『一の悲劇』法月綸太郎(祥伝社文庫)★★★☆☆

『一の悲劇』法月綸太郎祥伝社文庫

 1991年初刊。法月綸太郎シリーズの第四作。

 誘拐被害者の父親である山倉史郎の一人称で綴られています。タイトルの一とはその一人称およびダイイング・メッセージに由来するようです。

 広告代理店部長の山倉史郎の職場に妻の和美から電話がかかってきます。息子の降史が誘拐された、だが降史は二階で寝ているというものでした。支離滅裂な妻の言葉を確認するため帰宅した山倉は、降史と間違われて同級生の冨沢茂が誘拐されたのだと知ります。茂の母親・路子は元看護婦で、妊娠した和美の入院先で知り合いました。和美が死産して精神のバランスを崩していた頃、関係を持ってしまった相手でもありました。路子の方は史郎を忘れられず、茂は自分たちの子だと言って復縁を迫り続けていました。

 犯人からの要求は六千万円。誘拐されたのが別人だとは犯人に気取られないよう、史郎が身代金を用意し、警察からの助言を無視して一人きりで受け渡し場所に向かいます。犯人からの電話指示で散々街中を引きずり回された挙句、ようやく知らされた受け渡し場所に向かう途中、あろうことか史郎は夜の階段で転倒し、気を失ってしまいます。一時間も失神していた史郎を待っていたのは、約束を破ったから人質は殺したという犯人からの無情な電話でした。

 「あなたが、茂を殺したのよ」路子からそう非難されても、自分にはそういう気持ちもあったかもしれないと史郎は自分を責めるのみでした。

 けれど茂が身代金の受け渡し失敗前にすでに殺されていたことが判明し、事件現場の目撃情報から、和美の妹・次美の夫だった三浦靖史の存在が浮かび上がります。次美の死後は自暴自棄になり、息子の降史を養子として引き取った史郎・和美夫婦のことを恨んでいました。

 しかし三浦には鉄壁のアリバイがありました。誘拐時刻にも殺害時刻にも法月綸太郎といたというのです。

 著者あとがきによると、志水辰夫の文体と原尞のプロットに影響を受け、設定はアメリカの合作者Q(パトリック・クェンティン)を下敷きにしているとのこと。なるほど無駄に複雑なプロットは原尞、設定はパトQの作品タイトルそのまんまです。

 作中でも言及されているように『天国と地獄』(キングの身代金)のような誘拐事件に端を発する悲劇は読みごたえがあります。犯人の真の目的【※はじめから茂殺害が目的だった】に見当はついたにしても、鉄壁のアリバイや密室の殺人現場、臨機応変な殺人といった、犯行方法や犯人像など事件の全体像は不明のままです。

 そのアリバイの証人として法月綸太郎が事件に関わってくるのが面白いです。ヒーローの登場と障壁が立ちはだかるのが同時なのには笑ってしまいました。

 電話と殺害どちらのアリバイ工作も大胆不敵なもので、前者の方法は文字通り法月綸太郎を利用した人を食ったものですし、後者の殺害方法は前者同様ですがそこに【「妖魔の森の家」その他のような死体遺棄を加えることでさらに大胆なものになっていました。

 悲劇の色を濃くしているのは、語り手による不倫と不義の子による罪の意識です。自分は茂の死を望んでいたのではないか、という自責の念はわけがわかりませんが、それくらい精神的に追い詰められている、ということなのでしょう。さらには路子の暴走がドラマを盛り上げていました。愛する家庭を崩壊させられるのではないかという恐怖が、事件の真相究明と同じ密度で迫ってきます。

 「わたしは、この平和を守ってみせる。和美を、降史を、わたしの家族を守らなければならない。(中略)茂を殺した犯人をこの手で暴き出すことである。そして、路子の中に鬱積した、わたしに対する憎悪のエネルギーの全てを、殺人犯ひとりに向けて解き放つのだ」(p.164)。

 なんと身勝手で歪んだヒーローでしょうか。この小説の特徴として、語り手が身勝手なところが挙げられるでしょう。妻に謝罪するにしてもいちいち言い訳めいた余計な言葉で飾らずにはいられない人間なのです。そんな身勝手な人間でも愛してくれる妻だからこそ、悲劇が際立つというところでしょうか。

 しかしながら、本格ミステリには避けられないパターンとして本書は、途中までは傑作――タイプの作品でした。【冨沢耕一】犯人説はともかくとして、それ以外の【山倉史郎】にしても【門脇了壱】にしても【山倉和美】にしても、茂を殺害する動機が到底納得できるものではありません。明らかに、複雑なプロットに合致するように動機の辻褄を合わせたせいでしょう。

 「あなたが私の息子を殺したのよ!」山倉史郎は狂乱する冨沢路子の前に絶句した。それは悲劇的な誤認誘拐だった。犯人は山倉の子と誤って、同級生の路子の子を拉致したらしい。しかも身代金授受に山倉は失敗、少年は骸となって発見されたのだった。鬼畜の仕業は誰が、なぜ? やがて浮かんだ男には鉄壁のアリバイがあった。名探偵法月綸太郎と共にいたというのだ…。(カバーあらすじ)

 [amazon で見る]
 一の悲劇 


防犯カメラ