名のみ知っていた眠狂四郎のシリーズは、通俗時代小説というイメージがあってまったくの無関心だったのですが、大坪砂男がプロットを提供していたと言われる『幽霊紳士』が同じ創元推理文庫から刊行されていることもあり、手に取ってみました。
「雛の首」(1956.5)★★★★☆
――誰もが目を血走らせた中、一人の浪人者だけは冷やかな眼眸をしていた。ときに皮肉な微笑が泛ぶのは、いかさまを見破った証拠だ。壺振りの金八は浪人者にその素早さを買われ、強盗の手助けをする羽目になった。水野忠邦の屋敷に来ると浪人・眠狂四郎は堂々と名乗り、門番に中へ通された。「押込みを通してくれるなんて――」「そういう筋書なのだ」。狂四郎が騒ぎを起こしている間に、小直衣雛を盗むのが金八の役目だった。
記念すべき第一作。間者を捕まえるとともに、「ボヘミアの醜聞」みたいな手口でおそばに近づき、史実に絡めて献言までしてしまうという、やっていることは無茶苦茶でありながら一石三鳥の効果もあり、よく考えられた作品ではあります。唐突で取ってつけたような円月殺法、いきなり主要キャラ勢揃い、と、なかなか詰め込まれているわりに窮屈感がないのは、柴錬の闊達な文体と実は意外とすっきりしているプロットのおかげでしょう。
「禁苑の怪」(1956.6)★★☆☆☆
――大奥医師・室矢醇堂から薬箱を奪った狂四郎は、箱のなかから阿片を見つける。それを聞いた忠邦は、大奥で起こっている幽霊騒ぎとの関連を疑う。将軍家斉の世子である家慶の御世継ぎ・政之助が、夜中にわっと泣き出したりして、ひと月のあいだに目に見えて衰弱していたのである。
第一短編集『眠狂四郎無頼控(一)』の六話目に当たる作品なので、静香というキャラクターが唐突に出てきますが、作中はおろか解題にも説明はありません。やたら場違いな物理トリックが用いられていますが、幽霊の存在を誰も疑っていないような状況でここまでトリックに凝る作中必然性がまったくありません。狂四郎にしてからが忠邦の駒に留まってしまっています。
「悪魔祭」(1956.7)★★★★☆
――またどこかの女が臍に黒い十字をぬたくられる季節になった。湯屋でその話を聞いた狂四郎は、これまでの被害者の特徴が美保代にも当てはまることに気づき、美保代を囮にして犯人を突き止めようとする。黒い十字から考えて、ころび伴天連の仕業に違いないと当たりをつけたが……。
第9話。駄洒落で畳みかけられる冒頭の湯屋のやり取りに江戸風流を感じるのとは裏腹に、後半はこれでもかというくらいにB級が大爆発します。黒弥撒だけでもお腹一杯なのに、そこに狂四郎生誕をめぐる因縁まで詰め込まれています。しかしこれだけテンポがいいと、女犯も黒弥撒も生まれの業も全然暗くありません。
「千両箱異聞」(1956.7)★★★☆☆
――講釈の題材にもされ今やすっかり人気者となった眠狂四郎の許に、廻米問屋から用心棒の依頼があった。だが主の弥八が殺され、番頭が下手人を必死に追いかけるものの、狂四郎はその場から動こうとしなかった。
第13話。てっきり裏の世界の住人かと思っていた狂四郎の活躍が世間の評判となっているのが可笑しいですし、狂四郎が巻き込まれた理由も、第一話で因縁が生じた水野忠成一派が強盗するついでに狂四郎のその評判を落としてやろうと考えていたという、メディアの存在が意識された作品でした。
「切腹心中」(1956.8)★★★★☆
――「眠殿は、切腹の作法をご存じか?」かつて狂四郎を尾け狙ったこともある公儀庭番・小堀藤之進は、居酒屋で出会った狂四郎にたずねた。調書を紛失してしまったため、せめて武士として切腹を許されたかった。だが紛失したはずの調書が主人の林肥後守のところに届いていると聞き、子細を知りたかった。
第16話。かつての敵が切腹の作法をたずねるという魅力的すぎる発端と、切腹に関する蘊蓄――フィクションのなかの「侍」や「武士道」のイメージを喚起する題材が詰まっていました。紛失した調書の謎は他愛のないものですが、人妻を寝取るために、盗むふりではなく実際に密書を掏らせるというのはリスキーすぎて間抜けですらありました。
