『罪と罰2』ドストエフスキー/亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)
『Преступление и наказание』Федор Михайлович Достоевский,1866年。
2巻はかなり取っ散らかっていました。
前巻でドラマチックに登場した母と妹ですが、家族の口からもラスコーリニコフはちょっと変な人だったと言われてしまいます。
おまけに予審判事ポルフィーリーによって、ラスコーリニコフが選民思想の持ち主であることが明らかにされてしまいました。犯罪を犯し法を乗り越える権利を持つ非凡人が存在するという主張です。貧しさからのやむにやまれぬ犯罪というわけではなかったようです。そもそも貧しさから脱出できないのも働ないからというだけですし。
続いてラスコーリニコフが口にする、「良心があれば苦しむでしょうよ、もしも自分の誤りに気がつけば、ね。これがそいつにくだされる罰なんです――懲役以外のね」という言葉が、タイトルの由来の一つでもあるのでしょう。
こうなってくると、もしかすると『罪と罰』とは狂信者が心のきれいな娼婦の影響で改心するというしょーもない話なのかな……?と思い始めてきました。
金貸しを殺したときに無関係の妹リザヴェータまで殺してしまったという出来事は、良心の呵責の恰好の材料だと思うのですが、そこに焦点が絞られることはありません。何もかもが台詞で説明されるせいでメリハリがなくだらだらしているうえに、エピソードが取っ散らかって散漫です。
第3部の終わりでこれまたドラマチックに登場したスヴィドリガイロフがいい例で、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャ欲しさに下宿まで押しかけてねちねちねちねちと一方的に語り尽くしたものの、少なくともこの第2巻の範囲ではこの人の存在意義がわかりません。
婚約者のルージンがドゥーニャを侮辱して反撃され、ラスコーリニコフが唐突に家族を捨ててソーニャの許に走るなど、起伏だけはあるのですが。
やがてポルフィーリーがラスコーリニコフを訊問するのですが、これがまた心理的精神的に追い詰めるつもりなのでしょうが、要を得ないだらだらしたものでした。「はっ、はっ、はっ!」という笑い声がまた台詞のリズムを著しく損ねていました。犯人ではないはずの者が自白するなど、相変わらずドラマチックなストーリー作りは上手いのですが、そこから続きません。
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