『死んでも治らない――大道寺圭の事件簿――』若竹七海(光文社カッパ・ノベルス)
2002年初刊。
退職した元刑事・大道寺圭は、知り合いの編集者にせっつかれて『死んでも治らない』という本を出版します。現役時代に遭遇した間抜けな犯罪者について面白おかしく綴ったものでした。そうして作家になってからも間抜けな犯罪者との縁は切れず、大道寺圭は5つの事件に遭遇します。5つの事件に挑む大道寺圭にはダークヒーローの面があり、各章のあいだに挟まっている単行本書き下ろしの挿話「大道寺圭最後の事件」によってその辺りの事情が明らかにされていました。
「大道寺圭最後の事件」(2002)
――川辺でフリーライター藤野由貴が撲殺された。生死の確認をせずとどめを刺さずに立ち去っているため素人のしわざと思われた。被害者の部屋の留守電にはUNS出版の彦坂夏見からのメッセージが残されていた。大道寺圭の幼なじみの編集者だった。
単行本書き下ろしパート。警察官時代の大道寺圭が最後に手がけた事件であり、作家になった大道寺圭が巻き込まれた事件の犯人や関係者たちとの因縁が明かされるという仕掛けも用意されていました。
「死んでも治らない」(2000)★★★★☆
――講演が終わったが、サイン本を購入したのは〈トレイシー・ローズ〉と自称するスキンヘッドの大男だけだった。駐車場で車に乗り込んだ大道寺は、その大男にナイフを突きつけられた。自分は密室で相棒を殺したまぬけな犯罪者などではない、嵌められたのだと主張する男は、大道寺に犯人をあぶり出せと迫った。……相棒と連絡が取れず、サブというお調子者と組んだのが間違いだった。強盗に失敗してサブの知り合いがやっているというホテルに身を隠した。翌日、目が覚めるとトレイシーの手には撃ち尽くした銃が握られ、床では相棒が死んでいた。
間抜けな犯罪者のエピソードのなかに埋もれさせることで、トレイシーも間抜けな犯罪者だと読者に思い込ませるのは、著者の作風と本書の特徴をうまく用いた仕掛けだと思います。実はトレイシーが間抜けだったのではなく、【相棒を騙るサブにホテルまで誘導されていた】というのが真相でした。それでいながら【犯人側の復讐という事情を知る】大道寺にとっては、【まんまと罠に塡まった】トレイシーが間抜けなことに間違いはないわけです。「おじちゃん」と「パパ」【の指すものをトレイシーが勘違いした】のも、日常語だからこそ実際にありそうな、地に足の付いた叙述トリックでした。大道寺が【トレイシーを手に掛ける】のは当初は危険を脱するための不可抗力であり、【かつて仲間を襲撃された怒り】がとどめを刺したものだと読み取っていたのですが、直後の「大道寺圭最後の事件 2」によりトレイシーが【大道寺の妻の仇】でもあったことがわかります。短篇ながら凝りに凝った作品でした。
「猿には向かない職業」(2000)★★☆☆☆
――大道寺と花巻譲二(通称お猿のジョージ)は古いなじみだ。なにしろ逮捕した回数が二十数回。『死んでも治らない』に自分の失敗談を書いたものだから、娘には軽蔑されるし、娘はいじめられて家出してしまった。匿名とはいえ〈うさぎのマックス〉が〈お猿のジョージ〉のことだなんてすぐわかる。責任を取って娘のユカを探してくれ。というのがジョージの言い分だった。ばからしい。大道寺はジョージを追い返して横になり、ベルの音で目が覚めた。刑事が二人立っていた。花巻譲二が殺されたという。大道寺はユカの交友関係を調べるが、友人の山田みいなも急性薬物中毒で既に死んでいた。
いくら何でも〈お猿のジョージ〉父娘が馬鹿すぎて話になりません【※父娘そろって脅迫して娘は脅迫相手に殺され、父親は情報提供を拒んで娘の知り合いに殺される】。犯人特定の理屈も、【〈お猿のジョージ〉と作中作の〈うさぎのマックス〉が同一人物】だと勘違いしていたのは当人と犯人だけ、というのはあまりにも弱すぎます。証拠として弱いという以前に、探偵の想像力というかミステリのロジックとして魅力がありません。自分の犯行のことかどうかがわからない(書籍の記述は誇張だと誤解したというのはあるにしても)というのがもう絶望的に馬鹿すぎて、許せるご都合主義の範囲を超えてしまいました。
「殺しても死なない」(2001)★★★☆☆
――拝敬 大道寺圭様。私は推理作家を目指す者です。ついては私の短編にお目通しいただき不備を指摘していただきたくお願い致します。タイトルは『完全犯罪』と言いますが、素人の私には本当に完全犯罪であるかどうかわかりません。神田靖。十五歳の甥と関係を結んでいる裕福な妻を、事故に見せかけてベランダから突き落とすというものだった。大道寺はあきれながら、抵抗時の傷や妻が摑んだカーテンや手すりのことや目撃者の可能性などを指摘した。だが神田は懲りずに何度も手紙を送ってきた。やがて女性が転落死し、神田靖が警察人連行された。
