『日曜は憧れの国』円居挽(創元推理文庫)★★★☆☆

『日曜は憧れの国』円居挽創元推理文庫

 『Sanday Quartet』Van Madoy,2016年。

 カルチャー教室で出会った学校も性格も違う中学二年生4人が遭遇する日常の謎5篇。『10月はたそがれの国』みたいなタイトルですが、「憧れの国」とはカルチャー教室を主宰している文化センターのキャッチコピー「憧れの国へようこそ」に拠ります。
 

「レフトオーバーズ(2015)★★★☆☆
 ――カトリックのお嬢様校に通う暮志田千鶴は成績が落ちたせいで、いろいろな講座が体験できるトライアル5コースの料理教室を受講するはめになった。同じ班には小学生のような外見のムードメーカー先崎桃、お調子者でそつのない神原真紀、憧れの娘心館の制服を着た落ち着いて大人びた三方公子がいた。ドラフト方式で食材を選んでカレーを作ることになったが、ほかの班は電子レンジの順番を巡ってトラブルになっている。どうにか作ったカレーを食べ終えたころ、足許でタイマーが鳴った。見ると財布が落ちていた。主婦グループのもので、三万円がなくなっていた。

 引っ込み思案の千鶴が犯人扱いされて弁解したことから自己嫌悪に陥り、そこで気づきと成長のきっかけが生まれます。自分は犯人ではないと弁解したからといってほかの三人を犯人扱いしたことにはならないと思うのですが、そういう考えすぎなところも千鶴という人間の性格なのでしょう。タイマーがないことから熱の通しすぎに気づき、味見した講師も逆の過程で犯人を見抜いて庇おうとしたという推理にしても、資金を貯めて金欠のはずの講師が少なくない金額を立て替えたという行動から、ドラフト方式に潜んでいた本当の意味【※ほかの教室で余った食材を使うことで今回の食材代をまるまる懐に収めた】を推理した点にしても、ライトな装いとは裏腹に、伏線と手がかりの堅い作品でした。タイトルは、真紀が自作のカレーを「余り物料理のできそこない」と評したのに対し、講師の旗手が「大丈夫だ。レフトオーバーズを美味くできなくて何がプロだって話さ」「余り物のことを英語でそう言うんだよ」に由来し、無論ドラフト方式の本当の狙いをも意味しています。
 

「一歩千金二歩厳禁」(2015)★★☆☆☆
 ――桃は将棋教室で駒子との多面指しの真っ最中だった。駒子は小学五年生ながら高校の将棋部員と対等に指せるほどの腕前だ。……どうにかズルをしよう。4七歩なら自陣の駒が多いから誤魔化せるかもしれない。駒子は二つ向こうの席で公子と対戦中だった。桃はトイレに行くふりをして教室の外に出た。二分半待ってから教室に戻り、湯飲みのトレイに時限爆弾を仕掛けた。果たして駒子が桃の前に腰を下ろした直後、湯飲みが落ちる大きな音がした。皆の視線が向こうに向いているのを確認し、桃は駒台に手を伸ばした。……教室が終わると、駒子が泣いていた。

 行動的ですが後先を考えるのが苦手な桃が、気を遣ったつもりで相手に気を遣ったのを見抜かれて却って傷つけてしまうという、わりと当たり前の内容でした。桃の家が貧乏なため昼食にお弁当を作るというエピソードにより、前話の料理教室がちゃんと活かされていました。今回の講座はゲームで将棋に自信のあった真紀の指定。
 

「維新伝心」(2015)★★★☆☆
 ――神原真紀は欠伸を噛み殺して話を聞いていた。今回の講座は桃のチョイスだ。真紀はそこまで日本史好きではなかったが、ゲームに出てくる維新志士や新選組の話が聞けるならと了承した。けれど「江戸幕府を完成させた者たち・維持した者たち・崩壊させた者たち」という話を聞いていると気が遠くなりそうだった。そのとき、講師の因幡が胸を押さえて苦しみ始めた。因幡は救急車で運ばれ、講座はお流れになった。因幡は「幕府を崩した者たち」をどのように考えていたのだろうか。二手に分れて調べるうち、因幡は現理事と教育方針を巡って対立していたことがわかった。もしや理事が毒を持ったのでは――。

 自分が平凡だと自覚して人生をゲームになぞらえハイスコアを目指そうと要領よく立ち回る真紀が、家康の教えを頑なに守ったがゆえに諸外国に遅れを取って崩壊してしまった江戸幕府の存在を知り、このまま突き進んでいいのかと考え直します。そして未来を考えていた者たちが潰されて潰した者たちが評価される江戸末期の幕臣が、前理事の因幡と現理事の教育&経営方針とも重ねられていました。
 

「幾度《いくたび》もリグレット」(2015)★★★☆☆
 ――公子がカルチャー教室を申し込んだのは、この『奥石衣の小説講座』のためだった。彫刻が評価された木こりは彫刻を作れなくなり、いつしか注文されるがままに作った家具や家ばかり評価されるようになった。そして彫刻の注文は来なくなった。気づけば老人は病に冒されていた。「今のわたしに作れるのは自分の墓ぐらいかもしれないな」。そんな老人の言葉に、旅人はどんな言葉をかければ良いのだろう? それが講座の課題だった。彫刻家の老人とは、明らかに奥石衣自身のことだ。提出は明日だというのに未だに公子には正解が解らない。

 頭脳明晰で教養も決断力もあるがゆえに挫折を経験したことがない公子が、落ち込んでいる人にかける言葉を知らず、いわば初めての挫折を経験します。公子には出来なかったことを出来たのは、引っ込み思案で地味な千鶴でした【※「こうすべき」ではなく「ただ次がある」と言ってもらえたのが嬉しかった】。千鶴で始まった物語は、こうして再び千鶴に戻って一巡りしました。
 

「いきなりは描けない」(2015)★★☆☆☆
 ――四ツ谷駅にほど近い外濠公園。その一角にある野外用テーブルで、四人の少女が顔をつきあわせていた。五つ目の講座を何にするか話し合っていたのだ。そのとき風に吹かれて丸めた紙が千鶴の足をかすめていった。広げてみると皇居の絵だった。どこか高い場所からのアングルだ。裏面には「助けて」という文字が浮かんでいた。

 四人それぞれの視点で描かれた四篇が終わり、この最終話では前話でバトンを戻された千鶴が再びスタートを切って、アンカーの公子がやはり千鶴を誘い、バトンを次に託してゴールしました。【気象予報士講座から雲の高さとビルの高さ、ペーパークラフト講座から紙飛行機の飛距離とビルまでの距離、スケッチ教室から持ち歩きには適さない紙のサイズと大きすぎて飛ばない飛距離】と、各自がそれぞれカルチャー教室を利用して絵の主を探してゆく過程は、少年探偵団のようなわくわく感がありました。しかし自分には才能がないと信じて発作的に絵を丸めて捨てた浪人生が、見ず知らずの人間に強く説得されたからといってあっさり気持ちを切り替えるのは、荒唐無稽と言ってもいいと思います。最後だからきれいにまとめたいのはわかるのですが、そらぞらしくなってしまいました。

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