『ミステリマガジン』2024年7月号No.765【令和の鉄道ミステリ】
「幸運の境界」山本巧次 ★★★☆☆
――親の遺した不動産収入で不自由なく暮らしている芸術気取りが自宅で殺された。喜瀬川健一、三十九歳、現場にあったブロンズ像で頭を殴られていた。第一発見者は裸婦像のモデルの一人。被害者は女癖が悪いと評判で、発見者以外の二人のモデルとも付き合っていたらしい。真駒内の主婦にはアリバイがあった。三人目のモデルに会いに函館まで出張すると、北浦佐緒里は死亡推定時刻の直前まで喜瀬川と一緒にいたことを認めた。夫が不倫に気づいていたらしいとの証言から、夫に容疑がかかるが、十時に犯行現場にいたとしたら、防犯カメラに映っている十二時半に新函館北斗に戻ることは不可能だった。
犯行可能な移動手段が存在しないという古式ゆかしいアリバイもの。とは言え、ある事情により近未来である必要があります【※新幹線札幌開通に伴う試乗車を利用した。】。トリックを成り立たせるだけなら架空の都市や鉄道が舞台でもいいと思うのですが、恐らく鉄道マニア的には来たるべき近未来で確実に存在し得るリアリティが重要なのでしょう。
「祝!北陸新幹線 金沢-敦賀 延伸開業 北陸を主要舞台にした鉄道ミステリ」佳多山大地
「暴走機関車で楽しい旅を〜最近の鉄道ミステリ映画を中心に〜」小山正
「4番線最終列車」界賀邑里
見覚えのある名前だと思ったら、オガツカヅオも寄稿していた『ホラーコミック レザレクション vol.1』の寄稿者でした。
「石破茂氏インタヴュー」
いくら鉄道好きとはいえなぜ石破氏なのかと思ったのですが、意外と言っては失礼ですが、意外なほど面白くて驚きました。普段からしゃべり慣れているからでしょうか、やはり政治家は話が上手なようです。実在する鉄道の登場するミステリを読む楽しみと現代の読者には勧められない理由、時刻表トリックと政治活動の共通点など、単なる感想ではなくポイントを押さえた着眼点なのには敬服します。
「無賃乗車お断わり」コーネル・ウールリッチ/田村義進訳(You Pay Your Nickel,Cornell Woolrich,1936)★★★☆☆
――ディレイニーは始発駅に着くまで新聞を読み始めた。〝ファントム〟なる盗賊がビルで包囲されているというニュースが載っていた。ひとりで五軒のオフィスを荒らして警備員を殺し、都合五十万ドルの現金を奪いとったらしい。ディレイニーは始発駅に着くと、第三列車の後部車輛に車掌として乗りこんだ。終着に着くと最新の新聞を買った。ファントムは非常線を突破し、地下鉄を利用して逃げたらしい。一本まえの列車だった。つぎの駅で五輛が連結され、ディレイニーの持ち場はひとつ後ろの車輛にうつった。ふと乗降口を見ると見慣れぬスーツケースがある。ファントムが警官から逃げる途中で一時的に荷物を置いて、あとで回収しに来るのだと気づいた。つぎの駅。つぎの駅でもなにもなかった。つぎの駅で乗客ともめている間に、気づくと荷物がなくなっていた。ソフト帽をかぶった男が移動していた。「待て!」。途端に鋭い音とともに、扉のガラスが粉々にくだけた。
1980年8月号掲載作の再録。追われる側ではなく追う側のサスペンスというのはちょっと珍しい気もします。しかも命を賭けてまで追う理由がよくわかりません。しかし細かいことはさておき、地下鉄という狭く限られた暗い空間内でのサスペンスには手に汗握らされました。
「五時四十八分発」ジョン・チーヴァー/田口俊樹訳(The Five-Forty-Eight,John Cheever,1954)★★★☆☆
――ブレイクがエレベーターから出ると彼女がいた。彼を待っていたらしいが、彼にはなんの用もない。そのまま無視して駅に向かった。途中、ウィンドウに彼女の姿が映った。つけられているのではないか、危害を加えようとしているのではないか。彼はバーに入ってやり過ごしたあと、駅に向かった。六ヵ月前、秘書として雇った。数日後、彼女は八ヵ月病院にはいっていたことを打ち明け、感謝を述べた。彼はその黒い髪や目に好感を持った。有能だったが、粗雑な筆跡だけは好きになれなかった。三週間後の夜、彼は彼女を酒に誘った。一時間後、服を着ながら彼女のねじれた文字を見た。翌日、彼は彼女を解雇した。彼女を見るのはそれ以来だった。列車に乗ってしばらくすると、「ブレイクさん」と声がした。彼女だった。名前も思い出した。「やあ、デントさん」彼は隣の車両に移ろうとした。「逃げようとしないで。お話がしたいだけ。動かないと殺します。お願い!」
1982年9月号掲載作の再録。他人を軽んじて来た男が受ける手痛いしっぺ返し。いざというとき誰からも相手にされずに追い詰められてゆくのも当然です。しかしそれでも自己愛に満ちた男には響いていません。この、現実にもいる気持ち悪い人間の絶妙なリアリティが見事です。訳語でわからなかった点をいくつか。「ポケットブック」というのは、ここではハンドバッグのことを指すようです。ファッション用語としてはメジャーなのでしょうか。「チキン・リキン」とは絵本『Chicken Licken』の主人公のヒヨコ。『チキン・リトル』とも。リキンは頭に木の実がぶつかったのを、空が落ちてくると勘違いして大騒ぎする。
「迷宮解体新書(140)夕木春央」村上貴史
『絞首商会の後継人』でメフィスト賞を受賞。「探偵の動機を意識することが多い」だったり、『十戒』の設定に於ける「犯人を見つけてはいけない状況下での連続殺人」だったり、なかなか着眼点が面白そうな方です。