「皇后悪夢像」(1956.12)★★☆☆☆
――異様な表情の神功皇后像を見つけた眠狂四郎は事件を知った。神子くらべの候補お幸が殺され、恋仲だった手代が捕まった。もう一人の候補お糸の母おりんは娘可愛さのあまり丑の刻参りをしていたが、三人目の候補おのぶが焼死体で見つかると、付け火をしたかどでお糸もろとも火あぶりにされた。
第35話。美女コンテストの最終候補三人が三者三様に殺されてそして誰もいなくなったという発端は文句のつけようなく素晴らしいものです。特にお糸の殺され方は、黒幕による操りの風格がありました。それなのに。動機が弱い。眠狂四郎にも突っ込まれていますが、たまたま夢を見たからというのでは狂気の域にすら達していませんでした。
「湯殿の謎」(1957.3)★★★★☆
――水野越前守の上屋敷内の湯殿で二週間の間に奥女中が三人も急死する事件が起こった。眠狂四郎が調べたが、死因はわからなかった。同じころ、天皇玉璽を盗んだら典侍にしてやると、公儀庭番衆が静香に迫っていた。
第44話。「禁苑の怪」にも登場した静香という人物がふたたび登場します。やはり関係性がよくわかりません。これまでの作品と比べてチャンバラシーンが長く、しかも目をつぶって斬り結ぶというケレン味たっぷりの内容でした。これまで以上にエログロ度が高いうえに、無茶苦茶なトリックが用いられていました。
「疑惑の棺」(1957.5)★★☆☆☆
――「いってえ何をおさがしで?」金八がたずねると、「石地蔵を掘るのだ」と狂四郎は答えた。金六十貫の埋蔵を確かめた狂四郎がふと目を上げると、葬列が進んでいるのが見えた。「仏が棺の中に寝ていないとは、さすがは風流の根岸の里だな」「え?」金八が確かめると、病に臥せった主人が行者から「蘇生すべし」と言われ、生き乍ら盛大な葬式をいとなんだという。
第56話。恐らく前数話で金六十貫の絡んだ話があったのでしょう、この作品だけ読んでもちんぷんかんぷんです。メインとなるのは棺が空っぽの葬列です。人物入れ替わりなんて小説のなかだけの出来事ですが、この作品の場合リアルなのか、艶笑っぽさを出したかっただけなのか。
「妖異碓氷峠」(1957.8)★★★★☆
――農民一揆の残党が移り住んだ一揆村。付近には化物が出るという噂があった。狂四郎が温泉に浸かっていると、胡桃大の目玉をした七尺余の化物が現れ、村の妊婦三人を攫っていった。瘴気に当てられ気絶してしまった狂四郎は、目を覚ますと怪物退治を宣言した。
第69話。一揆村の伝承といい狂四郎の前に現れる化物といい、かなり怪奇色の強い作品です。七尺という時点で人間としてあり得ない身長ではないとはいえ、長身には違いなく、その長身の理由が大きな目玉の理由ともども説明されると同時に、(盲目であるという)犯人像に直結しているなど、怪異の説明が秀逸でした。
「家康騒動」(1957.9)★★★★☆
――甲府で粋人の田嶋屋と遭遇した狂四郎は、競りで手に入れたという家康自筆の天照大御神の絵を見せられた。勤番御支配の松平大内蔵の家に伝わるものだったが、先ごろ同じ絵がほかに二つ見つかったという。そこで好事家が集められ、三つのなかのどれが真筆かはわからぬまま競りがおこなわれたという。真贋を問われた狂四郎は一目で判断を下したが、その夜、宿から絵が盗まれた。
第70話。本書前半の白眉です。家康の自筆画と三枚の贋作というロマン溢れる設定に、コレクター心理を巧みに突いた詐欺の手口が描かれていて、魅力的な発端と合理的な解決というミステリの形が手堅くまとまっていました。ただし黒幕の倒錯趣味は、もはや完全に作品とは無関係の艶笑的作風の一部のようです。
「毒と虚無僧」(1957.9)★★☆☆☆