犯罪を企んでいる人間が元刑事にミステリの添削を頼んで、より確実な犯行計画を手に入れる――という話だとするとさすがに見え見えだよなあと思いながら読んでいくと、実際に事件が起こってしまって驚きました。意外性がないのが意外でびっくりしましたが、さすがにそのまま終わるはずもなく、【上記の筋書きを警察に信じさせようとした真犯人がいた】というひねりがちゃんとありました。本書のほかの作品には、痛い目を見る犯人とそのまま逃げ切る悪人や犯罪者が登場しますが、この作品だけは登場するのが痛い目を見る犯人のみと、ある意味でシンプルな内容なのには変わりありませんでした。
「転落と崩壊」(2001)★★★★☆
――ノンフィクション作家磯部隆仁の遺作を引き継ぐはめになった大道寺は、愛猫連続殺人事件の資料を引き取るため磯部の別荘に向かった。だが籍は入れていないが磯部の妻だと名乗る女性、出版社を騙る二人組の男性、道に迷ったふりをして侵入しようとした悪徳建設会社元社長らが次々に現れた。この家にはお宝でもあるのだろうか。事故死した磯部から山荘の管理を頼まれているという武田保に山荘の鍵を開けてもらい、大道寺は資料を確認したが、めぼしい資料は見つからない。
傍若無人な人々が次から次へと登場するのですが、彼らはやばい人たちには違いないにしても、彼ら視点ではそこまでおかしなことはしていないことがわかります【※お宝目当てで強引に押し入ろうとしているように見えたが、実は犯人が脅迫のネタを餌にして招待していた】。物の見方が反転することによって目の前が開けるのは爽快感があります。本書にはこうした言葉や状況の取り違えによる誤解がいくつか扱われていますが、なかでもこの作品はそれがもっともうまくいった例でしょう。犯人の動機もまた別の取り違え【※大道寺が引き継いだ題材を、犯人自身の事件のものだと誤解して殺そうとした】に由来しており、わざわざ藪をつついてしまった犯人はやはり間抜けと言わざるを得ません。「最後の事件 4」において、藤野由貴が追っていた事件が意外な形で関わっていました。
「泥棒の逆恨み」(2001)★★★★☆
――講演依頼を受けて葉崎に来た大道寺だったが、文化センター職員・野上みぎわを名乗る人物に薬を飲まされ、意識を失ってしまう。目覚めると檻に閉じ込められており、背後から舌足らずな声が聞こえてきた。『死んでも治らない』に間抜けな女の子二人組の美術品泥棒〈マーメイド〉の話を載せられたせいで、仕事をくれる〈蔓〉が仕事をまわしてくれなくなってしまったという。ようやく来た依頼も罠だった。責任を取って大道寺に謎を解けという。兄が騙し取られた家宝の壺を、骨董屋〈芝泉〉のマンションから盗み出してほしいというのがその老婦人の依頼だった。まんまと侵入したマーメイドだったが、壺は持ち運べないほど巨大なものだったためそのまま引き返した。ところが翌日、壺が割れているのが発見された。
依頼人の歪んだロジックと奇想【※自身が持つ家宝の壺の片割れの価値を高めるため、もう一つの壺を間抜けな美術泥棒に盗ませようとすることで、泥棒が壺を割ってしまったように見せかけて壺の破壊を目論んだ】はまるで泡坂妻夫作品のようで、職業的犯罪者よりこの依頼人の方がよほどたいした悪党です。あくどさに輪を掛けているのが【壺を無価値と思わせて保険金目当てに所有者自身に壊させた】ことで、かつて身内が騙された復讐を兼ねてもいるという念の入れようです。「死んでも治らない」にしてもこの作品にしても、犯罪者のおしゃべりを三人称の地の文のように書く工夫がなされていて、作中人物の直接の一人称とも著者が三人称に改めたともつかない文章のなかで言葉による仕掛けを施すのは面白い綱渡りだと思いました。これまでにもちょこちょこ出てきたG班の覚醒剤紛失事件でしたが、結局あの刑事は関係なかったことがわかります。
十七年間勤めた警察を辞めた大道寺圭は、最後に手がけた事件で出会った幼なじみの編集者・彦坂夏見の強引な勧めで、本を出版する事になった。タイトルは『死んでも治らない』。大道寺が出会ったとぼけた事件を書きつづったものだが、その本がきっかけで、大道寺の前に次々と、まぬけな犯罪者が現れ、事件に巻き込まれていく! 〈トレイシー・ローズ〉と名乗るスキンヘッドの大男。通称〈お猿のジョージ〉と呼ばれる、もっとも犯罪者にむかない男。二人組の女泥棒〈マーメイド〉……。
ユーモアのなかに、ブラックなテイストを織り込んだコージー・ハードボイルドの傑作、登場!(カバー袖あらすじ)
その昔、あるコメディ・スパイ映画を見ていたら、やくたいもない秘密兵器がたくさん出てきた。そのなかに〈一見ただのデスク&チェアだが、実は自動車〉というものがあって、主人公は逃げる悪漢を追ってすさまじいカー・チェイス(デスク・チェイス?)を繰り広げていた。猛スピードで走る安楽椅子探偵、という画期的なアイディアが生まれたのは、まさに、その瞬間だった!
――まぁ、さすがにこれは企画倒れに終わり、かわって誕生したのが本書です。でも登場する犯罪者がまぬけばかりなのは、あの映画のせいかもしれません。(カバー袖著者のことば)
著者のことばに書かれた「あるコメディ・スパイ映画」とは『0086笑いの番号』だと思われます。
[amazon で見る]