「ミステリ・ヴォイスUK(143)宇宙・地球・神」松下祥子
「書評など」
◆『Shirley シャーリイ』は、シャーリイ・ジャクスンの伝記映画。サスペンスとしても観れるそう。
◆『ポケミス読者よ信ずるなかれ』ダン・マクドーマンは、タイトル勝ち。文庫化されたらどうするんだろう。「メタフィクションめいた趣向を駆使した作品だが」「その根底にあるのは、オーソドックスな謎解きミステリを志向する精神」とのこと。
◆『両京十五日 Ⅱ 天命』馬伯庸は、『Ⅰ』に続く完結編。『ウナギの罠』ヤーン・エクストレムは、界隈では名のみ知られていたスウェーデンの密室ミステリの古典。『夜の人々』エドワード・アンダースンは、チャンドラーが「これまで書かれた犯罪小説のなかで最高の一冊」と評したノワール小説の古典。
◆『それは令和のことでした、』歌野晶午、『冬期限定ボンボンショコラ事件』米澤穂信は、いずれもベテランの新作。
◆古典新訳からは、『グリーン家殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン、『プレイバック』レイモンド・チャンドラー。謎めいた遺作は、新訳で読んでもよくわからなかったそうです。
「おやじの細腕新訳まくり(35)
「クランシーと数字の謎」ロバート・L・パイク/田口俊樹訳(Clancy and Paper Clue,Robert L. Pike,1962)★★★☆☆
――午後九時。五二分署。マーティン巡査がひとりの男を引っ立ててきた。三人組に襲われ銃を奪われ、二人は逃げたが一人は捕まえた。だが男はいっさい口をきかなかった。9/14/60――300/11.20/26.78.という紙切れ。クランシー警部補は警部に電話した。「銃を奪われたとは、まずい時期にまずいことが起きたものだな」警部の言う通りだった。誰もが国連の警備に借り出されていた。
ロバート・L・フィッシュの別名義。基本的には警察小説ですが、暗号めいたメモが登場し、そのメモがきっかけで犯人たちのターゲットがわかる仕掛けになっていました。【※数字は、当時のある国との為替レート】
「華文ミステリ招待席(15)
「メビウス荘園の奇妙な事件」林星晴/阿井幸作訳(莫比乌斯庄园奇案,林星晴,2023)★☆☆☆☆
――韋水寿《ウェイ・シュイショウ》は粒子輸送センサーをオンにし、実験ビルへテレポートした。「嘉《ジア》さん、また事件について助言をもらいたく……」「博士と呼ぶように。さて、今回はどんな事件だね?」「今回の事件はやや特殊で、不審な点が全く見当たらない自殺事件なんです。でも自殺の李湯がいくら考えても分からないんです」韋は周柏林《ジョウ・バイリン》という大衆小説家が書いた日記のリンクを送信した。鐘青司《ジョン・チンスー》という建築家が六年の歳月を費やした、メビウスの帯のような別荘地メビウス荘園に、三人の当選者が宿泊体験に招待された。周柏林、若く美しい旅行家兼撮影家の庄子謙《ジュアン・ズーチェン》、陳明生《チェン・ミンション》という間欠性爆発性障害を患っている男性だ。さっそく朝食が始まったが、鐘は歯が悪いといって白がゆしか食べなかった。その後、スノーバイクに乗って人工雪のなかを荘園を一周することになり、安全のため一人ずつ、鐘が付き添うことになった。ところが一人目の陳のときスノーバイクが故障してしまい、それ以降は転移することになった。
著者名はリン・シンチン? 一応、SFでなければ成立不可能な館ものではあります。SF作家による館もの批判(?)に応える形で書いたそうですが、登場人物の口からそれっぽいことを言わせているだけで、作品そのものはまったく回答になっていません。著者がメビウスの輪トリック【※メビウスの輪を一周すると反転する】をやりたかっただけで、犯人がその犯行方法を選択する必然性もなければ、被害者はいずれどういう形であれ死を迎えていたとはいえ【自殺した】のは結果論ですし、館ものやトリックどうこう以前に作品としてまとまっていません。たぶん真面目に反論するつもりはなく、ネットのノリでプロレスしているだけのような気もします。
実際、p.306では「博士がこれ以上じらす気でいたら、彼は本当に土下座しただろう」と書いた直後に「絨毯の上にひれ伏した」と書かれていて、初めは意味が取れなかったのですが、その後のAI探偵とのやり取りを読むかぎりでは、どうやらギャグで書いてあるつもりのようですし、全体も恐らくジョークなのでしょう。
p.297で、陳明生が口の中のものを吐き出したあとであとでおかゆを六杯食べたというのも意味不明でした。トリックによって【消化できない身体になっていた】というのはわかるのですが、だからと言って吐いた直後にノーリアクションで食べ続けるのが理解不能で、【精神障害】という犯人像とも関係なさそうですし、シュールな世界を狙っているとでも考えないとまるでわかりません。
p.293で「「陳さんはどうですか?」庄子謙さんが笑顔で尋ねた。「私も疲れたから、周さんと一緒に休んでいます」」とある直後に、鐘青司が「では陳さん、一緒に荘園スキーはどうです?」とたずねているのもしらばく理解に苦しんだのですが、これはたまたまカギカッコの前で改行されているだけで「私も疲れたから……」は陳さんの応答ではなく庄の台詞の続きなのだ、とわかるまでしばらくかかりました。
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