――食べ物に気をつけろ、と告げた虚無僧の言葉通りに、宇野屋で凶事が起こった。結婚祝いに届けられたカステラを食べた家族が苦しみ出し、主人の数右衛門が命を落とした。虚無僧を見つけ出すと息巻く金八を尻目に狂四郎が宇野屋を見張っていると、命拾いした婿と嫁が口づけを交わし始めた。
第74話。いかにも怪しい虚無僧の扱いがレッドヘリングだったり、意味があるのかよくわからないながらもキャッチーな二番目の殺人方法だったりと、面白いところはあるものの全体的に地味な作品でした。
「謎の春雪」(1958.2)★★☆☆☆
――刺青に異様な執着を見せる刺青師の弥太兵衛は、きれいな肌の女にむりやり刺青を彫ることもたびたびだった。雪の降ったその日、土蔵の扉に手を掛けたまま背中を刺された弥太兵衛が見つかった。土蔵の中には縛られた女しかおらず、雪の上には弥太兵衛の足跡しかなかった。
第95話。雪密室です。ナイフ投げの女というあからさまに怪しい容疑者と、シンプルな物理トリックといった手堅い作りの作品です。それにしても歓喜天はともかく河童の刺青は可哀相。
「からくり門」(1958.3)★★★☆☆
――唐鐸奉納の正使である掌侍が茶亭で過ごしている間に、貴賓座敷にある白木箱の中から唐鐸が消えていた。茶亭からは座敷が見通せたし、目を離したのはほんの一分ほどに過ぎなかったはずだ。
第98話。屋敷の全体像が目に浮かばないのでいまいちトリックがわかりづらかったのですが、「神の灯」的なトリックを屋敷内でおこなっているところが見事です。江戸時代のお屋敷だからこそ可能なことで、現代日本を舞台にしようと思うと「謎の建築家が建てた別荘(笑)」でないと実現不可能です。
「芳香異変」(1959.3)★★☆☆☆
――仙十郎から再び雛人形がらみの仕事を指示された狂四郎。ただし今回は盗むのではなく守るのだった。だが警護する狂四郎たちを眠気が襲う。怪しい間者を斬り捨てた隙に、雛の提げている薫香の玉が消えていた。
眠狂四郎の第二期である『無頼控 続三十話』の第10話。通算第110話。薫香器を盗んだ動機が前代未聞でした。「湯殿の謎」にも似た、こういう阿呆らしいちょいエロが狂四郎シリーズの特徴でもありますが……。狂四郎が容疑者の女中67名に好きな和歌を言わせたのは、時間かせぎをして犯人が我慢できなくなるのを待っていた――ということでよいのでしょうか?
「髑髏屋敷」(1959.3)★★☆☆☆
――年齢不相応に矍鑠とした老人を見かけた狂四郎は、跡をつけることにした。付近では犬や子どもが原因不明の死を遂げていた。歩を進める狂四郎の前に、大気の円柱が襲いかかった。
続三十話の第11話。どれだけ馬鹿らしくても合理的な解決が用意されていたこのシリーズにあって、超自然的な真相が描かれていました。それを言うなら「芳香異変」も未知の媚薬が用いられており、続編になってネタ切れ感が感じられます。
「狂い部屋」(1959.6)★★☆☆☆
――狂四郎が講談を聴いていると、前の席の女がふと立ち上がり「地獄《いんへるの》へ――」と言って姿を消した。後を追った狂四郎がある屋敷にたどり着くと、気の狂った武家の娘が木の上から狂四郎を狙って来た。狂四郎は女に事情をただした。
続三十話の第25話。バカミスというと大抵はバカトリックなのですが、まれに見るバカ論理バカ動機でした。子孫を残すため回春に執着する老爺が、目の前でさまざまなエロ行為をおこなわせていたというだけでも悶絶ものなのですが、狂四郎がそれに巻き込まれた理由というのが、信仰に男を取られた女が「悪魔祭」に出てきた狂四郎に生き写しのきりすと像を盗んで溜飲を下げて(なおかつ張り形に使って)いたという、ミステリでもエロでも時代小説でもないカオスな作品でした。
「恋慕幽霊」(1959.7)★★☆☆☆
――鼠小僧次郎吉がある屋敷に忍び込むと、手足を縛られた姫君が虚空を見つめていた。狂っているのでないことは、その澄んだ顔つきから明らかだった。実は失態を犯した使番が切腹の際、武家の妻たる修行として見分していた姫君と目が合い、その夜から姫君の夢に死んだ使番が出てくるようになったという。
