こらない人間のささやかな悪意を描いたシャーリイ・ジャクスンの一連の短篇が好きなのですが、シュールバーグからマロニーへ続く流れで、ジャクスンの短篇も都会小説だという指摘は意外なものでした。短篇集を読むときに初出誌まで気にしたりはしないので、これまでまったく意識していませんでした。

 続く章ではスリックマガジンと同時代の、のちにミステリの大きな潮流となる一派としてパルプマガジンのハードボイルドが紹介されています。ハードボイルドはパズルストーリーに対するアンチテーゼとして発生したのではなく同時期に発生したという事実はつい見落としてしまいがちなところです。「警察・保安官との良好な関係」という初期のコンティネンタル・オプものの特徴も、のちのハードボイルドのイメージとは異なっています。

 フィリップ・マーロウのことを「私立探偵のリアリズムからは逸脱した私立探偵です」「小説家が探偵になってしまったような男です」と言い切ってしまうのが面白い。「チャンドラーの一人称小説に、時として、ある種のいかがわしさを感じるのは、自己讃美の匂いを嗅ぎ取ってしまうからでしょう」というのも、(特に清水俊二訳が好きな人にとっては)欠点ではなくだからこそ格好いいということもあるのでしょう。「翡翠」のアンとダルマス探偵のやり取りを「まるでトミーとタペンスのよう」という評も、「金魚」では「マーロウがドートマンダーすれすれのところまで下りてきていて」「もう一歩危険な側に踏み込んだジャスタス夫妻といった感さえあります」という評も、「小説家」みたいな「凝ったものの見方や言い方」ともどもユーモアとして評価すべきだと個人的には思っています。

 クイーン「神の灯」を、トリックよりも「解明に到る伏線の美しさにこそ、より大きな価値がある」と言われると、なるほどなあと感心します。

 ジョン・ディクスン・カーを評して、クイーンの精密さとクリスティの巧さと比較して「伏線を張っていながら、解決の場面で、しばしば読者に効果的に想起させられない」というのは、欠点というよりは作者の目指しているところが違うだけだと思うのですが、どうなのでしょう。

 クリスティはともかくセイヤーズのこともクライムストーリーの面から評価しているのが意外でした。

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