『奇商クラブ』G・K・チェスタトン/南條竹則訳(創元推理文庫)★☆☆☆☆

『奇商クラブ』G・K・チェスタトン南條竹則訳(創元推理文庫

 『The Club of Queer Trades』G. K. Chesterton,1905年。

 新訳版。チェスタトンの著作としてはかなり初期の作品です。強いて言えばユーモア小説ということになるのでしょうが、ドタバタがあまりにもコテコテで見え透きすぎていて、読んでいるこっちが恥ずかしくなってきます。共通して登場するのは元判事のバジル・グラント。狂気に陥った(と思われて)法曹界を引退した人物です。
 

「ブラウン少佐のとてつもない冒険」(The Tremendous Adventures of Major Brown,1903)★★★☆☆
 ――バジル・グラントの弟ルーパートは私立探偵をしていた。依頼人のブラウン少佐は三色菫の栽培が趣味だった。素晴らしい三色菫があると言われてある家の庭を覗くと、菫で文字が書かれていたという。「ブラウン少佐に死を」。少佐が家に乗り込むと、部屋にはご婦人一人だった。「私は六時まで通りに顔をむけていなければならないんです」。そのとき街路から声が聞こえた。「ブラウン少佐、ジャッカルはどうして死んだ?」

 スティーヴンソン『新アラビア夜話』(1882)とクリスティー『パーカー・パイン登場』(1934)を足して2で割ったような内容で、チェスタトン特有のひねくれた理屈や文章も抑えめです。ロマンスではなく冒険をフィーチャーしている分、パーカー・パインよりも面白く、少佐ならずともジャッカルの正体は気になってしまいます。
 

「赫々たる名声の傷ましき失墜」(The Painful Fall of a Great Reputation)★☆☆☆☆
 ――路面電車の二階でおしゃべりをしていたバジル・グラントが険しい顔で言った。「あそこにロンドン一の悪人がいる。あの眉を見ろ。地獄の高慢をあらわしている」。電車から降りて跡をつけると、男は進歩主義者のボーモント卿の家に入っていった。そこではウィンポールという先ほどの男が老サー・ウォルターを笑い物にして爆笑を取っていた。バジルと私が家の外で見張っていると、ウィンポールとサー・ウォルターが同時に出て来た。

 所謂「やらせ」を悪と糾弾する内容です。その考えに同調するかどうかはともかくとして、バジルが男が悪人である理由をはっきり言わずに思わせぶりにふわふわしたことを繰り返す冒頭シーンにはうんざりしました。
 

「牧師さんがやって来た恐るべき理由」(The Awful Reason of the Vicar's Visit,1904)★★★☆☆
 ――バジルの昔馴染の御婦人の晩餐会でフレイザー船長というチンパンジーの権威に紹介されることになっていた。ところがそのとき来客があった。名刺にはエリス・ショーター牧師とある。「老婦人に変装させられ、犯罪の片棒を担がされるところだったのです……教会の仕事に熱心な老嬢ブレット嬢の主催する集まりに行ったときのこと。モーブリー嬢がジェイムズ嬢に「おめえの番だぜ、ビル」と口にしたのです。帰ろうとしましたが、取り押さえられてしまいました」

 世間知らずの副牧師が犯罪者たちにピントのずれた感想を抱いたり、警官に助けを求めようとして大騒ぎしたり、これまででもっともドタバタ喜劇の色濃い作品でした。奇商としても冒頭の晩餐会が伏線になっているように意外なミステリ味がありました。引き留め屋というのも、ありそうでなさそう、なさそうでありそうという絶妙な職業だと思います。
 

「家宅周旋人の突飛な投資」(The Singular Speculation of the House-Agent,1904)★★☆☆☆
 ――部屋を出て行ったとたん、その人物についての会話がどっと沸き起こる。キース中尉はそういう男だった。貧乏人特有の癖、しょっちゅう下宿を替える癖があった。今もバジルの部屋でルーパートと中尉の話をしていたところだ。そこにキース中尉が戻ってきてバジルに百ポンド借りていった。家宅周旋人に会いに行くというのでついていくと、ルーパートの質問に対し周旋人は歯切れが悪い。店を出て街路を歩いていると喧嘩が起こり、そのなかには中尉もいた。やましいことはないと胸を張る中尉だったが、中尉が警官に話した住所には家などなかった。

 はっきり「木」と言っちゃってますし、「|楡の木《エルムズ》」という住所もルビ付きの日本語訳ではわざとらし過ぎて何かあると気づいて当然です。「緑色の家が欲しい」「目立たない家が欲しい」という矛盾めいた言葉には、後のチェスタトン作品のようなきらめきがありました。家宅周旋人モンモレンシー氏の商売は奇妙でこそありますが、キース中尉が最初の客で(恐らくは最後の客)でしょうから、商売としては成り立たなそうです。
 

「チャド教授の目を惹く行動」(The Noticeable Conduct of Professor Chadd,1904)☆☆☆☆☆
 ――バジルの雑多な知り合いのうちでも面白い人物の一人は、チャド教授だった。教授はもののわかった急進派で、ズールー族に関する記事を雑誌に寄稿したばかりだった。バジルは言った。「君は科学者として僕よりズールー族を知っているけれど、僕は野蛮人として、かれらを君よりも知っている。たとえば言語の起源に関する君の仮説だがね。言語はある個人の秘密の言語が定式化されてそこから発生したというが、僕には納得できなかった」「君の議論は三つの点で間違っている」。私たちがチャド家を辞した翌日、教授の妹から電報が届いた。教授が何も言わず片脚で立って、何かたずねても脚を突き出したり脚で円を描いたりするだけだという。

 もはや奇商でもなければ逆説や諷刺でもなく、ただの悪ふざけに過ぎません。ユーモアがこのシリーズの特徴でもあるのでしょうが、たいてい空回りしています。「ズールー族というのは七歳《ななつ》の時サセックスの林檎の木に登って、イングランドの小径で幽霊に怯えた男なんだ」という言い回しが如何にもチェスタトンらしい表現でした。
 

「老婦人の風変わりな幽棲」(The Eccentric Seclusion of the Old Lady,1904)★☆☆☆☆
 ――ルーパートが素人探偵理論の九百九十九番目を証明しようとして、怪しい牛乳屋の跡をつけていくと、牛乳屋が罐を手渡した家の中から、「いつ出られるんだろう? 一体、出してくれるんだろうか?」という女性の声が聞こえてきた。ガラス窓に穴を開けて声をかけたが、「外に出る? 駄目です。出してくれませんもの」という言葉が返ってくるだけだった。話を聞いたバジルは、二人を外で待たせて話をして「問題ない」と言ったが、ルーパートと私は納得できずに中に入り、取っ組み合いが始まった。

 ルーパートが牛乳屋を見てあることないこと推理するのは、「ギリシャ語通訳」のホームズとマイクロフトのパロディだと思います。相変わらずドタバタは笑えません。趣向的には【探偵=犯人】であったり、【私設判事】でありながら【そして誰もいなくなった』のような義憤による個人的制裁】ではなく需要と供給を満たした商売であったりと面白い点はあるのですが、いかんせんすべてが大げさで空々しさしか感じませんでした。奇商の面々が勢揃いしていながら「赫々たる名声の傷ましき失墜」の商売人だけ再登場していないのは、恐らく「悪人」だからでしょう。

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