続三十話の第27話。探偵役が事件を利用して無関係の二者を引き合わせて一石二鳥を狙うという趣向は面白く、しかも実は事件なんて起こってはなく、ただ暗示に掛かりやすい姫君がいただけというのだから、狂四郎の狡賢さだけが光ります。まんまとおびき出された修験院御嶽坊というのは恐らくライバル組織的な何かなのでしょうが、シリーズを通して読まないことには、放り出されたような印象しか残りませんでした。
「美女放心」(1963.4)★★★☆☆
――眠狂四郎が六人の刺客に襲われた。武部仙十郎の屋敷に間者が入り込み、水野忠邦の手文庫から五年を費やし調べた上納金不正の証拠が盗まれた。狂四郎に間者を突き止められるのを厭うてのことだった。忠邦が後見した中臈千佐が将軍の子を懐妊し屋敷に挨拶に来るため、紛れている共犯者に盗まれたものを手渡されてしまう恐れがある。
第四期『殺法帖』の第1話。いきなりチャンバラから始まる威勢のよさや、盗品の引き渡し手段という謎に絞られたわかりやすさなど、面白そうに思えたのですが、謎の真相が期待はずれで拍子抜けでした。
「消えた兇器」(1962?)★★☆☆☆
――湯槽に浸かっていた内蔵助が急にぶくぶくと沈んだかと思うと、湯槽はたちまち血の海になった。背中を刺されていたが兇器は見つからない。内蔵助は以前から脅迫を受けていたため、湯番の女中も検査を受けてから湯殿に入っていたため兇器を隠し持つこともできないし、外から紐つきの短剣を投じて回収したのなら板壁に血汐が付着しているはずだった。
のちに『眠狂四郎京洛勝負帖』に収録。「美女放心」もそうでしたが、構成がすっきりした分、トリックの粗が目立つ結果になってしまっています。ガチガチの本格ミステリでない作品に不可能犯罪の必然性を求めるのは筋違いなのでしょうが、どうしても気になってしまいます。
「花嫁首」(1963.1)★★★☆☆
――奥祐筆の次男・耀次郎と料亭の一人娘・素江の婚礼の日、花嫁が殺された。それも首を斬られて失くなっていた。耀次郎の球根を突っぱねていた勝気な素江が、どうした心境の変化か結婚を受け入れた矢先だった。狂四郎が死体の股に指を突っ込むと、指に血がべっとりとついた。だが新郎の陰部には血はなかった。
『殺法帖』連載前に掲載された読み切り作品。のちに『眠狂四郎京洛勝負帖』に収録。単純な犯罪計画が予期せぬ第三者の介入によって奇怪な様相を見せるという構図からは、かなりミステリに手慣れた印象を受けます。『大坪砂男全集2 天狗』所収の都筑道夫のエッセイによれば大坪砂男がプロットを提供した狂四郎ものは「題名は失念したが(中略)長篇のひとつかふたつ」ということなのでこの作品ではないのでしょうが。
「悪女仇討」(1960.2)★★★☆☆
――おれが白い土の斜面に仰臥していると、遠く、街道に、女の悲鳴があがった。男に追われた女が「良人の敵でございます。お助太刀を――」と助けを求めた。おれは女の体を報酬に助太刀をしてやった。切り取られた死体の指を見た城代は、仇討相手に間違いないと認めたが、何かおかしい。果たして討たれた男の懐からは、別人の名前の書かれた手形が見つかった。
『小説新潮』1960年3月号に掲載。のちに『眠狂四郎京洛勝負帖』に収録。狂四郎の一人称による読み切り作品。連作版ではすっかり正義の味方っぽくなってしまった感のある狂四郎でしたが、この作品では女の体を報酬に求めて成り行きではなくわざわざ犯し、勘違いで人を殺しても悪びれもせず「身から出た錆」と言い放つアウトサイダーとして描かれていました。ブラウン神父ものにでもありそうな、“ちゃんと調べればすぐにわかる”人物誤認が扱われていますが、江戸時代が舞台であることで科学的系統的捜査のメスは入らず、なおかつ他藩で仇を討ったため証拠となるのが頭髪と指だけとなり、誤認に不自然さがありません。
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